笛の音・2
「清国使節団は、身分が下の連中ほど空威張りして難癖付けて、鬱陶しかったなあ」
「でもまあ、無事に清に戻ったし、新しい王様もほっとされたって所かな」
「ヤンホ兄さんは恩赦で『免賤』されたって? 」
「ああ。どうにかな。常日頃から鼻薬を利かせていたし」
「ウチは無理だったみたいねえ。兄さんみたいに気前良く金銀をバラ蒔けないし……地方勤務が多い武官だったから,やっぱり名簿に載るのも難しいのかな」
「後は新しい中宮様の選出と王世子様の決定で、また、清国の使いがやってくる半年後が良い機会かもな」
確かに、その時期に再び恩赦が有るだろう。だが、余り期待はしていない。まだ役人の中に適切な伝手が見つからないからだ。それよりも、もっと気になる事を聞き込んだので、私は声を潜めて質問した。市場の混雑の中とはいえ、誰かに聞かれたら厄介だからだ。
「でもさあ、あの王子様ってお体が弱いって話でしょ? 」
するとヤンホ兄さんは、うんと声を潜めた。
「ああ。明日をも知れぬ御容態と言う噂がある。それも御病気じゃなくて、毒の所為らしい」
恐ろしい話だ。王の世子となられる事がほぼ決まっている唯一の王子様が、毒でお命が危ない? それが本当なら、即位された王様も大変だろう。朝廷も後宮も陰謀と派閥争いで大変なのかもしれない。
でもまあ一応、世の中全体が新しい王様に期待する気分で明るい機運が盛り上がっている感じだ。そう言う時は人々の財布の紐も緩みがちなので、商売に励む。
市場での商売は順調だったが、元々の目的であった『免賤』の手立てが王様の代替わりで無くなってしまった。御即位に伴う恩赦に期待したのだが、空振りに終わった。新しい王様の宮廷で政治を仕切る方の系列に繋がるラインに効率良く金品をばら撒くべきなのだが、どうすればよいのか、ただ今情報収集中と言った所だ。
代書屋は大忙しだし、ポジャギは二十一世紀の日本で見られたパッチワークや刺繍の技法の数々を取り入れて、「美しい」「斬新だ」「風情がある」などなど評判を取って、良く売れた。時には大きなお邸に呼ばれて、そこの奥方様お嬢様に品物をお買い上げ頂く事も有る。
ただ、付けはお断りだ。前払いでお金を入れてくれたお邸にしか伺わない。余分に頂戴したらちゃんと返している。整った筆跡でキチンと領収書を書くようにしていたら、甘く見られずに済んだようだ。稀にたちの悪い権力者もいるが、大半は気持ち良く払ってくれた。ついでに商売や『免賤』の情報も探れる。
そうこうする内、新しい中宮様はすったもんだの末どうにか決まったが、王世子になられる筈だった幼い王子様は、亡くなられた。
「王子様は御病死、それで通すらしい。今度の中宮様の勢力の所為なのか、先代様の時代以来の功臣達の所為なのか、それとも他の事情か、真相は永遠に闇に葬られたようだよ」
そう言うヤンホ兄さんは、これから起りえる事態をあれこれ考えて、難しい顔をしていた。
「そう言えば半月近く経つが、以前お前が松の大木のところで助けたって言う役人の話をしたよな。昨日俺の所に捕盗庁の従事官がやってきて、『ソグムを吹く礫の達者な倭刀を背負った少年』を知らないかって聞きに来たぞ。上官がお探しなんだそうな。まあ、知らないって答えておいたけどな」
捕盗庁は都一帯を警備する言わば警視庁みたいな役目の部署だ。トップは従二品の大将で、当然官服は赤い。ちなみに従事官は従六品で官服は青い。
「赤い官服だったのは間違いないのよ。でも……」
「でも、なんだ?」
「捕盗庁の人間にしては、腕っ節が弱すぎるのよね。絶対御大身の若様だと思ったんだけどなあ。刀持ってすぐに、息切れ起こしていたし……何と言うか、犯罪とは縁もゆかりも無い人間と言う感じを受けたわ」
それに……あの護衛の強さは徒事ではなかった。捕盗庁所属の人間だから当然だろうとは思ったものの……奇妙に思ったことを思い出した。あの護衛の連中にはヒゲが無かった……まさか……
「……あの連中には……ヒゲが無かったのよ」
「ヒゲが無い? 」
ヤンホ兄さんも眉を顰める。
ヒゲが無い。となると宦官だろう。あれほど腕っ節の強い宦官なんて、そうどこにでもいるわけが無いのだ。
一部書き直しました。