秘密がいっぱい・4
「今回の武科殿試を大状元様も、沈徳宣殿もお受けにならないのですな」
意外だという口調で幾人かから言われた。
六月と十二月が定例の人事異動だが、校書館という王立図書館兼実学研究所的な機関は、各方面から人材を集めたかったので少しばかりずれ込んで、二月からのオープンとなったのだ。正直な話、武科殿試どころではない。受かる事は受かるかもしれないが、それなりに面目が立つ成績となると、やはりまだまだ修練不足だ。
校書館には「一芸に秀でた」「何かの研究に夢中」「発想が柔軟」「語学に堪能」といった基準で、人物を集めた。
宮中の経書・史籍・外交文章・書簡を管理し、王の顧問役を務めてきた弘文館と、国史を編纂し王命を撰述する業務を管掌する芸文館の役人、それに国王と大臣らの専横を戒め抑制する司諌院と司憲府の有能な人物を、すべて兼職で迎えた。それぞれ位は高くは無いが科挙の成績優秀者で、将来有望な若手官僚が多い。
あとは客分でも構わないからと私自身が懇願して全国から呼び集めた、在野の学者・技術者たち。都を離れられないので、手紙のやり取りで口説き落としたのだ。あるいは従来なら考えられなかっただろうけれど、国を豊かにしようと言う志を持つ農村漁村、あるいは商業のリーダーたち。
実をいうと、清廉な事で知られる在野の農学者が、商業系の人材を毛嫌いしたので、それを説得し納得してもらうために、随分と時間がかかった。だが、それを解決する過程で、他の構成メンバーにも考える機会を与えた事になり、商業も立派に産業であり、国の発展に欠かせないと皆に納得させる良い機会となった……と、思う。
ちなみにヤンホ兄さんは商業の基本理念の課題研究のほかに、国際的な商慣習の研究チームに入ってもらった。中国を中心とした冊封体制だけではうまく対応できない事態が、今後増えてくると予想されたからだ。
私は最初に大原則を掲げた。
「誹謗中傷で無い限り、研究成果・活動報告・主義主張を校書館で述べた事で、処罰する事は一切しない」
「三日ごとの定例会合での発言資格は身分出自を問わない」
「講演は申し込みの順番で行う」
「特に一芸、特殊技能に秀でており、言論文章による発表が馴染まない発表者の場合は長官である提調か、副提調三名のうち、誰かに事前に相談して、実演会・実験などの方法で発表することもできる」
「発言者の貴賤出自による差別を禁じる。すべての研究・報告は国のため・民のためとなるかどうかで判断されなくてはいけない」
そして私自身が全ての人物に敬称をつけて呼ぶ事にした。官職がある人はその官職で、官位官職が無い人は「先生」「殿」をつける。大勢を占める士大夫連中の反発を考慮して、強制はしなかったが、うれしい事に次第に定着しつつあるようだった。
だが、これまでのこの国の学術研究機関と決定的に違うのは、書籍類を一般に公開したことだ。
そのために、図書館司書に相当する担当官も定めた。名称はそのまま「司書」だ。
蔵書の貸し出しはしなかったが、申し出る事によって、筆記官に蔵書の必要なページを筆写してもらう事を許した。元いた世界のコピーサービスの代用だ。一回十ページ以下という制限付きだが、無料だし、幾度かに分けて申し込んで写して貰う事も許した。
閲覧資格は文字の読み書きができて、簡単な申し込み書を自力で書ける者なら、身分・性別・年齢を問わず許可した。奴婢でも白丁でも、全部認めさせた。
「入館前には手足を清潔に洗い、館内では必要なこと以外しゃべらないこと」
これだけは全員に守らせた。
また、読書感想文と紹介文も随時募集した。
こう書くと最初から上手く機能したかのようだが、開館当初は入館者ゼロの日も有った。盛り上げるために「さくら」を使った。市場の連中や妓楼の女性たち、白丁村で仲良くなった若者たち、農閑期に入った韓クンの出身地のおばちゃんたち、ヤンホ兄さんの仲間や使用人たち、皆をアゴ足つき小遣い付きの「見学ツアー」に誘った。
親兄弟が校書館に籍を置いている場合は、家族のうち文字の読み書きができる者を連れてきてくれるように頼んだ。宮中の者も、非番の時は来られるようにしてもらい、内侍府のメンバーや女官見習い・下仕えたちも誘った。
一度でも来ると「なかなか面白かった」とか「分からないことを調べるのに便利」と皆言ってくれるのだが、最初は敷居がやはり高いのだろう。
まあ、研究活動の方も忙しかったから、閲覧者数の伸び悩みは気に病む暇も無かったが……どれほどの効果が上がるものやら皆目見当もつかない。