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王子との対面は、エレオノーラが王都に到着してから三日後のことだった。
(こんなに早くに会えるなんて驚いたわ)
お父様にお願いしたのが効いたのかしら、と独り言ちるが、自身でもあまり納得する根拠ではなかった。エレオノーラの生家は由緒正しい伯爵家だったが、王家と気軽に言葉を交わせるような立場ではもちろんない。
(せめてアナスタシアくらいの家格がないと無理かもしれないって思っていたのだけれど)
釈然としないものを抱えながらも、千載一遇のチャンスを逃すつもりはなかった。
ミヤとの会話で得られるものはなかった。間違いなく彼女は今回の騒動と関係していない。
平民出身であることが仇になったとエレオノーラは思っていた。エレオノーラもセレフィーナも、言うまでもなくアナスタシアも貴族の令嬢だ。彼女たちには後ろ盾があり、何かあれば実家である公爵家や伯爵家の親が出張ってくることになる。
ミヤにはその後見人にあたる人物がいない。
運が良かっただけで権力を手に入れたと判断されて狙われたのだろう。つまりは、彼女を引きずり落として利益を得る算段しているか、もしくは彼女の地位に取って代わることを狙っているか。
『はじめの聖女』とは、精霊王と直接通じることができる者のことを指す。
歴代聖女の中でも、ごく一握りの選ばれた者だけが精霊王と心を通じ合わせることができる――と伝承されている。
誰も信じていない御伽噺だ。
聖女は必ず四人と決まっている。同時期に四人現れる。
そして、交代するときがあるとすれば、四人の聖女のうちの誰かが脱落した場合のみ。
ミヤが失墜し、聖女の席が一つ空いたところで『はじめの聖女』を騙る。そうすれば、聖地での絶対的な権力者として君臨することができる。
王族も余程のことがなければ表立って精霊王の使徒である聖女に逆らうことはない。
この件の背後には間違いなく貴族がいる。『はじめの聖女』の地位を狙う貴族……候補が多過ぎる。
瘴気の発生を確認した後から、聖女の地位を巡って熾烈な戦いが水面下で行われてきた。聖女を騙る令嬢なら、それこそ何十人といた。
(でもミヤは、そんな争いを飛び越えて、一番に聖女となってしまった)
聖女の選定には厳格な決まり事があるという。それは聖人たちしか把握していない。
間違った者を任命してしまうと即聖地追放になるから、普段は怠惰の限りを尽くす彼らも必死だ。
おそらくは、決まり事について詳細を把握していないか、あってないようなものにできると確信があるから仕掛けてきていると思った。そこまでの影響力がある貴族は限られている。
王子が何を考えているのかが問題だ。
正確には、この件をどう決着しようと考えているのかを見極めなければならない。
彼自身は聖女という存在に懐疑的のようだったが、政治的判断という視点に立った場合は合理的に処理することだろう。そこに信心は関係ない。
あの冷え冷えとした目付きを思い出す。
あれは為政者特有のものだ。身近にも同じ目をする子がいるから充分に理解しているつもりだ。
「やあ。来てくれてありがとう。先日は時間が取れなくてすまなかったね」
王子は気さくに話しかけながら応接室に現れた。
謁見の間ではなく、もっと近しいものを招くために用意された部屋のはずだ。
そこに通されたことの意味をエレオノーラは理解していた。仲良くなりたいなんて年相応の無邪気さは彼も持ち合わせていないだろう。内密の話をするためだと言われずとも分かっていた。
エレオノーラは優雅に膝を折る。
動揺を見せるわけにはいかない。今、聖女たちのうちで表立って彼と戦うことができるのは自分だけなのだから。
その気負いを悟ったのだろう。「楽にしてよ」なんて言われて、額に青筋が浮かんだ。
自分で思っている以上に余裕がないと自覚していた。
彼に促されて、エレオノーラはソファーに腰を下ろした。王子の背後には護衛が一人。侍女たちはいない。
一瞬、お互いに出方を窺った。
口火を切ったのは、やはり王子だった。
「聖女ミヤのことかな。なんて、聞くまでもないね。彼女に会いに行ったそうだけど、どんな様子だった?」
にこやかな態度は崩さず、彼は深く腰掛けて足を組んだ。
「……元気にしていました。あれから殿下からの音沙汰がないことには憂いていましたけれど」
あの酷い環境についての不満をぶちまけてしまいたかった。だが堪える。
激情は深い底の奥に抑えつける。
「うん。ちょっと取り込んでいてね。まだ彼女のところには行けていないんだ。でもじきに解放されると思うよ」
「本当ですか!?」
思わず立ち上がって詰め寄ってしまう。王子はくすりと笑うだけでエレオノーラの無礼を許した。
「もちろん。彼女に非はないことは明らかだからね。僕のほうで持っている証拠というのも、『彼女が』やったと裏付けるものじゃない。誰かが良からぬことを考えていることだけは確かだけど、ああいう子に高等な腹芸ができるように見えない。誰かの指示を受けて操り人形をやるには、いささか信心深過ぎる」
「では……それが分かっているのなら、なぜ彼女を拘束したのですか? あんなところに閉じ込めるなんて、いくら殿下の為さることとはいえ承服いたしかねます」
「君の許可なんていらないんだけど、あえて理由を説明するのなら、真犯人を誘き出そうとしたんだよ。というか、そんな監獄の様子は酷かった? 良い部屋で待機してもらうように手配させたはずだ」
彼は背後の護衛を振り返る。もしかしたら側近なのかもしれない。
「至急確認を取って。彼女は貴賓だよ」
「承知いたしました」と、側近の彼は、主人の望みを叶えるために出ていった。
室内には二人きり。
にんまりと笑う彼と向き合うのは、正直恐ろしかった。
「うるさいのが消えたね。あいつ、僕の侍従なんだけど小姑みたいにやかましいんだ。……やっと本音で話せるね」
エレオノーラは過度の緊張から声が出せなくなっていた。冷や汗が背筋を流れる。
「それで、今回ここに君が来たことで、君が犯人の可能性が一層高まったわけだ。エレオノーラ嬢はハーヴェスト伯爵の長女だったね。双子の姉妹……セレフィーナ嬢との会話は楽しかった。だから残念だな」
「わたしは、わたしたちはそんな大それたことを考えたことなど……」
「伯爵である父親に言われてやっている可能性だってあるだろう。その点、聖女ミヤは健全だね。彼女にはそういう不純物が取り入る余地がない」
「我々は帝国に逆らうようなことはいたしません。父も同様です。どれだけ陛下に尽くしてきたか」
「ううん。そんな口先だけの忠誠は求めてない。僕が何を望んでいるのか分かっているはずだよ。そもそもね、今回の件って内輪揉めだろ。巻き込まれた僕からしてみれば良い迷惑だ。だけど、一応聖女ミヤに恩を売っておいてもいいかなと思って協力してあげているんだ」
犯人を見つけやすくするためにね、と彼は平然と言った。
「殿下は、犯人の目星がついているのですか」
「火を見るよりも明らかだろう。しかし、聖女ミヤも災難だね。こんな貴族のごたごたにまで対処しなちゃならないなんて。もうすぐ浄化のための遠征も始まるってときなのに問題が山積みだ」
エレオノーラは口を噤んだ。
何から確認するべきなのだろう。いや、真正面から彼に質問するのは悪手かもしれない。そんなことも分からないのかと切り捨てられては堪らない。今下手を打てば、伯爵である父に不利益が及ぶかもしれない。
ぐるぐると考え続ける彼女を、王子はたっぷりと時間をかけて観察した。
心当たりなら、ある。
信じたくないだけだ。
「分かったみたいだね。じゃあ、後は頼むよ。僕の権限で彼女を保護するのも結構大変なんだ」
「殿下は、この帝国で陛下の次に権威をお持ちのはずです」
「僕は父王に嫌われているから。だから今回みたいなことが起きる。困ったものだよ。ところで、僕が持っている証拠を見ていくかい?」
慎重に頷く。彼の前では一挙手一投足に注意を払わなければならない。
差し出されたのは、壊れた手鏡だった。鏡面にびっしりと式が書かれている。
「これは……?」
「簡単に言えば、魔物を引き寄せる効果があるもの、かな。正確に言うと違うんだけど、まあそう解釈してもらって構わない」
「殿下がこちらをお持ちだったから聖地に魔物が押し寄せたのですか?」
「端的に言うと、そうだ。そして、これを持たせたのは父王だが、この鏡の存在と効果を知っている者は限られている。聖女ミヤはもちろん知らないだろうね。いや、彼女が本当に精霊王と会話できるなら、彼から聞いていた可能性はあるけれど、だからどうこうしようって考えは彼女には浮かばないだろう」
頷く。ミヤに邪心はない。ひたすらに綺麗な子なのだ。
王子が初めからエレオノーラを疑っていなかったことに、彼女は今更気が付いた。カマをかけただけなのだろう。
(恐ろしい人……)
二度と関わりたくないと思った。こんな風に人心を操作して思うがままに使う人の近くにはいたくない。
期待しているよ、と後押しを受け、エレオノーラは重い体を引きずって聖地へと戻った。




