秘密の多い女・5
急展開、です。
「スルギ、許せ」
いきなり真夜中に我が家にやってきた梅里様は、いつものように富裕な士大夫の若様と言う雰囲気の出で立ちだったが、珍しい事に少し酒臭かった。
「まあ、妓楼にでもお出かけでしたか? それともどこぞで宴会でも? 」
「お前が居ないのに、飲んでも大して美味くない。近頃顔を見ておらぬので、寂しくてならなかった」
いつもより感情的になっておいでだ。声の調子が熱っぽい。
「御正室や御側室がおいででしょうに」
「居るには居るが、別に、義理や付き合いでそう言う仲になっただけの事。幼馴染であった最初の正室を亡くしてからは、どの女にも心を許せないのだ……すまない、本当にすまない」
狭い部屋だ。いきなり抱きしめられてしまうと、逃げる場所が無い。いや、逃げたいわけではない。だが、行く先々を思うと怖いのも事実だ。
「謝らないで下さい」
「イヤなら、私を突き倒して、頬を打て」
やはり、イヤではない。突き倒す事も、頬を打つ事もできない。ならば、もう覚悟を決めるより他無い。
「イヤではありません」
「私は……お前を幸せにする自信が無い。あのお前が書いた『大寿』の中の男達のように、お前に不幸と災いをもたらすだけなのかもしれない。だが、私はお前を好いている。言うのをやめておこうと幾度も思ったが、そう思えば思うほど、お前への気持ちが膨らんで、もはやどうにもならないのだ」
「私は卑しい身分の女ですが、それでも、あなた様をお慕いしてきました」
やはり、色々面倒なのはわかっているのに、付き合いをやめなかったのは、この方が好きだからだ。
「一度奴婢に落とされたとはいえ、士大夫の息女ではないか」
「いいえ、私は拾われた子、養い子なのです。実の親から貰った物はこの体とこの玉牌だけです」
私は玉牌を腰から外し、梅里様の着物の懐に入れた。すると梅里様も御自分の腰の物を片手でもどかしげに外そうとする。
「頂けません。御手元にいつもの玉牌が無いと、皆様の手前、お困りになるのでは無いですか?」
玉牌が別の物に変わっていたら、誰かが見咎めるのではないかと思ったのだ。そうなればこの方はお困りになるだろうに……
「寂しい事を言ってくれるな。せめて玉牌の交換ぐらい、させてくれ」
玉牌は玉を使った飾りだが、この国ではこうした腰や胸元に付ける飾り物を男女で交換するのは、互いに特別な存在であると認めたと言う印だ。私の胸元に捻じ込まれた玉牌は、見事な紅玉製の龍だった。とんでもない高級品、いや、特別な家宝と言う意味合いの品かもしれなかった。
「本当に、こんなに立派な物は、頂けません」
「お前が親の形見をくれたのだ。つりあいは取れている」
「でも……」
「受け取れ。受け取るのだ、スルギ」
それから、噛み付くような激しいキスをされて……この世界に来て初めての体験をした。幾度も幾度も「すまない」「許せ」と言いながら、梅里様は情熱的だった。確かに初体験は痛みを伴うが。この世界での状況を考えると、幸せな初体験だと言って良いと思う。少なくとも、好きな相手であったのだし。まあ、結婚は無理だが……
「初めてであったのだな。すまない。その……男女の機微を色々と判っているようであったので、経験は有るのだとばかり、勝手に思い込んでいたのだ。すまない、本当にすまない」
「謝らないで下さい。いけない事をしたのだと思いたくありません」
「本当は、お前の身が危険だから私の手元に引き取る、そう言う話だけをするはずだったのだが、お前の顔を見ているうちに、他の男に取られたくないなどと思ってしまってな……」
「そんなに、危ないのですか? 」
「ああ。あの噂になっている高官達が、ここを嗅ぎ付けた可能性がある。だから、一緒に来てくれ」
住み慣れた家をいきなり空けるのも、それに色々面倒な人が住んでいそうなこの方のお住まいに行くのも、正直言って気が進まない。狭い家の一つきりの布団の上で、体を寄せ合うなどと言う幸せからは、永遠に切り離されるような気がして、怖い。
「御正室様にはなんと言って? お怒りを買ったりして、鞭打たれたりするのは……」
この国の身分有る家の正室は、他の女に対する生殺与奪の権を握っている。
「そこは、気の利いた者に目配りさせて、お前が罰せられたりしないようにする。何か有れば、私がすぐに善処する。その……最初はすまないが、召使と言う扱いになってしまうが、すぐに何とかする」
「それで十分です。あのう……御名前を教えてはいただけませんか?」
「正邦だ。これから、私をそう呼んでくれ。他の者にはそんな呼び方を許していない。お前だけの特権だ。迷惑かもしれないが、私の気持ちだと思ってくれ。……さあ、スルギ、私の名を呼んでみてくれ」
「正邦様……」
梅里様、いや正邦様はパッと嬉しげな表情になり、私に優しいキスをしてくれた。
苗字は……聞かなくても、はっきりしているような気がした。