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老いた宦官の呟き・1

第三者視点です。

「不快だ。実に不快だ。判内侍府事、あれは『まあ、それが世間と言うものでしょう』と笑い、余に怒るだけ損だと言うのだがな」


 明日はいよいよ殿試当日と言う日になって、王様のお怒りは深かった。


 王様の想い人であり、将来世子となるかもしれない御子を身籠ったかの方を守るべく、日夜務めている姿勢を御評価頂けたのだろう。以前よりも内密な御相談を承る事が増えた。

 只今の御信頼は私自身の力と言う訳ではなく、あの稀有なる女人のおかげだ。だが、あの方が大妃様の実の姪御様とは……これは天の与えた試練、あるいは罰なのかもしれない。


 先々代様は、初めはともかく、その御世の終わり頃は紛れもない暴君で有られたと思うが、だからと言って公主様で有られる只今の大妃様に対し奉り、我ら内侍府がしてのけた事は許されるものでは無い。事情をすべて知るものは、今となっては私以外誰も生き延びてはいないが……

 だが、大妃様腹の第二王子様が生きておられれば、間違いなく朝廷の、そして王様の、憂いの種となられたであろう。確かに人倫にもとる行いではあるが、私は後悔はしていない。

 死後は恐らく、先に逝った仲間たちの待つ地獄に赴く事になろう。


「いかがなさいました?」

「昨夜になって、ジジイどもが『金勇秀が良い成績をおさめたとしても、登用はお控え下さい』と言ってきおった。余も色々ごねて、官職は当分諦めたが、位の方は規定通りにする事になった」

「なるほど、確かに現実的な落としどころなのでは御座いますまいか? あの方を百官の頭に据える事は、これまでのこの国の有り様を考えますと難しゅうございます。それに、何よりお体の事もございます」

「ああ、そうだな。それはそうだ。腹立たしくて、忘れておったよ」


 王様は宋の頃考え出された殿試の不正の防止措置を復活されたのだ。かの方以外の正規の殿試の受験者はいずれも名門・有力者の子弟で有ったので、その措置は誰も反対する者は無かった。その作業・監督に当たる者を金や地位でつり、不正行為に巻き込む事ぐらいたやすいと見ていたのだとも思われる。


「身分は軽いが、どの門閥にも属さず不正を憎む者を慎重に選び、試験官の役目をさせる事にした。その時点で多少『身分が軽い者はふさわしくない』などと文句を言う者が居たにはいたが、概ね自分の派閥の子弟の仕上がりに自信が有るようで、どうにか実行できる事になった」


 だが、あの方が変則的な「三十四人目」の受験者として登場なさると、皆色々騒ぎ出したらしい。そもそも受験資格が有るのか……とか。

 王様は殊更に声を潜められた。常御所の女官か内侍の中に、王様の御言葉を盗み聞きし、後宮や廷臣に漏らす輩が居るのは確かなのだ。ただいま鋭意捜査中だが、ほぼ犯人は絞られている。常御所付き次席の向宮だ。


「あれが内侍で、その出自に関して疑わしい節が有り受験資格に問題有りとそちたちが言うなら『王の特命による人選』の特別枠を使ったと解釈しても構わん、と言い切ると皆黙った」


『王の特命』で本来は受験資格に疑問が有る人物をあえて受験させる実例は、この百年ばかり無かった事なので、皆驚き、王の今回の殿試にかけておられる期待の大きさも思い知ったのだろう。先日の別試のかの方の答案用紙は、思いの他多くの人間が国子監までわざわざ出向いて実物を確かめ、その見事さに驚嘆したようだ。


 判内侍府事としての職務権限を越える事ではあるが、かねてから国子監の下仕えや官奴婢たちを手懐け、内部の事情を探らせている。将来の廷臣の人となりや能力を承知しておく事は、王の影たる内侍にとって、必要な知識だと思うので、いささかも恥じる所は無い。


「皆、あれが状元となる事を恐れているのだ」


 状元とは首席合格者の事で、終生王に直接面会を求める権利を持ち、歴代首席合格者のみが入会できる『龍頭会』の会員となる。通常はそのまま高位高官に登用されるが、たとえ野に下っても「状元」の威力は大きい。通常、苗字の下に「状元」を付けて敬称とする。たとえばあの方なら金状元と呼ばれるわけだ。

 高向薬は第三席合格者の「探花」であったので、上位成績合格者の親睦をはかる『鼎元会』の会員ではあるが、その資格だけでは上部組織である『龍頭会』会員ほどの威力は無い。


「ですがそうなりましても『龍頭会』は迎え入れると思います」


 現在の『龍頭会』の会長は金恩成キムウンソン、言わずと知れた領議政ヨンイジョン、すなわち全ての官吏の頂点に立つ老人だ。後宮で最も位の高い側室・昌嬪様の祖父でもある。


 領議政は先日私を密かに妓楼に呼び出して、謎の人物・金勇秀について色々尋ねたのだ。


「王がそこまで信頼なさるのはなぜなのか、いきさつを知っておるか?」

「王様が市中に微行された折、幾度か御危難を御救いしたのでございます。一度は私もこの目で見ました故、確かかと」

「ほう、もしかして武官も勤まりそうか?」

「良くはわかりませんが、剣とつぶて、組手、弓はどれもなかなかのものかと」

「内侍のくせに文武両道か。これは、手ごわいな」

「本人は楽しげに高向薬の助手を務めております。科挙受験も王命に従っただけの事でして、本人の希望では御座いませんから」

「ふううむ。しかも、無欲と来ているか」

「はあ。賄賂では動きませんでしょうな。ちなみに本貫はあなた様と同じ……やもしれません」


 恐らく、間違いはないはずだ。


「ほう。別のぱっとせん金氏の養い子らしいが」

「思いの外、高貴の方たちに近い血筋です」


 大妃様の姪なのだから、これも真実だ。 


「そのような人物が、なぜまた内侍などに……」

「清との戦いの折は、色々ございましたからな」

「ふう……む……ならば、まことに惜しいな」

「王様もそのようにお考え遊ばしたのでしょう」


 さて、この私の撒いた餌に、皆はどう手を出してくるのだろう? 少なくとも、王様の御希望をある程度は通す事が出来るようになったのでは無いかと思う。

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