8
聖地に戻ってから、これまで以上にミヤは治癒能力の訓練に精を出すようになった。
ふと、その合間に何か忘れていることがあるのではないかと思う。記憶を辿っていき、はたとカイルと会っていないことに気付いた。
サァァ……と血の気が引いていく。
自分のことで精いっぱいで、騎士たちの訓練場に顔を出せていなかった。
約束した日には任務で席を外していた。それについては彼女から聞かされなくても情報は耳に入っていることだろう。
窓の外を見やれば、陽はとっくに落ちている。
昼夜問わずに練習をしていた。ミヤは急いで外套を手に取る。
最近は、彼女の寝室に灯りがあると見回りは来ない。
治癒の練習をしていると、皆が知っているからだ。
そっと抜け出して外壁へと向かう。
少し乱暴に、以前会った小部屋の戸を開けた。すると、そこで待っていた彼は勢いよく顔を上げて、ミヤの無事を認めるとホッと胸を撫で下ろしたようだった。
「カイル……ごめん……ごめんね……」
ぎゅっと冷え切った手を握りしめる。
約束の日から毎晩ずっと彼はここで待っていたのだろう。幼馴染がいかにも苦もないような顔をして、そういうことをしてしまうかをミヤはよく知っていた。
「ここのところ、訓練場にも来ないから忙しいんだろうとは思ってた」
「待たせてごめん。寒かったよね。唇も真っ青……」
頬に手を添えると視線を避けるようにカイルは下を向いた。
「俺がやりたくてやってたことだ。謝られるようなことじゃない」
そう言いつつ、ふと彼女の手首の包帯に気付いたようだった。
カイルは驚いて目を見開いた。
「あ、これ? 気にしないで。治癒の練習をしてて自分で切ったの」
彼はしばらく無言だった。
包帯に血が滲んだところがある。その部分をじっと見つめていた。
「痛くないのか?」
「うーん……痛いけど、実際に魔物と戦って怪我をした人たちは、こんな怪我じゃ済まないでしょう。だから、このくらいサッと治せない私が悪いの」
「それは……」
彼は何か言いたそうにしたが、口を噤むことを選んだらしい。
ミヤは前回と同じ木箱に腰かけた。
「その、どうなんだ。他の聖女たちとは」
「ふふっ。カイルったらお父さんみたい」
手首が視界に入るたびに彼が苦虫を嚙み潰したような表情をするから、ミヤは裾を引っ張って押さえた。
「どうかな……相変わらずだよ。みんなすごいの。私より後に聖女になったのに、もう治癒能力は先を越されちゃった。浄化はまだ上手くできないみたいだけど、きっとすぐに追い越されちゃうんだろうなぁ」
「仲良くなれたのか?」
「ううん。それもまだ。今回の遠征で多分がっかりさせちゃったと思う。怪我をした人たちを不安にさせちゃったし。アナスタシアに助けてもらって、余計なことするなとも言われちゃった」
幼馴染の目付きが険を帯びる。
「あんな悔しい気持ちには、もうなりたくないって思ったの。もっと、もーっと頑張らないとなの。だから応援してね」
笑顔を崩さない彼女を前にしてしまえば、彼が矛を収めることは知っていた。つい口を滑らせてしまった。カイルには過保護なところがあることを忘れていた。おまけに喧嘩っ早い。
同郷の友が傷つけられたと判断したら、例え誤解でも彼が次に何をするかなんて火を見るよりも明らかだった。
深い溜息にミヤは肩を震わせる。
てっきり怒られるかと思ったが、彼はポケットに手を突っ込んで何かを探し始めた。
目当てのものはすぐに見つかったようだ。目の前に差し出されたクッキーに首を傾げた。
「くれるの?」
「これに見覚えないか?」
「んん?」
受け取って矯めつ眇めつ観察する。止める間もなくパクッと口に入れた。
舌の上でナッツの欠片を転がしながら、口の中いっぱいに広がる甘い味に「うん」と頷く。
「私の作ったクッキーだね」
「ノータイムで食うなよ。もうこれ一つしかないんだからな」
ぎりりと睨まれて、笑って誤魔化す。
「でも何でカイルがこれを持ってるの? 最初の聖女たちのお茶会で出して以降は……侍女とのお茶会練習のときにしか出してないはずだし、前に作ってからもう結構経ってるよ」
「練習のときに余りは出なかったのか?」
「出たよ。そういえば、それがどうなったのかは知らないなぁ」
彼女は「不思議だなぁ」とのんきだった。
「これが騎士見習いの間で出回り出したのが十日前くらいだ」
「たくさん作ったから侍女たちがおすそ分けしてくれたのかな」
「だったら良いんだけどな」
その口振りには含みがあった。
「どういうこと?」
「亡霊騒ぎが収まったのは聖女たちが不在の間だってことだ。それが偶然ならいいけどなってことだ」
「……私、お化けじゃないよ?」
足だってあるし、と服の裾をめくるとプイと顔を逸らされてしまう。
「お前じゃないなら、噂の正体は他の聖女かもしれない。もしくは、遠征に参加した誰かかもな」
「ええー? 何のために? 理由がないよ」
「少なくとも俺たちの間では、この差し入れは助かってる。腹いっぱい食えるほど与えられてないからな」
バルトが「食事時は戦場のようだ」と形容していたことを思い出す。
ミヤが難しい顔をしているとカイルは優しく頭を撫でた。
「まぁ、良かっただろ。本物のお化けじゃなかったみたいで。ただの泥棒騒ぎだ。そのうち犯人は捕まる」
「そうなのかなぁ」
どこか引っかかるものを感じながら、ミヤは唇を尖らせた。




