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芸文館にて

不在中の噂話、です。

 国の正史の編纂を行う芸文館の一部屋で、史官たちは菓子を囲んで茶を飲みながら、一休みしていた。


「今日は来ないな」

「ん? ああ。大状元殿か」

「お前、昨日非番だったか。この菓子を持ってきてな、当分病気の治療をするから来ないと言い置いて行った。うむ。美味いな」


 どうやって作るのものなのか、金大状元が差し入れる手製の菓子は、いつも美味かった。


「おお、確かに美味いな。だが……何でまた。医者の不養生ってやつか?」

「外国で腹を切って、中から病巣か出来物か何か取り出すらしいぞ。そんな恐ろしい事を良くやるな。まあ、宦官だからナニも切ってるから、俺達とは感覚が違うのかもしれん」

「見た所、男か女か良く分からん人だが、美貌なのは確かだな。妓生たちが祝賀の行列を見て黄色い声を上げて名前を歓呼した、と言うのもわからなくは無いような」


 女にしたいような美貌とは、ああいう顔を言うのかもしれない。密かにそう思うものは少なくないようだった。

 

「ああ、あの人、身分の区別を憎んでいるようだからな。虐げられた者に寛大で親切なのさ」

「あれか、科挙の答案用紙に本貫が書かれていなかったって?」


 それは有名な話で、様々な憶測を呼んでいる。


「一説には白丁だらけの地域の出身とか」


 白丁とは滅ぼされた王朝の遺民だとか言うが、様々な厳しい差別を受けている特殊な階級の人々だ。その起源ははっきりしない。屠殺や肉商人、旅芸人、柳を使った器作りなどの特定の職業しか就く事を許されていない。衣食住全てに厳しい制限が有るが、戸籍も無く、納税の義務も無い。ついでに言うならこの国の法では人として認められておらず、殺しても殺人とは見なされない。


「それなら、なぜ身分の区別にうるさい大王大妃様のお気に入りなのだ?」

「あの顔で弁舌爽やかで、医師としての腕も確かだからじゃないか?」

「女官達にも人気があるんだとさ。美形は得だよな」

「俺の親父殿がオンドルの工事の件で、ご指示を仰ぎに伺ったときも、別の件で御挨拶に伺ったときも、あの大状元と出くわしたそうだ。あの気難しい事で有名な方が、声を上げて笑っておられたとか。親父殿は『大王大妃様でも笑い声を立てられるのだな』と驚いていたぜ」


 身分の上下を問わず、人に好かれやすい性質のようだ。


「白丁村に盛んに通っていたのは知ってるがな。無報酬で病人を見てやったり、汚れた飲み水を浄化する仕組みを作ってやったりして連中に懐かれていたようだが、何が目的なのか聞いてみたら『籠作りの技術について調べています』って返事だった。何でも、籠も土木工事や、治水工事にも使えそうなんだと。あとは新しい酒造りに役立てたいとか言っていたな」

「正二品のお方が酒造りか?」


 正二品と言えば、ここに居る誰もが恐らくは終生辿り着けないであろう、高い位だ。


「わが国が外国に輸出できるような品物を作りたいんだと。空理空論では金が儲からない。儒者は商人や職人を賎業につく者と蔑むが、清に品物を売りつけて、先の戦で失くした領土の分の埋め合わせをするぐらいの気概が無いと、この傾いた貧しい小さな国は滅ぶって、あの人は言うんだ」

「正しいかもしれんが、古風な儒者は大いに反発しそうだな」

「傾いたよれよれの国の舵取りを押し付けられた王が、何ともお気の毒で、その手助けをしたい。そう言うんだが……何やらその言い方が幼馴染に菓子でももって行くような調子なんだよ」

「王の前でも、全然緊張して無いよな、あの人は」

「相手が王だろうが賎民だろうが、友だから助ける、そう言いそうな気がする」


 人として間違った事だとは思わないが、過激だと皆感じている。


「王の方が、なにやら熱っぽい視線で、あの人を見ているような気がする」

「おい、誤解を招くような言い方はよせ。不敬だって老人どもの怒りを買うぞ」

 

 中華の皇帝にはしばしば例が有る様だが、この国では国王が衆道に耽った前例は無いのだが……


「位が高いほうが自分の邪魔をされないから何かと都合が良い、それだけだって言っていたものなあ」

「何と言うか、あの人の言う事のほうが遠い未来には正しいのかもしれん。歴史を学ぶものとしては時折そのような感慨に囚われるが……」

「過激だ。あの人は真実身分の区別を下らぬと思っているのだろう。実に過激だ。国是に反する」


 確かに、国是に反している。


「わが国の秩序をひっくり返す事になっても構わないと思っていそうだ」

「地図を広げて、わが国が今どう言う状況に置かれているのか考えろと言われた時は、ハッとしたがな」

「ああ、本貫だの身分だの言っている間に、既に安南に迫っている仏蘭西や、七つの海に船を航行させている英吉利にしてやられると言うのだ」

「本貫がどうのこうのなどと言っても大同小異、って事らしいな」

「だが、士大夫も賎民・白丁も同じ王の民……と言う見解は、やはり受け入れがたい」

「おいおい『同じ王の民』って本当か」

「ああ。真顔でそう言った」

「凄いな。過激すぎる」

「だが俺達に、その価値観を強要する気は毛頭無い……とも言った。『劇薬は副作用が大きいですから』だとさ」

「何か、そのたとえも凄すぎる」

「ああ。とんでもなく面白い人と、同じ時代を生きる事になりそうだな」

「うん。興味深い観察対象だ」

「その、治療が済むのはいつなのかな?」

「順調に行っても、二ヶ月か三ヶ月か、そのぐらいはかかるらしい」


 この菓子を食べつくしても、しばらくは会えないだろう。皆、口にはしないが少々寂しく感じていた。



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