韓明文の見聞・7
「沈徳宣殿、どう言うおつもりだ?」
洪善道の手前は二人して「現在の後宮の方々について噂していた」と言いつくろったが、彼が去ると私はどうにも沈徳宣の意図が読めず、問い返さずには居れなかった。権勢有る家の次男で、貴賎を問わず多くの女性方と浮名を流したこの男は、私より五、六歳は年上なだけに、私などの知らない情報を得るすべを色々心得ているのかも知れなかった。
「大状元様は承恩を賜った女人だろう?」
承恩を賜った、すなわち王様のお手がついた、と言う意味だ。御子が出来れば、生母は官婢でも妓生でも、漏れなく従四品・淑媛以上の身分と成る。それが昔からのこの国の決まりだ。だが、王様も大状元様も内密にされている事を「その通りだ」とは臣下の身では 答えがたい。更には大状元様のお血筋の秘密は、絶対に知られてはならない。
「さあなあ」
「韓殿は、誠に王様の忠臣だな。私はひょんな事から、王様が士大夫のなりに身をやつされて、市中にお忍びでおいでになったのを目撃した。東大門脇の小奇麗な料理屋に若い夫人といったなりの女性をお連れになってな……いやあ、私も冠礼(カレ・成人式にあたる)を済ませてこの方、色々な女性を見て来たが……後姿も実に艶やかで、心引かれた」
すれ違いざまに長衣(ジャンオッ・身分有る女性が外出時に頭から被り顔を隠した外套)越しに仄かに見て取れた美貌から、かねてから女人ではないかと疑っていた大状元様だと確信したのだそうだ。見間違いでは無いかと言ってやったら「絶対あの方だ」とはっきり言い切る。
「王様の御寵愛は非常に深い事が見て取れた。今まで後宮のどなたの上にも王様のお気持ちが無い事は明らかだったが、このような方がおいでだったかと、大いに納得したよ」
「では、なぜそれを兄上や父上に御報告なさらないのだ?」
「韓殿こそ、なぜだ?」
「王様のお望みに添いたいからだ」
だからこそ、上官の知宣殿には知らせないで居る事も色々有るのだ。私の主は王様なのだから。しかし……図らずも、私が大状元様が女人であると承知している事を、告げてしまった事になるだろうか?
「私もそうだと言ったら、信じるか?」
「いや、素直には信じられぬ。あなたは中宮様の兄上だから」
沈家は宮廷での陰謀やら工作やらを重ねて、ようやく中宮様を送り出す事ができた筈なのだ。父の右議政も兄の知宣殿も、中宮様の所への王様の夜のお渡りが途絶えたままなのを、大層気にかけておいでなのは間違い無い。
「沈家の都合はさておき、王様の忠臣でありたいと言う願いは、私にだって有るのだ」
「にわかには信じられぬ」
「まあ、過去の悪行のせいもあるのだろうな」
私はあの、蹴飛ばされ事件のあらましを見聞きしてしまった事を伝えた。すると徳宣殿はひどく困ったと言う顔つきになった。
「あの時、大状元様にお叱りを賜ったのは全て事実で、致し方無い。親兄弟にも秘密であったのに、あの方が医師であられるせいだろうか、すっかりご存知のようで、実に参った」
心なしか、しょんぼりしているようにも見えるが……? なぜだ?
「他にも徳宣殿には……色々お有りなのでは無いか? たとえば隠し子とか、秘密の不倫とか。ああ、別に何がどうだなどと一々おっしゃらないで頂きたいのだが……伺っても、逆に私も困る気がするので」
「いやいや、そこまで事情を御存知なら、いっその事すっかり聞いて頂こう」
何やら別れるきっかけを失った感じで、私は徳宣殿について、街に出た。共に酒でも飲もうと言う話になった。
「それこそ、大状元様が懇意にしておられるらしい妓楼にでも行こうではないか」
確かに、一流の店なわけで妓生は美人な芸達者ぞろいだし、酒も料理も美味いと言われる所だが、鬼が出るか蛇が出るか、何やらヤブ蛇な気もする。私は覚悟を決めて徳宣殿の「懺悔」を聞く事にした。
長衣は多分?どっちかと言えば? というか異論が有る様なんですが、身分が有る女性用で外套の形、
スゲチマは庶民の女用でチマの形、
どっちも外出時に頭からかぶって顔や体を隠すための衣類です。