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侍女たちが引き払った後、ミヤはベッドの中で息をひそめ、機を窺っていた。
通路からは、まだ時折人の気配がする。眠ってしまわないように、これからやろうとしていることを頭の中で順を追って整理した。
ベッドの下には既に外套と靴を忍ばせている。ミヤが寝起きしているのは大聖堂の敷地内にある棟だ。聖女たちは、聖者たちとは別の棟にそれぞれ居室を与えられている。日当たりの良い南側の部屋が彼女に与えられた部屋だった。
聖女たちは寝食を共にして切磋琢磨することを期待されているようだが、同じ屋根の下に住んでいても顔を合わせる機会は滅多になかった。合わせる気もないのだろう。ミヤもそれは気付いていたけれど、諦めずに度々お茶会の誘いだけは欠かしていなかった。
(本当は手紙じゃなくて直接誘いたいんだけど、部屋に行ってみても会わせてもらえなかったのよね)
予告なしの訪問も忌避される行いらしい。
村にいた頃のように相手の家の前で「あーそーぼ!」と気軽に声をかけるのはタブーだったようだ。
難しいなぁと独白するけれど、ここはミヤが彼女たちの流儀に合わせるべきなのだと理解していた。
そんなわけで、無謀な夜の冒険を諫めてくれる友人のような相手はここにはいないのだった。
一番反対しそうな侍女たちには、もちろん出歩くつもりであることを話していない。お化け騒ぎで彼女たちも少しナーバスになっているからだ。
夜も更けた頃、ベッドから素早く抜け出した。
靴を履いて外套をまとう。慌ててしまったせいで足元がもつれた。
慎重にドアを開け、外の様子を覗いた。人影はない。
極力足音を立てないように廊下を走り抜ける。
外壁への道筋は昼間のうちに頭に入れてあった。だが、通ったこともない小道に迷い込んでしまったり夜警から身を隠したりと遠回りになってしまった。
予想以上に時間がかかってしまったことに焦る。相手が待っている保証はない。
外壁の無数のドアの中から、勘でひとつ選んで入った。
彼が見つめていたのは確かこの方角だった。
(間違ってたらどうしよう)
一段駆け上がるごとに心臓も跳ねた。
爪先が石の床を蹴る音だけが木霊して不安を煽る。
(もし違ってたら、すぐに戻ろう)
弱気になってきていた。
お化けが出るかもしれないし、騎士たちに見つかって怒られるかもしれない。
階段を全て上がり切る前に、不意に脇の木のドアが軋んだ。悲鳴を上げる間もなく手首を引かれて連れ込まれる。
腕を引いてきた相手は、たたらを踏むミヤを受け止めた。
恐る恐る顔を上げると、そこにいたのはお化けでも見回りの騎士でもなかった。
「カイル!」
「シー。声が大きい」
つい声が大きくなってしまう。
久々に幼馴染と話せたことが嬉しくて、ぎゅっと腹にしがみついた。
カイルは宙で手を彷徨わせた後、両手を上げたまま諦めたように溜息を吐いた。
「ミヤ。離せ」
「あ。ごめんね。嬉しくなっちゃって、つい」
興奮のままに抱き着いてしまったことが恥ずかしかった。
カイルの態度が、村にいた頃と何ら変わりないという安堵から勝手に口角が上がってしまう。
「随分と気付くのが遅かったな」
そんな皮肉を言いながら、彼は手近な木箱に腰を下ろした。その隣に座ると正面の箱を指さされる。
むうっとむくれながら言うとおりにした。
「分かりづらいよ! すぐ目を逸らすから嫌われちゃったものだとばかり思ってた」
「俺がオマエを? そんなことあるわけないだろ」
「だよね。カイルとだけじゃなくて、誰とでも仲良くできる自信があったんだぁ……でも最近ちょっと上手くいってなくて」
「他の聖女たちか?」
「そう! たぶん文化? そういうのが違うんだと思う。お貴族様っていーっぱい決まり事があるんだって」
両手を広げて表現してみせるとカイルはフッと笑った。調子が出てきてミヤは更に近況を身振り手振りで話して聞かせる。
彼は大きな反応こそなかったが、静かに彼女の話に頷いた。それは村にいた頃と何も変わらない。普段通りの二人の光景だった。
一通り話し終えてミヤは満足した。
ぱたぱたと足を前後に動かしながら「訓練大変?」と聞く。
カイルは腕を組んで「うーん」と考え込む。
「……いや、別に」
間違いなく嘘だった。
彼は他の見習い騎士のように脱落しているところを見たことはないが、大汗をかいて気合いで立っているように見えた。
ミヤばかり話してしまったから彼の愚痴も聞きたかった。だが弱音を吐くような性格ではない。強がりだった。
「私はね、みんなと上手くいってないし、治癒の技術も上達しないし。全然だめだめなの」
「らしいな」
「あ。知ってたの?」
やっぱり噂になってたかぁと笑顔をつくる。恥ずかしいなと独りごち、俯いた。
「つらいか?」
「そうだねぇ。侍女は優しくしてくれるけど大人だから。お友だちってかんじじゃない。疎外感を感じることが、こんなに悲しいものだなんて知らなかったな」
「聖女、辞めたらいいだろ。それで、一緒に村に帰ろう」
室内は暗くて彼の表情がよく見えない。
ミヤはすぐに首を横に振った。
(それはね、できないんだよ)
一層笑みを濃くして魅力的な提案を断った。
カイルは心なしか落ち込んだように見えたけれど錯覚だろう。
名残惜しかったが明日もあるという彼の言葉を受けて、二人は次の約束をしてから、その場を後にした。
(余計なこと言っちゃったなぁ)
自室へと戻る道すがら、ミヤは頭の中で大反省会を開いていた。議題はもちろん、先程の幼馴染との会話だ。
(カイルだって大変なのに、私ばっかり落ち込んでたらいけないよね)
よし、と気合いを入れる。
明日からまた頑張ろう。ネガティブなことばかりを数えているから気分が落ちてしまうのだ。
カイルとのことだって、諦めずに考え続けていたら、彼の狙いはミヤを遠ざけることではなかった。去り際に「話せて良かった」と小さな声で言われた。
カイルはミヤの気分を上げることに関しては天才的だ。その一言ですっかり元気になってしまった。
軽い足取りで石畳の通路を進んでいく。
夜警の騎士たちに見つかるわけにはいかなかったけれど、全身がぽかぽかしていて発散せずにはいられなかった。
月明りに照らされてミヤの影が踊る。
それがぱたりと止まったのは、食糧庫に近付いたときだった。
(何だろう、あれ)
視界の隅を横切るものがあった。足を止め、じっと目を凝らす。
ひらひらとはためく布は真っ白なシーツのようだった。ちょうど人一人分の大きさの塊が動いている。向こうはこちらに気付いていないようだった。
ハッとして、慌てて柱の陰に身を隠す。
(人? 精霊の悪戯?)
騎士にしては背丈が足りない。
瞬間、首無しの亡霊が街を彷徨って子どもを攫う御伽噺を思い出してしまい、足が竦んだ。
(侍女たちが言っていたお化けだ!)
夜な夜な徘徊している者の正体に恐れおののく。
亡霊は、すぐに通路の角を曲がって見えなくなってしまう。追いかける勇気などなかった。
しばらく呆然としてから、背筋が冷えていく感覚で正気に戻る。
なりふり構わず駆けた。幸いにも、その後は誰に遭遇することなくベッドまで直行できた。寝つけずに何度も寝返りを打つ。心臓がどきどきと落ち着かず、すぐに誰かに話してしまいたかったが、そんな相手はミヤにはいないのだった。
(次にカイルに会ったときに相談してみよう)
唯一の相手を思い出し、ミヤは首無しの亡霊に襲われるという嫌な想像を振り払うように強く目を閉じた。




