老いた宦官の呟き・2
30話まで、来ました。
殿試の会場にオンドルが入るのは前代未聞なのだが、これもひとえに王様のあの方と御子を気遣うお気持ちから出た事なのだ。だが、それは無論秘中の秘。
王様もこの件で相談なさるのは常御所を避け、昔からの忠義ものぞろいの大王大妃様のお住まいか、口の固いものばかりの大妃様の所で私を交えて相談なさった。
表向きには大王大妃様の御発案に王様が賛同なさったと言う形になっている。そのお二人に大妃様が積極的に賛同なさるのはこれまでは稀であったから、熱心にお力添えなさる姿を奇異に感じたものも多いようだ。
中宮様の父上などは、非常にいぶかしく思っていると同時に、これまで疎遠だった大王大妃様と大妃様が急接近された事を警戒しているようだ。正殿にオンドルが入るのは結構ではあるが、自分の知らない所で何か大きな動きが有ると感じたのだろう。
領議政は私から聞きかじった、かの方が『本貫が同じ』らしいと言う話を、早速後宮にまで乗り込んで、孫娘の昌嬪様に御注進に及んでいる。まあ、悪くは無い。そうするであろう事をこちらも期待したのだから。
この国では本貫、すなわち同一の先祖を頂き、始祖である偉大な先祖の故地とつながる人々の集まりで有り、その土地そのものでも有るが、その本貫が極めて重要視される。
概ね地名と姓をあわせて、安東金氏とか慶州金氏とか言う具合に呼ぶのだが、同じ金姓でも本貫は二百以上に分かれ、「どこの金」であるかで、世の中万事、特に官吏の場合は運命が大きく分かれる。
ちなみに中宮様は一応王族に準じる御身分ではあるが、一等功臣を多数輩出した青松沈氏との関わりが深い方だ。
他の方々、たとえば高名な学者を多数輩出した平山申氏の貴人様や、祖父母の代にさかのぼっても全員が名門の嫡出子と言う密陽朴氏の淑儀様も、本貫と御実家の格式で位が定まった。
最も位が低い徳水張氏の昭容様は御実家が二等功臣であり、裕福ではいらっしゃるが、一門から出した状元も張季良様御一人きりのはず。そうなのだ。その一門から何人の状元を出したかも、一族全体にかかわる事柄なのだ。
王様の御寵愛が格別であったり、王子をお生みになったりすれば、位も上がるのだが、これまで格別に御寵愛が深い方もなく、皆平等に扱われていた。強いて言うなら、教養の高い貴人様が御気性も穏やかで一番お話がなさりやすいとかで、微妙に他の方より御渡りが多いかもしれない、と言う程度だった。
かの方の学識はこうした良家の子女で有られた方々の教養などとは、そもそも程度が違いすぎる。各界の名士がその文章の見事さ、筆跡のめでたさに驚嘆する程なのだ。まるで勝負にならない。
いよいよ殿試が始まった。今回は後宮でも大きな話題になっている。
「ヨンス様、頑張ってください」
「ヨンス様が状元になられますように」
まだ子供の内侍見習いや女官見習いが、一心に祈る姿が目立つ。皆文字を教えてもらったり、掃除や水仕事を手伝ってもらったり、時には針仕事や料理まで助けていただいたものが多い。
薬を頂いたり、針を打って頂いたりして世話になった者は言うに及ばす、何かと親切で明るいあの方は、後宮の身分が軽い者たちの間で、絶大な人気を誇っている。身分の有る者は家や本貫ごとに応援するべき受験者が決まっているので、表だって応援は出来ないが……影ながら応援と言う者も少なからず居るようだ。
殿試は落第者は出さない習わしだが、順位が付き、その順位は一生ついて回るのだ。
試験問題は聞く所によると王様からの御下問という形で出題され、それに対して朱線で罫を引いた特定の用紙に、しきたりを守った上奏文の形で論文を仕上げ、提出するのだ。「臣対臣聞」と言う言葉で始まり、最後は必ず「臣謹対」で終える。最低でも千字以上が必要とされ、改行や敬語の使い方にも細かな規則が有るのだそうだ。
それを日没までに仕上げなければ、失格だ。過去に急病で失格した者が二名ばかり居るが、極めて珍しい。
さて、もうすぐ運命の日暮れだが、結果はどうなるだろう?