王の女・4
「父上、ヨンスをご存知で?」
姫様の鋭い突込みが入る。
「よ、ヨンスは余の命の恩人なのだ。武芸の心得もあり、科挙に受かるほどの学才も有る。今は身分こそ低いが、近く位を授ける予定であるし、何より私の大切な友なのだ。昭容もしかと弁えよ」
正邦様は、手は離したが、下手すると私の衣服の埃を払いかねない雰囲気だったので、「それでは、御無礼仕ります」と恭しく頭を下げて、尚薬職に向かう事にした。
「もそっと目下の者に思いやりが持てぬのか。まるで悪鬼の形相ではないか」
なんだか、昭容様はお叱りをこうむっている。異常に良すぎる耳のおかげで、二人の会話がまる聞こえだ。
「王様……どうか、どうか、わたくしめをお見捨て無きよう……」
ありゃあ……ベソどころか、大泣きだ。
「国家の柱石たる誉れ高き家の娘が、情け無い。以前大妃様からもお叱りを被ったであろう。大声を張り上げ、手荒なまねをしでかす事で、目下の者はそなたを恐れるだろうが、慕い敬う事は無いはずだぞ。そのような事もわからぬのか。愚か者め。姫の教育にも良くないではないか」
これ以上聞いているのが気の毒で、私は足を速めた。お叱りを被った事で、昭容様の威厳は余計に損なわれただろう。
この宮中での私の幸せは……誰かの不幸の上に成り立っている。漠然とは意識していたが、その不幸な被害者を目の当たりにすると、心が痛む。だが……やはり、正邦様を誰かに取られたくない。矛盾しているが、正直な気持ちだ。
昼食の時、高先生にそんな話をすると、先生は静かにこう仰った。
「王はお一人なのに、女人は沢山なのだから致し方無い。下々の男のようにただ一人、スルギだけを妻に出来たらどんなに嬉しいかと、王は仰せだった。だが、朝廷の方々から大切な御息女方をお預かりになった以上、そうも行かない。お気の毒なことだ」
「はあ。それは、そうなのでしょうね……」
「スルギが来てくれてから、王のお顔は晴れやかだ。それまでは、いつもお辛そうなお苦しそうなご様子で、お食事も余りお進みにならないのが私も、表御殿の主治医の方々も、皆心配だった。今では、その問題も解決した。王はスルギのおかげで、真の安らぎを得られたのだと思うぞ」
深夜近くになって、正邦様がおいでになった。
ここにいらっしゃる時は王だけが着る特別な服をお召しの事が多い。着替えておいでだと、何処かにお忍びでお出かけなのかと周囲に警戒されるわけで、それもそれで面倒な側面が有るのだろう。特にお祖母様や、継母である大妃様あたりが非常に気になさるらしい。確かに、お忍びは安全上の問題が多い。
「どこに行っても、見張られっぱなしだ。疲れるな」
偽らざる本音なのだろう。屋台骨がガタガタでも、内紛だらけでも、王位を継いでしまったので逃げ出せない。何とかしなくてはいけない。そんな気持ちで懸命に務めておいでなのに、理解して貰えないのは、確かにしんどいだろう。せめて私と居る時ぐらい、寛いで欲しい。
「どいつもこいつも、自分の身内の事しか頭に無いのだ。朝廷も後宮も。ごく稀に国全体の事を考えるまともなのが居ると、逆につまはじきにあうのだから、困った物だ」
「出身地、学閥、閨閥、血縁、そんな物で皆、凝り固まっているのですね」
「ああ。後宮もそれで皆の釣り合いを取らねばいけないから、疲れる」
「あの後、昭容様は、どうなさいました? 」
どうやら私と薬草摘みをした順恵翁主様とまだ二歳の貞恵翁主様も交えて、御一緒にお茶を召し上がったらしい。翁主と言うのは側室腹の姫様を指す。中宮様、あるいは東宮時代の御正妃のお生みになった姫様は公主様と言う。こんな所にも嫡子・庶子の区別がやたらうるさい国柄がもろに反映されている。
お茶の後は常御所でお一人で昼食を召し上がったようだ。それから御政務の残りやら、各方面の面会、訪問を受けられて、入浴なさり、お一人で夕食後こちらへおいでになったらしい。
「お前、やはり懐妊したそうではないか。尚薬の所に普段は居るからと安心していたのだが、今日は心の臓が止まるかと思ったぞ」
「瓦の緩みは危険ですから、良く点検致しませんと」
「ああ。宮中の建物全てを点検させる事にした。それにしても無茶をする。本当はお前に礼を言うべきだろうが、私をこれほど心配させたのだから、言わない」
温まった部屋で一つの布団に身を寄せ合うようにしていると、外の寒さが嘘のようだ。大きな手で大切そうに腹部を撫でられた。
「健やかに無事に生まれて欲しい。くれぐれも用心してくれ。お前の身分を安定させる上で、王子の方が良いが、たとえ姫でも何とかしたい……明日、朝餉が済んだら大妃様の所に行ってくれ。迎えの者をよこす」
「大妃様ですか?」
「ああ。お前にどうしても尋ねたい事がお有りのようだ」
「一体、なんなのでしょう? 何かでお叱りを被るのでしょうか?」
「良くは分からんが、お叱りと言う事は絶対無い」
じゃあ、一体、どんな御用なのだろう?