秘密の多い女・6
この国では大変に珍しいまともなお風呂に入る事が出来たのは、まあ、悪くは無いが、他は面倒な事ばかりだ。思い返せば、大変な一日だった。
御一緒に乗せていただいた馬から下りて、私だけが案内された部屋には、一癖も二癖もありそうなヒゲの無い老人と、目つきの鋭い老女が待ち受けていた。挨拶もそこそこに、いきなり首実検と言う事らしい。
まあ、この世界では重大事件、あるいは表ざたになったら一大椿事、と言う事なのだろう。何一つ見逃すものかと言わんばかりの鋭い視線を向けられっぱなしなのは、なかなかに疲れた。入社試験の最終面接ですか? と言いたくなった。
「今世間を賑わせているあの小説の作者でいらっしゃるとの事ですが、読み書きは男並み、科挙にも合格出来そうなほどだと言うのは本当ですか? 」
「護衛達と互角、あるいはそれ以上に腕が立つそうですが、腕前の程を見せて頂きたい」
科挙の試験問題をやらされて、男の装束に着がえてから、抜刀術・居合い・組み手・弓・馬術を軽く披露した。
どうやら、合格ラインであったらしい。
「お針か料理の係に入って頂く事を考えておりましたが、このように鮮やかな手際を見せて頂くと、他の方法が良いかも知れないと思います」
「護衛の者達に男装して入って頂く方が、安全かもしれません」
判内侍府事と提調尚宮、いわずと知れた宦官のボスと女官長だが、二人で顔を見合わせて妙に納得顔で、私の身の上をどうするかあれこれ自分達のペースで勝手に決めて行くのだった。
どうやら女官は女官長だけでは把握しきれないほどの数が居るし、各派閥間の抗争や水面下の足の引っ張り合いは日常茶飯事なので、手荒な手段で私を排除しようとする者への対策として、私自身が武器を扱える状況が良いと言う判断が働いたらしい。
「何でもとは行きませんが、なるべく御希望に沿うようにとのお言葉ですので、何か御座いますか?」
さっきまでの恐ろしい視線の鋭さが嘘のように、穏やかな顔つきで判内侍府事は言った。この豹変振りが怖い。
食事は自分で煮炊きしたいと言うと、女官長は最初良い顔をしなかったが、判内侍府事が「毒薬対策には、そのほうが安心かも知れませんね」と言ってくれて、希望が通った。後は「出来れば毎日入浴したいです。無理なら沐浴でも行水でも構いませんが、ともかく体を清潔にしたいのです」と言うと、本当に限られたメンバーしか入れないお風呂に毎日入る許可をくれた。普段女性達は、めったな事では入らないらしいのだ。
「ただし、入浴に出向かれるのは日が落ちてからに願います。男の格好をなさって、あたりの気配に気を配ってください。いつどこで誰が見ているとも限りませんので。浴場を管理しているのは私の腹心で口の堅い……と言いますか、口が利けない者ですから、そこから秘密が漏れる気遣いは無いでしょう」
お風呂一つでも、色々用心が必要なのだ。全く大変な所だ。
いざ、お風呂に行ってみると、釜を焚いているのは、顔面にかなりひどい火傷を負った老人だった。もとは中堅どころの内侍、つまり宮中の宦官だったが、火事に巻き込まれて以来、話ができなくなったとか。話が出来ないのだから、秘密が漏れる恐れもない。こういう発想だろう。火事だってどんな火事だったのやら。内紛による付け火とか、大いに有り得そうだ。
入浴前に挨拶をしておいた。すると、深々と腰をかがめて礼を返し、私の顔を見てにっこりしてくれた……みたいだった。嫌われなかったみたいだ。やれやれ。筆談を試みると、簡単な内容なら出来た。だが、やり取りの内容を書いた紙は、すぐ火にくべられた。この人が文字の読み書きが出来ることも、実は秘密らしいのだ。
だが、まあ、その筆談のおかげで、今現在このお風呂に入るのは、正邦様と言うか王様と、王様のお祖母様である大王大妃様、そして私のたった三人だとわかった。そうなのだ。やっぱり、正邦様は王様なのだ。それは薄々、出会ったごく早い時期から疑っていたし、付き合いが長くなるにつれて、その疑いは殆ど確信になっていたから、その事自体びっくりでも何でも無かったが……普通に考えて、恋愛できる相手ではない。
「だからお互い踏み込まないようにしていたはずなのに……」
こうなってしまった。
処女喪失の後、ろくに体も洗えなかったので、やっとすっきりさっぱりした。だが、問題はこれからなのだ。