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王の女・9

「ヤンホ兄さん、色々御面倒をおかけして済みませんでした」


 私は判内侍府事をいつもは護衛している茂生ムセンさんについてもらって、久しぶりに街に出た。この妓楼の奥の間は、よほどの馴染み客じゃないと入れない部屋だ。

 ここの女将とも、主な妓生とも、私は気の置けない口を利く仲だ。ヤンホ兄さんは、以前なら護衛とか帳簿関係の相談とかが主で、客にはならなかったが、近頃は商売がらみでここを良く使うようだ。

 ヤンホ兄さんに商売っ気抜きでほれ込んでいた子達二人は、それぞれ朝廷の有力者のお妾さんに納まったようだ。多分、本人はイヤだったろうけど……


 妓楼の皆は私の内侍姿に目を丸くした。そして「色々訳有りなのね」と心得顔で、何も聞かずに居てくれた。


「なあ、女の身で内侍府に潜り込んで、何やってんだ? 身を隠すだけなら、お袋様の居る寺でも十分なんだからさ。あの、梅里様って人のなさった事なんだろ?」

「ええ、まあ。今は高向薬様の所で助手をやってるわ」

「何か、他にも裏が有りそうだが、高向薬様って腕の良い方なんだってな……俺、今、薬種問屋の仕事に力を入れてるんだけどさ、戻ってきたらその、薬の仕入れの目利きを頼みたいんだ。一度、人参の贋物を掴まされてひどい目に遭ってさ……」 

「ごめん!」


 ヤンホ兄さんにまで、余り嘘はつきたくない。


「私、女官になる事が決定みたい。大王大妃様と大妃様には、もう、私が女だってバレちゃってるの」

「女官に?」

「何か成り行きでね。あの、生みの親の形見の玉牌なんだけど、大妃様がお持ちの物とあわせたら、ぴったり合っちゃったの。元はやっぱり、壁玉だったみたい」

「えええっ? って事は、スルギって大妃様の身内?」

「なのかな、わかんないけれど、ともかく、ここで商売は出来ないみたい」

「はあああ……?」

「ごめん。だからさ、私の店、完全に兄さんに譲るわ」


 兄さんは全然予想外……でもなかったのかもしれない。一瞬、笑ってるんだか泣いてるんだか良く分からないような、ひどく複雑な表情をした。


「店は、どれも良い店だけどさ……って事は、お前の器量なら、すぐ王様のお目に留まっちまうだろうなあ……ね、旦那、そう思いませんか?」

「そうだな」


 凄く無口な茂生さんの声は、妙に腹の底に響く。


「そうだなってっ……畜生っ……」

「諦めるのだな」


 兄さんは……馬鹿野郎、なんてトンマなんだ。俺。バカバカ……って言いながら、酒をあおり始めた。


「兄さん……」


 手を差し伸べようとした私の動きを、茂生さんは制止した。絶対許さないと言わんばかりの厳しい視線だった。


「御自分の御立場をお考え下さい。それに、こうした場合、慰められるとかえって辛いものだと思いますが」


 茂生さんにしては、物凄く長いせりふだ。そうかあ……ごめん。兄さん。でも、謝るのも、慰めるのも、こうした場合、私の役目では無い。それは理解できた。


「土地と店の権利書類、ここに置いて行くわ。私なりに大事に育てた店だけど、兄さんに貰ってもらうなら、安心。じゃね……行くわ、私」


 部屋を出ると振り返らない事にした。でも……兄さんが、泣いている。私、何て馬鹿だったんだろう。胸がキリキリと痛んだ。




 数日たって……薬草園の近くのあずまやで、ボーっと空を見ていたら、声をかけられた。順恵翁主様だ。


「ヨンス! ねえヨンス、どうしたの? 疲れちゃったの?」

「ちょっと、考え事をしておりました」

「何を考えていたの?」 

「友情と言うのは、実に難しい物だなと」

「ああ。ヨンスは父上のお友達なんだものね。身分だのなんだの、関係ない人がうるさい? 嫌がらせされた?」

「いえ、別の人の事なのです。不愉快な人はいつも不愉快ですから、余り気にしません」

「そうなの? ヨンスが科挙を受けるって聞いたわ。国子監で特別な試験が有ったの? 母上の所においでになった伯父様が、凄く噂になっているって話をしていたから」


 伯父様と言うのは、弘文館大提学ホンムングァン テジョハク、つまり国王の名で出される文書を起草し、儒学の典籍を研究する役所の実質的トップだ。国子監の中でも成績優秀な卒業生がなるので、裏口入学組とは毛色は違うが、実入りが少ない。歴代の大提学は内緒で高利貸しをするタイプと、清廉潔白なお堅いタイプの両極端に分かれる。

 今の大提学・張季良チャン・ゲリャンは完全に高利貸しだ。


「ほう。大提学様は何と? 変な奴が居る。宦官に科挙なんて、受かっても使い道が無い、とか仰いましたか?」

「うん。あのね、ヨンスの書も文章も文句の付けようが無いって、でも……ならなぜ、悪くおっしゃるのかしら」

「士大夫の、それも由緒正しき御家柄の方と宦官が並び立つのはけしからんと、お考えなのでしょう。どの道、張季良様は、私の上司にはなられないでしょうから、気になりません。同じお考えの方は、朝廷に沢山おいででしょうから、いちいち気にしても居れませんから」

「……でも、理不尽だわ」

「大きな声で仰ると、姫様がお叱りをこうむりますよ。それが身分の違いと言う事なのでしょうから」

「嫌な物ね、身分の違いって……」


 私は、この小さな姫様が本気で好きになった。良い子だ。


 士大夫の息子だったヤンホ兄さんは、無実の罪で死罪になったお父さんに連座して官奴に落とされたが、名誉回復してからもただの庶民のままで、士大夫に戻ろうとはしなかった。今のヤンホ兄さんなら、軽く払える金額をしかるべき筋に出せば、簡単な事なのだが。商業自体がこの国では賤業とされている事に、兄さんが怒りを感じているからだろう。兄さんなりに懸命にやってきた仕事に対する正当な評価を、この国の支配者たちは与えない。袖の下は頻繁に要求するくせに。馬鹿にした話だ。社会全体で必要不可欠な活動であるのに。国が豊かになるためには大切なのに。


「本当に、嫌ですねえ。身分の違いは……頭が固い人を説得するのは……大変なんだろうなあ」


 呟いた言葉に頷いて隣に座り体を寄せて来る小さな姫様の頭を、私はそっと撫でた。

年末年始は、更新はゆっくりになりそうです。時間の隙間を縫ってでも、どうにかしたいものですが……どうなるかなあ。


兄さんの名前、ぶれてすみません。ヤンホです。

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