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韓明文の見聞・6

 大状元様が持ち込まれた酒の大甕は、瞬く間にカラになりそうな勢いだった。


「もう、練習も済んだし、もっと召し上がっても宜しいでしょう。酒にはお強いように聞いてますが」

「戻ったら患者を診なくちゃいけないんだよ。脈を取ったり針を打つ手の感覚が狂うと困るんだ。普通の酒よりこれはかなり強いしね」

「一杯ですぐ体が温まりましたよ。美味いですね」

「徳宣殿こそ、もう仕事が無いのなら、もっとどう?」


 な、なんと沈徳宣だ! あの蹴っ飛ばされ事件からどこをどうしたら、こうやって大状元様と和やかに酒を飲める? あつかましいと言うか……なんと言うか……


「酔ったら介抱して頂けるなら、幾らでも飲みますが」


 大状元様に向かって、女殺しと異名をとった流し目を向けている!


「ハハハ、そりゃ無理。私の背丈じゃ運べない。病気や怪我なら仕事だから診て上げるけどさ。運ぶのはどの道誰かに頼まないとね」


 介抱して頂けるなら?? 正面切って大状元様を口説いてるのか? どういうつもりだ一体全体?  


「これは沈徳宣殿、お珍しい。武科殿試を受けられると言う噂は、まことですか?」


 まずは会話に割ってはいるしか、無かろう。幸い周囲は気にしていないようだが。


「前回の武科殿試でも優秀な成績でいらしたのですよね、韓明文殿は。私は、この二月の定例試は見送って、次回の秋に予定されている親臨試にしようかと思うのですがね」

「そりゃまた、なぜですか?」

「騎撃毬の練習量が絶対的に不足してまして、自信が無いのです」

「私なんて、やった事も無いんだから。それで二月の受験はとても無理だよ」

「大状元様は、弓を握れば百発百中、名馬を見事に乗りこなされ、剣の腕前も組み手も大したものだとか。騎撃毬一科目が不慣れでいらっしゃるだけの事。このままでも二月の殿試も大丈夫でいらっしゃると思いますけどな……ああ、ひょっとして今年の親臨試は、王様があなた様のためにと思い立たれのでしょうか?」

「まさか、そんな、馬鹿な」

「大切な方が文科でも武科でも第一席となられる姿を、御覧になりたいのではないでしょうか? なあ、韓殿、どう思われる?」


 おいおい、沈徳宣、何が言いたいんだ? あるいは私から何か言わせたいのか?


「私などに、王様の深いお考えがわかろうはずが有りません」

「韓殿は、任官一年目ですぐに昇進なさるようだし、王様もあなたを褒めておられたと噂になっておりますよ。まあ、確かにこちらの大状元様のような、この国始まって以来の破格の方からすれば、目立ちませんが」


 もう、私の事も知っていたか。ああ、まあ、兄の知宣殿と話でもしたか? 大状元様にやけに絡むな。


「破格って、横紙破りって、言いたいの?」

「そんな滅相も無い。横紙破りと言うのは、無理を通す事でしょう。大状元様には当てはまりますまい」

 

 それから、やけに滔々と『大状元様の功績』について述べ立てた。お書きになった本もベタ褒めだ。確かにどれも優れた著作だと私も感じたが、こんな風に着飾った美女の美しさを褒め称えるような具合に甘ったるい声で語りかけるなんて芸当は、とても出来ない。こいつ……


「蹴っ飛ばした相手におべっか使うのかい? 胸糞悪いね。いや、薄気味悪いや」

「とんでもない。本気ですとも」


 大状元様は苦笑されている。沈徳宣の視線が心なしか熱っぽいのに呆れておられるのかも知れない。


「あんたが相当変な人だって、良く分かった。真面目に練習しようね、お互い。では、また」


 白い駿馬に跨り、一鞭軽く当てると、あっという間に遠くへ去って行かれた。


「ああ、行ってしまわれた……王様があの方を寵愛なさる理由が判るなあ。隋の木蘭も一軍の将を務めたらしいが、あの方はより美しくより賢くより強い。一国の大将軍も務まる方だ……な、韓殿、そうは思われんか?」

「烈女・木蘭を引き合いに出されるとは……」

「韓殿も実はお気づきなのだろう? あるいは事情もご存知か? あの方は御子をお生みになって、一年とたっていないのは確かだろう。時折、仄かに甘い乳の香りがするからな。王様の御様子から拝察すると、王子様かな? お生まれになったのは?」

「そ、それは!」

「ああ、兄にも父にも話していない。韓殿も報告されないのだからな。それが王様の御意思……ではないのか?」


 答に窮していると、のんびりした調子で先程まで馬達の様子を見ていた洪善道が、こちらにやって来た。


「いやあ、天下一の色男殿が、堅物の韓都事相手に何の談義ですかな?」

「王様御秘蔵の名花について、その素晴らしさを語っていたのですよ」

「どう言う事かな、韓都事?」

 この洪善道も本当に事情を知らないのだろうか? 人を食った事ばかり言う奴だが……


 何をどう答えるべきか、実に全く困った。背中を冷たい汗が流れた。

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