夜中の独り言・3
「私が酒を仕込んだ蔵のあたりだけは、どう言うわけか火賊が出没しません」
スルギは自分の酒造りが、妨害工作を受ける事無く順調なのは、たまたまなのだ。僥倖だ、と考えているらしいが事はそう単純でもないらしい。
火賊とは、わが国固有の強盗団で、秘密の結社を作り、家や村を脅し金を巻き上げる連中をさす。連中は要求が受け入れられないと、家に火をつけると脅すのだ。また実際放火する場合も多い。その正体は不明だが、貧しく虐げられた民の中から自然に生じたものであるのは確かだ。我が国にかつて攻め入った清国軍も、相当悩まされたらしい。我が国の正規軍は不甲斐なかったのに、犯罪者集団が手強かったとは、実に皮肉だが。
どうも、その火賊の大物か頭か、あるいはその親族かは不明だが、スルギは知らず知らずの内に助けた事が有った様だ。人を身分で差別する事は全く無いので、ただひたすら困窮した者を救っただけなのだろう。
王である私の事を受け入れたのも、あるいは私が「困窮する不幸な王」であったからかも知れないのだ。
宮中でも良く人を助けている。医師を志望したのも、人を助けられるかららしい。薬代が払えない者も気軽に往診してやるようだ。下仕えや内侍見習い達には、救いの神か仏のように思われているらしい。だから、これは宮中で呪詛を受けたり、毒を仕込まれたりしなかったのだろう。陰謀に引きずり込み手下とする場合、しばしば病の家族を抱えたものが狙われ、薬代をやるとか医者をつけてやるとか言う場合も多いのだが、スルギの見立てが確かなのに親切で、しばしば貴重な薬も無料で調合してやるので、誰も敵に回りたがらないのだ。
「お人柄が優れていて、名医で、王様が大切になさっている方だと皆が知っておりますから、下々の者でもめったに毒を仕込むとか刺客の手引きをするとか言った悪事には加担しないでしょう」
韓明文によれば、籠を編む名人や牛の屠殺処理の名人、革靴作りの名人と言った連中に、膝を折って真摯に教えを乞うた事が度々有るらしいが、それもあるいは関係が有るかも知れない。
スルギは決して自分の邸の者も、打ったりしない。落ち度があった時は、相手に何がいけなかったのか考えさせる。誰の言葉であれ、正しいと感じればこだわり無く受け入れる。王の私よりよほど公平無私だと言ってよい。
常日頃の自らの行いのおかげで、図らずも陰謀から身を守る事が出来ているのだ。
「忍和に行儀が悪いと怒られました」とか「それでは王様に失礼だと爺やに怒られました」とかしょっちゅう言っているが、表情はにこやかだ。まあ、概ね儀礼的な事以外で、意見する必要も無いのだが。
「もっと夫婦らしくお前と過ごしたい」と我がままを言って、士大夫の若夫婦と言った風体で一緒に街に出たが、その時の良家の人妻らしい淑やかな姿に、また惚れ直した。武科殿試なんぞ後回しにして、成明の弟を予定より早めて作ってしまおうかと思わず思ったほどだ。
「位をさっさと成明に譲って、何処かの小ぶりな住まいでお前と二人でのんびり暮らしたいものだ」と言うと、まだ仕事は山積みだし、成明はまだ赤子だから、かなり先だと言われてしまった。
今年は定例試の他に、秋に武科だけ臨時の親臨試、つまり王である私が立ち会う形で殿試を行う手筈だ。定例の二月では、まだスルギの騎撃毬と歩撃毬の練習量が足りないからだ。共に棒で球を打ち、奪い合う球技であるため、一人では練習できない。内侍府の者達と三日に一度程度はやるのだが、馬に乗って球を打つ騎撃毬の方は内侍府には適切な練習相手が居らず、馬の問題も有る。
今の状態でも合格はするだろうが、どうせなら優れた成績で合格してもらいたい。まあ、私のわがままだが。
スルギには白い駿馬を贈った。良く乗りこなし、馬の方もスルギに良く懐いているが、騎撃毬をさせるとなると、また事情が違う。人も馬も競技に不慣れなのだ。
伝統的に重視されてきた必須科目なだけに、騎撃毬だけ、選考科目から削るわけにも行かないので困った。
韓明文が騎撃毬の名手なので意見を聞いてみると、武官の集まる宮中の練成場で、騎射の練習をさせろと言う。
「人馬一体となった、見事な腕前でいらっしゃいますから、必ずや、すぐに騎撃毬の組を作っている者たちから誘いの声がかかりましょう」
なるほど、抜群の素養を見せ付ければ、誰かが引っかかってくれるか。
本人は私の腕の中で平和な顔で眠っているが、騎撃毬の練習に励めと言うと、どんな顔をするだろう?
韓クン、名前間違えてました! すみません。