19
目を開ける前から、異様な雰囲気に気付いていた。
意識が覚醒し切る前に両眼をこじ開ける。シーツに手をつき、身体を起き上がらせてから、ようやく違和感の正体に気付いた。
(精霊たちがいない……?)
普段は周囲を気ままに飛び回っている精霊たちの姿が一つもない。
ベッドの下にも、窓の外にもその姿がなかった。
侍女たちが朝の支度の手伝いに来る前に、ミヤは廊下の外に出た。寝間着だったが、構っていられる余裕はなかった。
廊下にも、どこにも精霊たちがいない。
こんなに世界が静まり返っているのは初めてのことだった。
代わりに遠くで騒ぎが起きていることが分かった。
その物音を頼りにミヤは棟の外へと出た。
騎士たちが正門へと駆けて行く。彼らが立てた砂埃に目を細めながら、事態の把握をしようと一歩前に出る。
「ミヤ!」
彼女の足を止めたのは、アナスタシアの呼ぶ声だった。
振り返ると棟の出入り口から出てきた彼女は自らの聖騎士と連れ立っていた。
起きたばかりだったのだろう。ろくに着替えもできないまま、乱れ髪を押さえつけていた。
「何があったの?」
「魔物よ! 正門から中へと侵入してきたの」
彼女の聖騎士を仰ぎ見る。強く肯定されたことを受けて、ミヤは引き攣るような悲鳴を上げた。
「なんてこと……」
だから精霊たちがいないのだ。
彼らは魔物を忌避する。どこかに隠れているのだろう。
セレフィーナとエレオノーラもバルトに抱えられるようにして棟を出てくる。
(浄化に向かなわきゃ……!)
騎士たちが向かった方向に駆け出しそうになるミヤをアナスタシアが止めた。
「駄目よ、ミヤ。危険過ぎる」
「魔物くらいで尻込みなんてできないわ」
一匹や二匹であればミヤにだって対抗手段がある。だが、アナスタシアは下唇を噛み締めて首を横に振った。
「一匹じゃないのよ。数えきれないくらいの大群が押し寄せてるの……」
「え……」
ミヤは思わず固まってしまう。その腕をアナスタシアは必死で引っ張った。
「とにかく逃げましょう。わたくしたちが今できることはないわ。騎士たちに任せたほうがいい」
「だって、そんな……! 騎士たちはほとんど遠征で出払ってるじゃない! 見習い騎士たちばかりよ。それに、今は殿下もいらっしゃってる。彼に危害を加えさせるわけにはいかないわ」
「彼には王都から引き連れてきた兵士たちがいるじゃない」
「魔物は騎士の剣じゃないと倒せない。それにここは聖地よ。私たちが守らなくちゃ」
アナスタシアはそれでも食い下がろうとする。
二人の意見が割れているのを見て、双子は交互に顔を見合わせて狼狽えていた。
「ミ、ミヤ。どうするの? 本当に行くの?」
聖女たちはまだ後方で治癒を担当することが多く、魔物と実際に遭遇した経験が少ない。ぎりりと奥歯を噛みしめ、それでも「私が行く」と彼女は答えた。
経験の浅い聖女たちに任せるわけにはいかない。
自分が前に立って守らなくてはいけない。
「バルトさん、ついてきて。正門まで行く。私が辿り着けるように道を作って」
「分かりました」
彼が頷くのも待たずに走り出す。
アナスタシアが袖を引っ張ったけれど、気付かなかったふりをした。
騎士たちが踏み鳴らした跡を追って行く。
瘴気が風に乗って流れてくるのが分かった。
正門に近付いたとき、ミヤは思わず足を止めた。
壁面が黒いもので覆われている。聖人たちが書き示した魔物避けの式に亀裂が走っている。魔物たちの大気を震わせるような咆哮に耳を塞いだ。
(何……あの魔物の数……)
数十は下らない魔物が犇めき合いながら聖地へ侵入しようとしていた。
その足元では騎士たちが剣を振りかざして戦っている。
しかし魔物が一度撫でつければ、あっという間に彼らは吹き飛ばされた。
「ミヤ様はここでお待ちください」
バルトが駆け出す。
彼の躍進は凄まじかった。一太刀で魔物を薙ぎ払い、ミヤの行く道を作る。
浄化の力を使うために詠唱は必要ない。人前で行う際のあれは精霊王に言われてやっていただけのパフォーマンスだ。
ただ頭の中で念じるだけでいい。
『浄化せよ』
近くにいた魔物がぼろぼろと崩れ落ちながら正体をなくしていく。
手加減をしている余裕はなかった。誰にこの光景を見られてもいいとさえ思った。
それほどまでに今の状況は異常事態だったのだ。
防衛戦をしている前線まで辿り着く。息を切らしながらミヤはひたすらに力を払った。




