25
ミヤは監獄の中で一人、膝を抱えていた。
エレオノーラの訪問から数時間は経っている。彼女が訪ねてきてくれたとき、ミヤはとても嬉しかった。しかし、そのときの高揚は今はもう冷えていた。
(エレオノーラ、嘘ついてた)
カイルの件で彼女が嘘をついたことに当然ミヤは気が付いた。
長い付き合いだ。そもそもエレオノーラ自身が分かりやすい。
しかし、その場では指摘しなかった。彼女が必死だということに気付いていた。自分のために奔走してくれている彼女に真実を迫るようなことはできなかった。
(カイル……どうなったんだろう……)
酷い怪我だった。ぴくりとも動かなかった。
冷めていく体温を覚えている。体の奥から込み上げてくるものがある。
(私、カイルがいなきゃ生きていけない。悲しくて、苦しくて、動けなくなっちゃう)
鼻をすすった。ぎゅっと震える自身の体を抱きしめる。もしここに彼がいてくれたなら、迷わず肩を抱いてくれただろう。
いつだってカイルは、ミヤの心の支えだった。
身に余る立場を手に入れ、その重さに圧し潰されそうになったときに「逃げてもいい」と言ってくれたのは彼だけだった。一緒に逃げてやる、とも言われた。
だから頑張ることができた。
彼だけだ。ミヤを救うことができるのは精霊王でも権力による慰めでもない。他の聖女たちだって、大好きだけれど、孤独な彼女を救ってくれることはない。
耐えきれずに涙が頬を伝う。一度決壊してしまうと、とめどなく溢れ出て止まらない。
私が治癒を使えないからだ、と自分を責めた。
精霊たちに信頼される良き聖女だったのなら彼を治すことができたはずだ。
せめて今すぐにでも彼の傍に行きたい。手を握ることくらいしかできないけれど、支えにはなりたい。
どうしてこんなに無力なのだろう。
大好きな人一人、私は守ることができない。
胸を占めるのは圧倒的な虚無感のみだった。死にたい、とすら思った。
「精霊王様……」
うわごとのように話しかけた。
最近ではほとんど返事をしてくれないけれど、確実に近くにいるはずだ。
切なる願いを込めて彼を呼ぶ。この世で誰よりも敬愛する王の名を呼んだ。
果たして、ミヤの呼びかけは届いたようだ。
頭の中で弾けるような衝撃が何度も起きた。彼が顕現する際の予兆だ。それを感じて、ミヤはホッと息を吐いた。
(私の声はまだ、彼に届く)
精霊王は荘厳な光を伴って、彼女の目の前に現れた。
白銀の長髪が彼の纏う光を反射して煌めく。この世の者ではないと一目で分かる。その眼を縁取る睫毛が小鳥の羽ばたきのように震える。
彼はミヤを認めて、まるで三日月のように目を細めて微笑んだ。
『我が娘よ。なぜ泣いている?』
宙を浮いて移動してきた彼は、優しい手付きで涙を拭った。
「カイルに会いたい。怪我をしてるの。でも精霊たちは私には力を貸してくれない。だから治せないし、ここから出られない」
子どものように頬を膨らませながら訴えた。精霊王が呼びかけに答えてくれた安堵もあるのだろう。不満に思っていることが全部口から出てきてしまう。
『良いではないか。あの生意気な小僧一人がいなくなったところで、お前には我がいる』
「嫌よ。カイルじゃないと駄目なの。精霊王さまったら酷い。いつも私の幼馴染に意地悪ばっかり言うんだから」
『気に入らんのだ。あの不遜な目。腹が立つ』
そう言いながら、彼はつと手を伸ばすと牢の鍵を触れずに壊してしまった。
『これでいいか? お前を閉じ込めるなんて不敬な奴らだ。どれ、ついでに奴らの命でも取ってくるか? 好きなだけ望みを言うといい』
「そんなことしないで。精霊王様から精霊たちにお願いしてよ。治癒の力が使えるようにって」
『何度も言い聞かせているのに強情な子たちだ。お前は彼女に似ているからなぁ。思い出すんだろうよ』
「ねえ。お願い。力を貸して」
話を逸らそうとしているのを感じた。
ミヤに焦りが生まれる。せっかく呼び出せたのにはぐらかされては堪ったものではない。
精霊王はゆったりとした動きで瞬きをすると、ミヤを見つめた。
『我からあの子たちに命令するのは簡単だ。だが、その代わりお前は我に何をくれる?』
途端に色をなくした目を見つめ返した。彼は何を欲しているのだろう。それが全く見えてこない。
それでも、ミヤの答えは決まっていた。
「私があげられるものが、そんなに多いとは思わないんだけど、もし欲しいなら全部あげる。カイルがいないなら、この世界の何もかもが意味を持たない」
『はっはっは』精霊王は嬉々としてミヤの手を取った。『いいだろう。完璧な答えだ。あの小生意気な小僧のためというのだけが気に入らないが、望みを叶えてやる』
何か変化があったようには自分では分からなかった。しかし、精霊王が『どんな怪我でも病気でも治せるようにしてやったぞ』と上機嫌で言うのだから、そこに嘘はないのだろう。
「ありがとう。でも、どうしよう。勝手に出ていったら怒られるかな」
『心配いらない。あのセシルとやらは初めから真実が分かっていたようだ』
「そうなの?」
王子の顔を思い出し、ミヤは唇を尖らせた。意地悪な人ね、と呟くと、精霊王は更に機嫌を良くしたようだった。
『ミヤ。友人を大切にするのは良いことだが、度が過ぎるようなら我が制裁を下すことになる』
「分かってる。ちゃんとするから心配しないで」
彼が出てきてしまっては終わりだ。彼にとって、人間の命は軽く、簡単に奪ってしまえるものだ。
「あの子は私のことが好きなだけなの。表現の仕方はズレてるけど、悪気があったわけじゃない」
言い聞かせると、彼は納得はしていない様子だったけれどミヤの顔を立てることにしてくれたようだ。
スッと気配が薄れていく。
「またね、精霊王様」
手を振ると、彼は同じように返した。




