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笛の音・1

笛は新羅のソグム(小笒)という横笛をイメージしてます。


「楽器など良家の婦女子にあまりふさわしくない。そのようなものは伶人か妓生にでも任せておきなさい」


 義母はそう言ったが、義父は同居を始めて割合と早い時期に一本の小ぶりな竹製の横笛をくれた。滅んでしまった王国の時代には貴族の間でも好まれていたという笛だ。男の楽器では有るけれど、武芸をたしなむものなら呼吸法の訓練にもなると言って演奏を教えて下さった。嬉しかった。


「お前の音色は澄んでいて心地良い。男装束に身を包み、その笛を吹くと古の花郎ファランのようだ」


 生前、そう義父は褒めてくれて、酒を飲む時などに演奏をするように言われたことが幾度か有る。義父の本貫の地では美貌のエリート戦士集団といった肯定的な意味合いで言い伝えられている「花郎」だが、よその地方ではいかがわしい呪い師か芸人の類と受け止められているので、言葉は難しい。


 月の美しい秋の夜、市場も皆店じまいして街は静かだ。一国の都としては、かなりさびしい眺めだと思う。母上は商売が軌道に乗り『免賤』の見通しが立つまでは寺の方に残っていただいたので、今は一人暮らし。元の世界を懐かしく時折思い出すが、かつての家族の声も顔ももはや遥か遠い存在にしか思えない。ただ、こうしてネオンも街灯もコンビニも無い、月明かりに照らされた土埃と馬や牛、時には人の排泄物までが混ざりあった匂いに満ちた街を見ていると、これから何がどうなるのやら、侘しい気持ちになってくる。


「カップ麺すら食べられないって、結構辛い」


 さすがに毎日まずい粥だけという暮らしからは脱却して、まずい粥に肉か魚の一皿と野菜の和え物ぐらいは食べられる余裕は出てきたが……井戸の掘り方が浅く、何かというとすぐに汚染されるのが嫌だった。そこで底に穴の開いた大瓶を貰い受け、そこに炭と小石の層を幾重にも積み重ね、簡単な浄水器を作った。本当なら瓶ではなく大きな樽を使いたいところだったが、この社会は同時期の日本や清より流通機能なども遅れていて、大きな樽を作る技術も途絶えているようで見かけない。


 それでも洗濯の衣類の汚染が格段に減り、飲むために沸かす湯や料理もまともになった。近隣の家々にも教えてやり、さらには妓楼や旅館でも真似するようになって、私はちょっとした物知りとして知られる存在になった。おかげで代書屋も繁盛し、売り出した『ポジャギ』もお針子を雇って作るまでになった。ただあまり派手に儲けると、下級官吏や性質の悪いやくざ者に絡まれる確率が高まるので、用心深くする必要は有りそうだ。


「生きて行くだけで精一杯って、嫌だなあ」

 大きな松の木の大枝に乗ってぼやきながら、私はまた、笛を吹いた。思い切り大音量で。英語圏のポップスや日本の歌も何曲か交えて夢中になって吹いた。


 するといきなり拍手が聞こえて、驚いた。


「素晴らしいな。笛だけでこれほど聴きごたえが有る演奏が出来るとは」


 言葉を発した人物は、次第にこの木に迫ってくる。のんきな調子の良く響く明るい声だ。あちら様は夜目がさほど効かないだろうが、こちらは天使のおまけしてくれた能力のおかげで、相手の服装・容貌までバッチリチェックできる。げっ、役人だ。それも王様に直接面会が許される赤い官服だなんて、どこの誰?


 脛に傷を持つ逃亡官婢の身の上では、飛びのいて逃げ出すべきだと思ったその瞬間、さらにその赤い服の人物を取り囲む黒づくめの覆面の連中に気が付いた。


「周りを悪者に取り囲まれておいでですよ、御用心を」


 そう声を張り上げて、松ぼっくりを数人の顔面に投げつけ命中させた。覆面が呻き声を上げてのけぞる。


「笛も凄いが、つぶても凄いじゃないか」

「のんきな事をおっしゃっている場合ではございませんよ。剣をしっかり構えて下さい」


 飛び降りて切りかかろうとする数人に、今度は剣で応戦する。お役人は構えの基本は一応できているが、押され気味だ。何とも危なっかしい。


「護衛の方はどうなさったのです? おひとりで出歩かれるには聊か心許ない剣ですねえ」

「恐らく勝手についてきた護衛が居るはずだが、はぐれたかな」


 二、三度切り結んだだけで、精いっぱいらしい。ハアハアと、肩で呼吸をしている。高位の文官なのだろう。


「御身分がお有りでしょうに、あまり軽はずみな事をなさると、周りの方々がお困りになりましょう」


 黒覆面は凄い腕前ではなかったが、律儀に攻撃を続けてくる。余り切りたくはないが、女の体では持久力が問題だ。手の一本も切ろうか悩んでいると、また別の足音がする。


「た、大変だ、急げ」


 護衛の連中だろうか。強い強い。あっという間に覆面は全員逃げて行った。


「ああ、御苦労」

 やっぱり護衛の様だ。

「お供が追いつきましたか」

「そのようだ。いやあ、助かった」

「では、私はこれにて御無礼いたします」


 赤い官服、腕利きの護衛、これはまずい。私は挨拶もそこそこに逃げ出した。

「おい、待ってくれ、おい」という呼びかけは完全に無視した。


 

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