産休・2
「そうして唐衣姿で居ると、やはり一段と美しいな」
「いつもむさ苦しくて申し訳ありません」
「いや、あれはあれで悪くは無いのだが……その、私が衆道に走っていると誤解されても困るからな」
白い唐衣を賜ったので、着ているのだが、正邦様は嬉しそうだ。尚宮には着る事が許されない特別な衣服だ。しっかり「後宮」に取り込まれたと言う実感が湧く。確かに金糸の縫い取りも実に見事で美しい。
「何やら私の方ばかりが喜んでいるような気もするな」
「いえ、その、初めて着ますのでいささか戸惑っているだけです」
人払いしてあるので、袞龍袍と言う王の執務服姿のままで二人でこうして手を取り合って話をしているが、他の人に見られたら、なかなかに大変だ。だが、この方の子を産むと言うことは、個人的な事柄ではなく、王家の一員になるのだとイヤでも意識せざるを得ない。
「ん? どうした? ため息などついて。後宮に閉じこもっているのは性に合わんか」
「その、お慕いしている方の子供だから生みたい……と言うだけでは許されないのですよね……この子も生まれて来るなり大変そうで、何やら気の毒で……」
「私も気の毒なのだろう? だから力を貸そうと、そう言う訳なのではないか?」
「お役に立てますなら、何でも致します」
「そうか。ならば……」
いきなりキスされて、驚いた
「これで午後からも執務がはかどりそうだ。続きはまた夜にな」
はっきり言って、この国は破産寸前だ。だがはかばかしい税収の増加は見込めない。元来耕作に適した土地が多いとは決して言えない上に、何百年も進歩を止めた稚拙なままの農業技術、そして実学軽視の悪い伝統があらゆる産業の発展を阻害している。識字率も低く、字が読める階層も朱子学をベースにした大して役にも立たない空理空論を弄ぶ事しか出来ない。自らを蛮族の大国清よりも優れた『小中華』であると思い込むファンタジーに逃げ込んで、厳しい現実を見据えない。
暴君とか聖君とかやたらうるさく言う割りに、飢える国民に毎日粥の一杯も保障する施策を持たないのだ。
また、告げ口のように、呪詛がどうの、賄賂がどうの、と王に浅はかな廷臣どもが訴えに来るのだろう。非建設的な話の癖に、じっと聞くのは神経が疲れる。そんな話ばかりだ。
この国の士大夫と言う階級は「ノーブレス・オブリージュ」と言うか、高貴なるものの責務をまるで自覚していない。こう言う支配者層の腐りきった状態に、密かに憤慨している者は多い。各地で義賊とか火賊が横行するのも、その現れだ。
だから……キリスト教の教えに接した時、それが植民地政策と抱き合わせの布教である危険性を微塵も理解せず、感動し受け入れてしまう人間が少なからずいる。それがまた、新たな危機をもたらすのだと知らずに。
「崇明排清」のスローガンを掲げている頭の固い儒者や廷臣は、まだまだ数が多い。いったいどこを見てるのか、訳のわからないファンタジーに浸って国の行く末を見誤り、この国をここまでヨレヨレにしてしまった責任を誰も取らない。だが、連中を責めても何もこの国は変わらないだろう。また果てしない派閥抗争になだれ込むだけのような気がする。
人はその生まれた時代と地域の制約を受ける存在だ。
肉体は無論のこと、精神思想もその制約から自由で居る事は難しい。明が滅んだ後も奇妙な小中華でありたいと言ういびつな愛国心に歩み寄って、実害を出さないための仕掛けが必要だと思う。
幸い明の学者でマテオ・リッチの友であった徐光啓の遺稿をまとめたこの『農政全書』なら、あの崇明派の困った連中でも受け入れ可能かもしれない。
まあ、実学だから筆者が明の大学者で高官であった人物でも無視するかもしれないが……出版すれば少しは読む者も居るだろうし、中に甘藷に関する詳細な記載があるのが、何よりありがたい。おかげで「明の大学者も推奨した新しい作物」として苗を流布できそうだ。
他の後宮の女性達は王のお渡りの回数と実家の心配で頭が一杯だ。確かに順恵翁主の言うように『つまんない』一生だ。だが、それでも食いはぐれないだけ、この国では恵まれているのだ。だが『つまんない』。
白い金の縫い取りが有る唐衣姿では、うっかり建物の外にも出られない。すぐにあれは誰だと噂になってしまう。素直に正邦様の愛情だけを感じるには、この後宮と言う場所は実にもって不適当な場所だ。
三月六日、尚宮が「向」宮になってましたので訂正しました。