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数え癖           :約2500文字

作者: 雉白書屋

 夜。いつもの帰り道だというのに、やけに足取りが軽い。つい、タン、タタンと靴底でアスファルトを叩いて、頬が緩んでしまう。いやあ、なんだか調子がいいぞ。

 おれはどうにも頭が悪い。考えるより先に口が動き、余計なことを言っては空気を凍らせ、一人で後悔する。そんな失敗の繰り返しだった。だが、ここ数日は違う。この前、会社の先輩からもらった助言が効いているのだ。


『何か言う前に、頭の中でゆっくり五秒数えろ。五秒経って、それでも言うべきだと思ったら言えばいい』


 まあ、どこかで聞いたことのある話だし、会話のテンポが悪くなるんじゃないかとも思った。だが、実際に試してみると、これがずばり効いた。パズルのピースがはまるように、見事に噛み合ったのだ。

 本日も失言なし。反省することもなし。むしろ、おれは口下手なくせに今まで必要以上に喋りすぎていたのかもしれない。

 ここ数日だけじゃないぞ。これからは、ずっとうまくやれる。……ん?


 曲がり角を曲がった、そのときだった。暗がりの中で男が二人、激しく揉み合っていた。一方がもう一方の胸ぐらを掴み、コンクリートの塀に叩きつけるように押しつけていた。

 喧嘩か? それとも強盗か? いや、知り合い同士でちょっとふざけ合っているだけかも――あっ! 

 おれは思わず息を呑んだ。

 片方の男が、もう一方を蹴りつけたのだ。

 それも一発じゃない。二、三、四、五、六……立て続けに、蹴り、蹴り、蹴り、蹴り、蹴り、蹴り――なんと十二連発だ。鈍い音が夜気に響き、蹴られている男の体がぬいぐるみのように揺れる。


 これは止めなくては――そう思い、おれは慌てて男たちに駆け寄った。


「あ――」


 だが手を伸ばし、声をかけようとした瞬間、ぴたりと立ち止まった。


 いや、待て……。状況もわからずに首を突っ込んでいいのか? 蹴られている男のほうが悪い可能性もある。あれだけ激しく蹴るなんて、ただ事じゃない。よほどの事情があるのかも。下手に止めに入って逃がしてしまったら、あとで何を言われるかわかったものじゃない。責任なんて取れないぞ。

 そう……泥棒か、あるいは妻の浮気相手。もしくは詐欺の下っ端かもしれない。身内が金を騙し取られたのだ。おれの祖母も、昔数百万を騙し取られたことがあった。その知らせを聞いたときの母の様子が今も忘れられない。祖母を責めるに責められず、ただ悔しみ、犯人に怒っていた。思い出すと、胸の奥がじくりと痛む。だから蹴りたくなる気持ちもわかる。

 ……いやいや、何を考えているんだ。まず止めるべきだろう。単純に、蹴っているほうが加害者かもしれないじゃないか。

 よし行くぞ――おっと、危ない危ない。五秒ルールを忘れるところだった。まずは五秒数えてからだ。


 いち、にー、さん、しー、五、六、七、八、九、十、十一、十二――。


「また十二連発だ……あっ」


 思わず口に出してしまった。蹴っていた男がぴたりと動きを止めた。

 ゆっくりと首だけがこちらを向く。その目が、ぎらりと光った気がした。


「……は?」


「え、いや、あの……何をして――」


 落ち着け。むしろ話をするきっかけができて、よかったじゃないか。よし、まずは五秒だ。

 いち、にー、さん、し……五、六、七、八、九、十、十一、十二――。


「すごい、また十二連発……」


 おれが何も言わなかったせいか、男は再び足を振り上げ、容赦なく蹴り始めた。倒れた体が小刻みに跳ねる。

 ああ、この五秒ルールを意識するようになってからというもの、数を数える癖がすっかり染みついてしまった。信号待ちの時間、コンビニやスーパーの会計の待ち時間、駅から会社までのマンホールの数、空を横切る鳥の数――気づけば、何でも数えている。

 いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。早く止めなければ。よし、もう一度だ……。

 いち、に、さん、し、五、六、七、八、九、十、十一、十二、十三、十四…………。


「じゅ、十六連発」


 ああ、まただ。もう一回――いち、に、さん……十八、十九……。


「二十二連発!」


 いち、に、さん、し……三十二……四十一……。


「ご、五十連発!」


 蹴りの雨は止まなかった。やがて男は肩で息をし、荒い呼吸のまま、倒れた相手をその場に残して去っていった。その足音が遠ざかるまで、おれはただ立ち尽くし、数を数え続けていた。

 辺りに静寂が戻り、はっと我に返ったおれは、倒れた男に近づこうと一歩踏み出した。

 そのときだった。近くの家から、ガチャリとドアの鍵が開く音がした。

 おれはびくっと跳び上がり、次の瞬間には反射的に走り出していた。


 家に帰ると、胸の奥から嫌悪感と後悔が一気にせり上がってきた。あの男、どうなったのだろうか。救急車を呼ぶべきだった……いや、近所の人が気づいたはずだ。大丈夫だ。問題ない……。それに、下手に首を突っ込んでいたら、おれのほうが手ひどくやられていたかもしれない。

 そうだ。今回も五秒ルールに助けられたのだ。

 おれは頭の中で五秒数え、ゆっくりと呼吸を整え、自分に言い聞かせた。


 翌日の昼。おれは上司にデスクの前まで呼び出された。


「今、ネットで騒ぎになっていて、ニュースにも出ているんだが……これ、君じゃないか?」


 そう言って、上司はスマートフォンの画面をこちらに向けた。


「あっ――」


 おれは思わず声を漏らした。画面に映っていたのは、暗がりで一方的に暴行を加える男と、そのすぐそばで立ち尽くす別の男。説明文には、助けもせずにただ見ていた――そんな文言が並んでいた。

 どうやら、近くの家の防犯カメラが一部始終を捉えていたらしい。家主が動画をネットに投稿し、瞬く間に拡散したのだという。

 そして、その“見ていた男”というのは――間違いなく、おれだった。


「どうなんだ?」


「い、いやあ、僕が! 僕が蹴るわけないじゃないですか! わかりますよね? 馬鹿じゃないんだから」


「馬鹿……? 私に、馬鹿と言ったのか?」


「あ、い、いえ、そういう意味ではなくてですね、普通に考えて、普通に僕が蹴るわけないですよ。何言ってんですかって感じです」


「君が蹴っていた男じゃないことはわかってるよ! なぜ助けもせず、ただ見ていたのかと聞いているんだ」


「い、いや、あの、気づいたのが十二発目だったから……じゃなくて、たまたま『十二』を見たのでして、いや、あの」


 言葉が絡まり、うまく出てこない。なんで――あっ、そうだ。落ち着け……五秒ルールだ。数えながら頭を整理するんだ。


 いち、に、さん、しー……く……び…………?

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