王の女・10
聞きなれた足音が真後ろで止まった。はて、この沈黙は何を意味するのか。
「仲が良いのだな、二人は」
正邦様は、順恵翁主を私とはさむ形で、ベンチと言うか、あずまやの長い腰かけに座った。どこに腰掛けようか一瞬迷われた、そう言う事なのだろうか?
私は姫様をまっすぐ座らせる。正邦様は別に継母と継子?の仲になるのだと御存知なわけだが、正邦様の後ろにずらずらッとついて歩いている女官やら内侍やらの手前が、どうにも宜しくない。あれっ? あの女官……袋詰めの一件の時の、あの向宮じゃあ無かろうか? そうか、あいつ、王の常御所に詰めている次席なのか……
「まあ、父上……こんな所まで、お珍しいですね」
「今度の殿試の事で、ヨンスに少しばかり話が有ったのだ」
「まあ、そうでしたか。では、父上、失礼いたします。ヨンス、またね」
順恵翁主は何か気が付いたのだろうか、どうもあの表情が気になる。もしかしたら、正邦様と私の秘密の一端に思い至ったのだろうか?
「殿試の会場を正殿の控室に変更した。大急ぎでオンドルを入れるからな」
従来会場は、二月でも吹きさらしの軒下だったのだ。
「将来、国家の柱石となる有用な人物のため」と言い、「試験以外にも朝廷の人間が協議する場所にすれば良い」と付け足すと、皆、正邦様に反対しなかったらしい。
「爺どもも、寒かったのだな」
だが、なぜ王が急にそんな事を言い出したのか、皆内心奇妙に思っているはずだ。そして、奇妙な別試の受験者、王自身が「友人」と言う宦官の存在。皆どこまで真相に迫っているのか? 誰か秘密を漏らすものが居れば,私の身も危ない。私が王の子を身籠っている事は、絶対秘密にしておかないと……
「あそこにいるのは並び方からして常御殿付きの次席の向宮ですよね。髪は白くなっていない背の高い人です」
「ああ、王位についてから私の所に配属になった者だ。どうかしたのか」
「袋詰めがどうのと指示を出していたのは、あの向宮です」
「何?」
「あの次席向宮は私の正体は知っているのですよね」
「あれに内密な話はしないが……盗み聞きされたかもしれん。女官長は病で宿下がりと言う事になっているが、判内侍府事が監禁して取り調べている。だが……あの金の飾りは、持ち主を割り出せていない筈だ。そうか。あいつか」
急ぎ高先生を通じて判内侍府事に連絡を取り、常御所詰め次席向宮の件を伝える事にする。
「それは、それとして、なぜ先ほどは立ち止まってお考えになっていたのです?」
「お前たちが妙に様になっていて、何やら仲間外れになったようで妬けたのだ」
「ええっ?」
「順恵は……お前を好もしい男として意識していると思うぞ。お前は無頓着だが」
「まさか」
「いや、間違いなかろう。まあ、内侍では将来どうにもならないとはわかっているだろうが」
「はあ……」
「その……順恵の前でお前の隣に座り、手を取るわけにも行くまいが……」
席を立つ間際に、耳をぺろりと舐められた。私は狼狽した。顔が真っ赤になったと思う。
「お前は……感じやすいな、実に、ではな」
クスッ、と笑いを漏らし、私を見つめたその顔には、してやったりと言う、いたずらに成功した子供のような嬉しげな表情が浮かんだ。
私は……三十メートルほど向こうにずらっと並ぶ行列の人々を、とてもじゃないが無視できない。他の人間に遠目にしても見られているわけで、袖越しにせよ手を握り返すわけに行かない。深々と礼をしておく。
だが歩き出してしばらくして、正邦様が「向宮も徹底的に洗うか」と呟いた声には、甘さのかけらもなかった。