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任命式から半月ほどが経った。
他の聖女たちとの仲は変わらずだったが、ミヤには楽しみが生まれていた。
騎士たちの訓練見学と、お菓子作りだ。
騎士たちはミヤに優しい。お菓子は聖女たちには食べてもらえなかったけれど、騎士たちとミヤ付きの侍女たちならば、むしろ率先して受け取ってくれた。
「ミヤ様の作るお菓子は美味しいですね」
今日も調理場を借りてシフォンケーキを作った。いの一番に食べてくれたのはシンシアだ。
彼女は以前のお茶会でミヤを止めなかったことを後悔しているらしい。気にしなくていいのよと言ったのだが、責任感の強い侍女はこの気分転換に全面協力してくれていた。
数名の侍女たちとテーブルを囲んでいると、まるであのときのお茶会の再現のようだと思った。
苦い経験を上塗りするように、楽しい時間を過ごした。
「ミヤ様。本日もまた訓練場に行かれますか?」
「うん。そのつもり。ケーキを持って行ってあげるんだ」
「素敵です。ですが、お早めにお戻りくださいね。近頃、良くない噂があるのです」
「良くない噂?」
侍女のうちの一人が声を潜めて助言する。
「はい。近頃、お化けが出ると下働きの間では話題になっています。なんでも、食料がごっそりなくなるとか」
「ネズミや泥棒の仕業じゃないのかな」
真っ先に浮かんだ犯人の予想を彼女はすぐさま否定する。
「いいえ。ネズミだとすれば食べかすが残されていないのは不自然です。この聖地メディティアには泥棒なんて入り込む余地がないから、余計に不思議なのです」
「あ、そっか。許可された人しか入ることができない結界があるんだよね」
「そのとおりです。目撃者によると人影が浮いていたなんて証言もあるくらいで」
「足がなかったってこと?」
「そうみたいですよ」
ミヤはぶるりと体を震わせた。
お化けなんて生まれて一度も遭遇したことはないけれど、絵本の中ではやたらとおどろおどろしく描かれていた。
親の言うことを聞かないと首のない幽霊に攫われるとか、夜に一人で森にいるとどこからともなく断末魔のような叫び声が聞こえてくるとか、そういうたぐいのものだ。
訓練場までは遠くないが、話が弾んでしまうと部屋に戻るときには夕方を過ぎてしまうことがある。
「大丈夫ですよ。警護の者もたくさん巡回していますから、不審な者がいればすぐに取り押さえられるはずです」
青ざめたミヤを見て、シンシアが侍女を目線で諫める。彼女は大丈夫だと言うが、この間の魔物侵入騒ぎのこともある。用心に越したことはないのだと言われ、ミヤは頷いた。
騎士たちにケーキを渡すと、思っていた以上に喜ばれてしまった。
特に見習い騎士たちの盛り上がりは一歩引いてしまうくらいだった。
「あいつらの食事は戦場なんですよ。奪い合いですから」
バルトの説明は簡潔だった。
見習い騎士は人数が多く、大皿で雑に盛られたものが食卓に出されるのだという。
だから押し合いへし合いしながら自分の取り分を奪い合うらしい。まるで大家族の食卓だ。
「実践に出る前の肩慣らしみたいなものです」とバルトは笑っていたが、ミヤは眉を下げた。
普段の訓練を見ていると、運動量は相当なものに見えた。ひたすら走り込んだ後、休む間もなく腕立て伏せに移ったり、うさぎ跳びで小一時間体を動かし続けているときもあった。
途中で倒れる者がいても誰も気にしない。日常茶飯事なのだろう。
そのうえご飯も充分でないとすると、騎士見習いの環境は過酷といえる。
どうにかできないのかなと思う。
考えがまとまる前に、ふと視線を感じて顔を上げた。
こちらをじっと見つめていたのはカイルだった。彼はミヤと目が合うと、ふいと視線を逸らしてしまう。
再会した時からずっとこの調子だ。
何か言いたげな視線を送ってくるのに、あちらから話しかけてくることはない。
ミヤが近づこうとすると離れていってしまう。
その不可解な行動に内心焦れていた。
(カイルは何をしたいんだろう……)
うーん、と考え込む。何か言いたいことがあるのは間違いない。
伊達に付き合いは長くない。あれはそういう顔だ。
(何か言えない事情があるのかも)
彼の行動を一から思い出してみる。
ミヤを見つめて、こちらが気付くと目を逸らす。逸らした先には何があるんだろう。
「壁……?」
「おや。外壁の警護が気になりますか? この間は魔物の侵入を許してしまいましたが、あれから警備は強化しています。守護の祈りを重ね掛けすることにしたらしいですよ」
「守護の祈りって聖者たちが使う魔法のことよね」
「魔法とはまたメルヘンですね。かわいらしい表現です。聖騎士であるオレには使えませんが、特別な訓練を積めばできるようになる祈りの力だそうです。神を信じよ。さすれば与えられんというわけです」
「精霊の力の原理を理解すれば使えるって聞いたことがある。れっきとした研究に基づく体系化された技術なのよね」
受け売りの言葉で分かったような説明をした。
バルトは「そのとおり!」とにこやかだ。
「精霊は『式』を好みます。式さえ間違えなければ、誰でも彼らの力を借りることができる」
その式が複雑なのだ。
一定の形式を保ちつつ、精霊へのお願い事を組み込む。式が美しくないと判断されれば相手にされない。考え方としてはシンプルだ。
「式とは、つまり彼らとの共通言語なのね」
「聖女様はよく御存知ですね。聖者だけに頼るわけにはいきませんので、オレたちもしっかり巡回していますよ」
「頼もしいわ」
空高く伸びた壁には一面に聖者たちの書き記した『式』で埋め尽くされている。
漆黒の壁面に文字と図形が白で隙間なく描かれている光景は、はじめのうちは不気味に思えた。
先程カイルが見ていたのは、どのあたりだったのだろう。
目を凝らすと等間隔でドアが配置されていることに気がついた。
「あのドアは何?」
「壁内の内階段に繋がっています。壁外警護にあたる際には、あそこから出入りしています」
「そうなのね」
ミヤはしばらく考え込む。きっと、あのどれかが『正解』だ。根拠はないが、確信していた。
カイルが伝えようとしたことが分かったような気がした。




