ハードな設定・1
女の子で、なにやら事情がありそうと言う所で、既に平穏無事な暮らしは無理かもな感じですが……
「おい、大丈夫か、おい!」
「船は完全に沈没したのか」
「はい。岩に打ちつけられて、完全にバラバラです。この子の親も恐らくは……」
「異国の船らしいが、どこの物だ?」
「英吉利のようです。勝手に明国の海域でも測量をしていたようですが、我が国でも同様な活動をしていたのかもしれません。ただ、測量なら軍の関係ですから、もっと大砲などで武装していると思われます。密貿易という線も有り得ますな」
私は西洋式の毛布にくるまれている。寒い。枕元で話し込んでいる二人の男の姿を薄目を開けて確認すると、あらかじめ天使らしき存在に聞かされていた様に、李氏朝鮮時代の下級官吏と言った感じの服を着ている。
(おやまあ。私の体は女の子みたいだけど、何歳ぐらいの設定? 赤ん坊からじゃないんだ。さっきの天使? の言い草だと最初から女になるって決まってたみたい。男でもよさそうなもんなのにねえ……)
一人でうだうだ考え込んでいたら、あの天使らしき存在の声が脳裏に響く。
(あなたの場合、男として転生した回数の方が多いんですよ。今回はこの世界の八歳の女の子になってもらいます。もとの魂はその肉体を自分の意志で離れました。質問は夜寝ている間に、夢の中でどうぞ)
「倭寇や馬尼刺や麻拉加に基地を持つ阿蘭陀・英吉利・西班牙といった遠国の商人と、どうやらこの島で取引をする連中がいると以前から言われています」
「金銭を蓄えた逃亡奴婢どもが作ったという海神組か?」
「ええ。その海神組の頭目は親族の連座で官奴婢に落とされた男で、先王様の御世に反逆を企てた大物の遺児らしいです」
「ああ、都でも有名だ。恐れ多くも王様の従兄弟にあたる血筋なのだそうだな」
「はい。ただ、それ以外の事は皆目わかっておりません」
「それほどの身分であったなら、記録が色々有るだろう?」
「一昨年から昨年にかけて、いくつかの役所で不審火が続いた事が御座いましたよね。それも記録や書類のある場所ばかりが燃えるという……」
「記録類の抹消を図ったと、随分噂になったな」
「恐らく噂どおりなのでしょう。幸い頭目の記録は宮中に置かれていたようで、無傷らしいですが……でも」
「でも、どうなのだ? 」
「我々は閲覧禁止です。王命を賜った人間以外見られません。知人の伝手でと或る尚膳の方から探ってもらいましたが、特別な仕掛けのある文箱に厳重に収められているとか」
「王命を賜って見た人間は何人居るのだ?」
「内侍府の者が一人、暗行御史が一人、拝見したようですが、二人とも謎の死を遂げているとかで、宮中では『王様の不吉な文箱』として密かにうわさされているそうです」
(もしもし、『内侍府』とか『尚膳』とか『暗行御史』って、日本の隣国のかつての制度と同じですか?)
夢の中限定と言われたが、質問できそうな時は、まずは疑問をぶつけてみる。ダメモトってやつだ。
(そうです。『内侍府』とか『尚膳』は宮中の宦官関係、『暗行御史』は『春香伝』のヒーローと同じ官職ですね。ああ、ちなみにこの世界に『春香伝』は存在してません)
(歴史的ないきさつや現象はすっかり一緒、でもないんですか?)
(色々違う所もありますよ。地方行政とか税制とか、宮中内の派閥とか)
(人口は増加してます?)
(いや、殆どしてません。毎年何処かで凶作の被害があります。旱魃や洪水も珍しくないですね。乳児死亡率も高いです。宮廷以外の大型の民族資本もまるで育ってません)
(奴婢制はどうですか?)
(あなたは目が覚めたら、恐らく官奴婢として今から記録されちゃいます)
(ええっ! 両班とか中人、無理ですか?)
(この世界は両班と言う言葉を使いません。実態は一緒ですが、士大夫って言ってます。士大夫・良民・奴婢に三分割ですね。李朝で言う所の中人の上のクラスが士大夫階級の最下層で、良民は李朝で言う中人の大半から、奴婢よりも貧しい暮らしをする者まで様々です。科挙を受けられるのは、良民まで。奴婢に生まれると『免賤』されるか、犯罪に連座したせいで官奴婢に落とされた場合は、名誉回復なり恩赦なり受けないと無理です。ああ、無論女の人は誰も科挙は受けられません)
(それじゃあ、ろくに何もできないじゃないですか)
(奴婢も色々クラス分けがあって、その中で官奴婢は一番マシですから。頑張って下さいよ)
男達の話を聞くとも無く聞きながら、うつらうつらしていると、やがて夜が明けたようで、部屋の明かりが消された。何とも美味しくない雑穀の粥と白湯を出された。見れば周りの皆がそれ以外のものを飲み食いしていないので、文句を言う筋合いでもない。ありがたく、おとなしく食べる。庶民レベルではこれが普通の食事らしい。恐るべき食糧事情だ。
(あーあ、ひょっとして粥すらも無い日が結構あるとか?)
かつて半島の歴史を調べた時、李朝時代は殆ど人口が増加していないのだ。それだけ食糧事情がシビアなのだと見てよい。
「この子の体に印は無いようだな」
「はい。昨夜着替えを手伝ってくれた漁師の妻が、無いと言っておりました」
「聊か酷だが、身寄りも無い異国の幼い娘が生き抜くには、これしか方法があるまいよ」
「はあ、そうですな。他所の国には奴婢が存在しない所が多いそうですが、仕方ありません」
印? 嫌な予感がする。
まずい粥を食べたら、土間に呼び出された。勧められたので椅子には腰掛けて良いらしい。
「これ、子供。お前はどこの者だ。名は何と言う?」
「申し訳御座いません。そのう……ええっと……」
「お前が乗っていた船が嵐で大岩に叩きつけられて、完全に壊れてしまった。乗っていた人間は大半が水死したようだが、お前だけが岩にひっかかった状態で見つかったのだ。着ていた服は明国の物のようでも有り、倭国の物のようでも有る。素材は上質の絹のようだったが……」
「ええ……そうなのですか……その、何も思い出せません」
「確かに額に傷があるな。たいした事は無さそうに思ったが」
もう一人の若い方が、話しかけてきた。昨夜宮中の噂をした男だ。
「何か思い出せる事は無いか? お前はこの玉牌をずっと握り締めていたのだ。異国の服装だったが、この玉牌は我が国の物だ」
(うわっ。半分に割った『オクペ』だあ。一品から三品までの人間は燔靑玉だっけ? ヤヴァい……誰かやんごとない方の隠し子設定? うへぇ)
李氏朝鮮時代の決まりでは、こんな素材は王族かそれに近い身分の人間の持ち物で、恐らくもとは穴の小さなトローチみたいな形か? 璧と呼ぶ玉製品の形だ。飾り紐を付けて腰に下げて歩くらしい。下っ端役人らしき粥をくれた髭もじゃの中年男も、もう一人も、口調が丁寧なのはこの玉牌のおかげかもしれない。
「母の形見であったと思います。一生大切にするようにと言われまして」
「母御はどこのどなたかな? 」
「顔や声は思い出せますが、母の名も思い出せないのです」
(って言うか、設定はどうなのよ。聞いてないよ。誰なのさ? 咄嗟に母の形見って適当に言っちゃったじゃないか。本当は父親の物だったりして)
「うーむ。曰く有りげな様子だな。一度都からお越しになった上官に御相談してからが良くないか?」
「そうですね。そう致しましょうか。ですが、あの方のお人柄からすると……」
「規則通り……かもなあ」
その夜はまた、まずい粥を食べ、無事に過ぎた。が、翌日になって、たたき起こされた。