最弱転生者の異世界安全策
途切れかけた意識に、突然、声が聞こえてきた。
「うわぁ。こんな脆弱な魂、初めて見たよ。よく今まで無事に生きてたね」
「……は?」
「ああ、ごめんね。わけがわからないよね」
暗転していた視界に光が戻ってくる。目の前には男が一人。そいつは異世界の神を名乗った。僕は勇者の召喚に巻き込まれたそうだ。今時もうそんなのは流行らないぞと思うのに、現実なのだから仕方がない。僕は異世界の神様に抗議した。けれど、僕の体は消滅していて、地球にも戻れないらしい。確かに手足が透けている。
「じゃあせめて……何か、この世界で生きるための力とか加護とか、そういうものをくださいよ」
そう言ってから、体はないのに声は出るのかと不思議に思った。
「そうだね。ええと……」
神様と言われて想像するよりずっと親しみやすい、あけすけに言えば地味で平凡に見える男神が、僕をじっと見つめて沈黙した。
「…………」
「…………」
僕も沈黙した。何を言えばいいかわからなかったから。
「…………」
「…………あの」
先に折れたのは僕の方だった。
「なんで黙るんですか」
「いやぁ」
神様が苦笑した。
「君、魔法の才能がなさすぎて」
「……そうなの?」
「うん。無理に魔力を増やすとかすると、体も魂も耐えきれない」
「そんな……」
「下手したら魔法が暴走して爆散する」
「ば、爆散!?」
せっかくの異世界だというのに、魔法を使えるようにはならないのか。
「最低限の生活魔法だけなら使えるかなぁ。明かりを作るとか、汚れを落とすとか」
いや、待てよ。考えようによってはそれだって十分すごいかもしれない。
「それって、クリーニング店や清掃の仕事ができたり」
「あ、それは無理」
「え?」
「だって君、魔力少ないもん」
神様は「無理無理」と繰り返した。
「あんまり魔法をたくさん使うと倒れちゃうよ」
「じ、じゃあ、魔法以外のチートは?」
「うーん……」
神様はまた黙った。
「…………」
僕もまた黙った。
「…………」
「…………」
やがて、神様が「あはは」と乾いた笑い声を上げた。
「君、武器を持つのも向いてないねぇ」
「……そうですか……」
「うん。びっくりするほど素質がない。自分で自分を傷つけるだろうから、やめた方がいいね」
確かに高校の選択授業で剣道に触れた時の成績は散々だったが。
「で、でも。剣と魔法の世界なんでしょう? 魔物や盗賊が出るんですよね?」
「そうだねー。君が居た日本ほど治安は良くないなぁ」
「じゃあ、戦えなかったら」
「簡単に死んじゃう」
「そんな」
理不尽な話じゃないか。僕は自分の意思でここに来たわけじゃない。多少の不満はあってもごく普通の会社員として平和な暮らしをしていたというのに。
「どうにかしてくださいよ!」
「どうにかって」
「僕が長生きできるようにしてください」
「ふむ……」
神様は少しの間考えるような素振りを見せた。僕は期待して待った。
「……できなくは、ない」
「本当ですか!?」
思わず前のめりに⸺今の僕には体がないが気分の問題だ⸺なった僕に、神様は苦い顔をして言った。
「でも、気が進まないなぁ……」
「どうしてですか」
「長生きできるっていうか、死なないようにするっていうのが正しいからね」
それのどこがいけないのかわからない。
「どういうことですか?」
「君に輪廻の女神の加護をつけて、何度でも蘇るようにすることなら、できる」
「よみ……?」
「生き返るだけで、何度でも死ぬ。正確には本当に死ぬ寸前で復活する」
「……え」
待ってくれ。そんなのほとんどゾンビじゃないか。つまりは人間じゃなくなる。いや、それ以前に。
「痛かったりとかは」
「するねぇ」
「じゃあ嫌ですよ!」
そもそも長生きできていない。蘇るだけで何度でも死ぬって。そんなの、本当に生きているとは言えないだろう。
「どうにかならないんですか。僕が僕のまま死なずにこの世界で長生きする方法は!?」
「君のための聖域に引きこもるなんてどう?」
「聖域?」
「そう。魔物は入って来られない。悪意のある人間も入れない。そこに居る限りは安全だよ」
「じゃあ、そこでなら長生きできるんですね?」
「……いやぁ、どうかなあ」
どういう意味だ、その『どうかなあ』って。
「だって、悪意のまったくない人間なんていないからね。聖域には誰も入れない。君だけ。一人ぼっち。ずーっと」
「う……」
それは駄目だ。駄目だろう。だって、ただでさえ孤独なのだ。異世界だぞ。家族も友人も居ないんだぞ。
「……他に、方法は」
「君が自分で戦おうとすることに無理があるんだよねぇ」
「じゃあ、護衛が居るような立場だったら」
うんうん、いいんじゃないか? 守ってもらって長生きするというのは。
「護衛かぁ」
「そうです。どこかの国の王子様とか。護衛がいっぱい居て、自分では戦わなくていいような」
「確かにそれなら自分で戦う必要はないけどね」
神様は「でも」とつぶやいた。
「君が魔法を使えないのも、武器を持てないのも変わらない。そこはどうしようもないからね」
「だけど、代わりに戦ってくれる人が居るんですよね?」
「そうだね」
「ならいいんじゃないですか」
神様は何やらためらうような顔をしていた。
「でもねぇ」
「……何がいけないんですか?」
「だって、この世界で王子様が剣を持てない魔法は使えないって、相当な落ちこぼれだよ?」
「それは」
確かにそうなのだろう。役立たずだと思われたり、実際に罵られたりするかもしれない。
「下手すると粛清されちゃう」
「え」
「だって王家の恥だもん」
僕が考えていたよりずっと、異世界の王族は物騒だった。
「何かないんですか。僕が安全に長生きできる方法は」
「よし。こうしよう」
神様が頷いた。
「君のための聖域を持ち歩けるものにする」
「持ち歩けるもの?」
「そう。何かあったらそこに逃げ込めば危険をやり過ごせるように」
「いいじゃないですか、それ!」
「ついでに君の許可があれば他の人も出入りできるようにしよう」
「なんだ。そういうのできるんですね?」
それなら確かに孤独も解消されそうである。
あ、でも。
「僕は魔法を使えないんですよね? 結界を自分で張るとかできないなら……どうやって持ち歩くんですか」
「そこは物で補おうか」
「物?」
「聖域につながる魔法のドアと、それを収納できる魔法の鞄をあげるよ」
それってあれか、超有名ネコ型ロボットのアレみたいな。
「その鞄には君にしか使えないように制限をかけておくよ。もし失くしても君の手元に戻るようにする」
「それなら安心ですね」
ふと、自分の透けている体を見下ろした。
「赤ん坊に転生して動けない、とか。ないですよね?」
「大丈夫。ちゃんと体は作ってあげるからね」
神様が微笑んで、僕はようやく、異世界で生きることを了承した。
***
古く黄ばんだ畳の六畳間。追い炊きなんて便利機能はない狭い風呂。作業台としては低くて腰が痛くなるシンク。それはどれも僕が暮らしていた古い安アパートの設備そのもの。だけど夜になって空を見れば、妙に青い月が二つ。外は異世界である。
神様が僕にくれた『聖域のドア』が、妙に見慣れたものだとは思った。でも。まさかその奥に広がる『聖域』がボロアパートの僕の部屋だとは。
「……異世界、なのになぁ。ここ」
追加サービスだか加護だか知らないが、この部屋にあるものは、減らないらしい。醤油も味噌も米もコーラもポテトチップスも発泡酒もインスタントコーヒーも、冷蔵庫の中の野菜や肉までもがいつの間にか補充されている。おまけにテレビゲームが普通に動いた。
玄関のドアを少しだけ開けてみる。外はうっそうとした森で、人の気配はなく、町も見えない。湿った土のにおいが流れ込んできた。怖い。そっと閉めて、僕はテレビの前に戻った。これじゃあ引きこもりだ。
「大丈夫、もうちょっとだけ。もうちょっとだけ慣れたら……町に行くんだ」
きっと、異世界の人だって、怖いばかりではないはずだ。いざとなったらこの部屋に逃げ帰ればいいんだし。何より、結局。僕一人だけのための『聖域』は、寂しかった。
……あれ?
減らない、んだよな。米も味噌も。
だったら、もしかして僕はとんでもなく優秀な商人になれるのでは?
うん。きっとなれる。この世界では馴染みがないというのなら、食べ方も教えていけばいいのだし。なんだ。意外とどうにかなりそうじゃないか。
「よし。町に行こう」
頑張るぞ。そう思って、薄い布団に横になった。
この『聖域』からは米粒ひとつすらそのままでは持ち出せないと知るまで、あと十五時間。




