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『凡人修仙伝』: 不死身を目指してただ逃げてたら、いつのまにか最強になってた  作者: 白吊带
第三卷:天南築基編一八方塞がり·正魔大戦
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真宝一築基期61

雪虹シュエホン!」


 その女性の双修伴侣そうしゅうはんりょと思しき陈巧倩チン・チャオチェン师兄しけいが、慟哭にも似た叫び声を上げた。両手を振るうと、黒光こっこうが女の遺骸の周囲を飛び交い、氷妖ひょうようの姿を見つけ出そうともがいた。


 雪虹师姐が死んだのは、実に不運としか言いようがない。刹那の慢心から符宝フーパオを使用しなければ、命を落とすこともなかったのだ。


 符宝使用前までは、薄紗のような防御法器が身を護っていた。だが、符宝の起動時間を短縮し法力ほうりきを温存しようと油断から法器を解除した。無防備となった彼女は、瞬く間に命を落としたのだ。


 とはいえ、経験不足や油断が招いた過失と断じるのは酷だろう。


 彼女だって、敵が光の繭に変わり、周囲は同門のみと見て安心して符宝を起動したのだ。だが、まさか氷妖が半妖化はんようか状態で繭を破って飛び出し、しかも即座に姿を消して自分を標的にするとは。


 その時、符宝を起動する最終段階にあった彼女は、即座に動作を止めることも叶わず、毒牙にかかってしまったのだ。


 そもそも、宋蒙ソンモンだって、槍の符宝を起動する際は防御策を施していなかった。ただ宋蒙の符宝は威力が弱く、先に起動が成功しただけだ。さもなければ、あの隠形の氷妖は誰を襲ったかわからない。


 彼ら二人だけでなく、攻撃に参加していた韩立カン・リイたちも大半は防御法器を展開していなかった。今の光の繭は無防備な標的でしかなく、法力の浪費は避けたかったのだから。


 しかし、女が心臓を抉り取られた惨状を見、韩立の警告を聞くと、他の者たちは背後に冷や汗をかき、防御法器や守護障壁を一斉に展開した。忌まわしい敵の第二撃に備えるためだ。


 だが、次に彼らの顔に浮かんだのは、さらに呆気にとられたという表情だった。どういう隠形術や法器を使っても、あの妖人の気配を捉えられないのだ。


 姿を捉えたと思った瞬間、次の瞬間には再び影も形もなく、高速で移動しているらしい。すでに半透明化した氷妖は彼らの周囲に不意に現れては消え、肉眼はおろか、霊性溢れる(れいせいあふれる)法器も追跡の効果を発揮できず、すぐに逃げおおされてしまう。


 一同は戦慄を覚え、互いに周囲の動静に神経を尖らせた。半妖化した氷妖たった一人に、全く身動きが取れなかったのだ。


 ただ韩立だけは、その光景を見て奇妙な表情を一瞬浮かべていた。


 韩立と肩を並べて戦った王师兄は、これほどの惨劇を目にしたことがなく、顔面は血の気を失い、恐怖に震えている。


 ついさっきまで談笑していた师姐が非業の死を遂げた事実は、まるで悪夢のようだ。自らたちが神威を奮って敵を殲滅するという予想は、完全に裏切られた。


 そう思いながら、狂気じみた雪虹师姐の双修伴侣を一瞥した王师兄の顔は、さらに青ざめていた。


 人は恐れるほど、その対象に引き寄せられるものなのだろうか。


 彼の怯えが氷妖に見抜かれたのか、弱々しい彼が手頃な獲物と判断されたのか。


 右往左往する王师兄の背後から、透明な氷の鉤爪が虚空より現れ、彼の心臓めがけて凄まじい勢いで掴みかかった。


 王师兄の護身法器である青銅の小盾は霊性に溢れており、主人が操作しなくとも自ら動いてその一撃を防いだ。


「キンッ!」という乾いた音。氷爪は跳ね返されたが、小盾は瞬時に厚い霜に覆われ、そのまま地面へ直落した。一時的に霊性を失ったのだ。


 王师兄はようやく背後に起きた異変に気づき、顔面は一気に蒼白。咄嗟に振り返り、慌てふためいて辺りを見渡した。


 付近に異状がないと見ると、彼は躊躇しつつも猛然と腰を落とし、銅の盾を拾い上げようとした。凍結した法器を解凍し、すぐにでも再起動させたかったのだ。


「避けろ!(よけろ!)」


 すぐ近くの刘靖が、その動きを見て驚愕の声をあげて怒鳴った。


「何が…?」疑問が脳裏をよぎった瞬間、背後の水属性の守護障壁が明瞭な破裂音を立てた。そして凍りつくような冷気を含んだ烈風が彼の背中へ襲いかかる。


「しまった!」王师兄は同時に事態を察知した。あの氷妖は一撃で去らず、再び背後から死の一撃を加えたのだ。


 その瞬間、王师兄の脳裏は空白に覆われ、唯一浮かんだのは雪虹师姐が血の海に横たわる姿だけだった。


「まさか、俺もこんなにあっさり行くとはな…」


 彼の脳裏に響いたのは、そうした虚ろな言葉だけだった。


 だがその刹那、彼の視界が揺らぎ、身体が軽くなった。まるで雲に乗っているかのように空中へ放り出され、下からは轟々と鳴る風雷の音と、誰かが怒りと驚きの入り混じった叫び声が聞こえる。


 やがて両足が硬い地面につき、彼は何事もなくそこに立っていた。


「王师弟、怪我はないか?」


 自分が生死の境にいるのかもわからず呆然とする彼に、思いやりに満ちた声がかかる。


 その聞き慣れた声で、王师兄はぼんやりと振り向いた。刘靖が心配そうな顔で彼を見つめている。


 その顔を見て、自分が無事に生きていると知った王师兄は、感動と安堵でいっぱいになった。


「刘师兄、あなたが救ってくれたのですか?」


 その声は、彼自身をも驚かせた。かすれ切った声だった。度肝を抜かれた証拠だ。


 しかし刘靖はそれに照れくさそうな表情を浮かべ、言った。


「いや…恥ずかしながら、师弟の命は俺の手柄ではない。救ったのは韩师弟だ…今もあの妖人と戦っている。まったく…以前お前たちが、あの若造が十人以上の築基期ちくきき修士を倒したと聞いても俺は半信半疑だったが、今日は目を見開かされたよ。韩师弟の実力は計り知れないな」


「韩师弟が…?」王师兄は呆然とした。


 韩立は確かに自分から五、六丈も離れていたはずだ。どうやって間に合ったのか?!


 そう思いながら、王师兄は慌てて打撃音のする方向へ目をやった。目に飛び込んだ光景に、彼は呆然と口を開けた。


 かつて自分が襲われた場所は一見無人のままだが、激しい打ち合いの音と誰かの低い唸り声が響き、無数の鋭い刃の軌跡や剣気けんきらしきものが空中を駆け抜け、周囲の地面に深さ様々な溝を刻んでいたのだ。


 王师兄は暫くしてようやく我に返った。


 驚きと疑問で口を開こうとしたその時、空地に突如旋風が巻き上がった。次の瞬間、白く半透明な人影が忽然と現れ、不気味に弾丸のように後ろへ吹き飛ばされたのだった!王师兄は思わず身がすくむ。


 その人影こそ、自身を襲った半妖化した血侍けつじである。だが今のそれはより妖気を増し、全身が水晶のように極めて透明だった。


「おのれ…なぜ俺の隠形を見破り、しかも俺の速度についていける?!」


 水晶のような顔には驚愕と怒り、そして微かな恐怖すら読み取れた。


 そう口にした妖人は獣のような唸りをあげ、猛然と前方へ飛びかかると、再び姿を消した。


 続いて韩立の冷たい鼻音が響き、一旦止んだ打撃音が再開。しかもより激しさを増し、移動域も広がり始めた。音だけが響く不可視の戦いを見て、刘靖たちは顔色を変えて後退を続けた。


 雪虹の双修伴侣も復讐心に燃えながらも、避けるしかなかった。気づかぬうちに韩立と妖人の戦闘に巻き込まれ、意味もなく死ぬのはごめんだ。


 自分たちが今この戦いに介入できないことは、理解していた。


「地面を見ろ!」宋蒙が叫んだ。


 他の者も目を落とし、その光景に誰もが背筋を凍らせた。


 前方の地面には、いつの間にか分厚い結晶氷が張り巡らされていた。月光の下できらめき、無数の鏡のように滑らかだ。


「卑怯な妖人め…まさか地面をこうも変えるとは!これは韩师弟に不利だ」宋蒙は不安そうな顔で言った。


「必ずしもそうとも思えん。韩师弟が何の遁術とんじゅつを使っているかは知らんが、奴もまた隠形しているのに、その音を聞く限り全く劣勢には見えん。氷の地面はあまり影響していないようだ。だが…妖人たちの変身後の異様さは、我々の予想を大きく超えている。同胞を命を落としてしまったのは、俺の責が重い」刘靖はしばし黙った後、重々しく言った。


 皆はその言葉と刘靖の暗い顔を見て、どう慰めればよいかわからなかった。


 彼らが知る由もなかった。彼らが口にする韩师弟——韩立は、氷妖と激闘を繰り広げながら、内心で罵詈雑言を並べていたのだ。


 韓立は腹の底から癪に障っていた!


 それは王师兄を救おうと羅烟歩らえんぽを強行し、妖人と戦わざるを得なくなったためではない。劉靖らが残りの変身中の血侍を片付ける好機を逃していることが気がかりだったのだ。あの三人が変身を完了すれば、真の大惨事になる。


 王师兄が氷妖に狙われているのを見た時、青紋道士との戦いで手助けしてくれた恩義に応え、閃身せんしんで救出した。


 その行為を快く思わなかった妖人は韓立に執拗に襲いかかり、戦いを挑まざるを得なくなった。だが同時に、この氷妖は他の同門には手強過ぎることも感じた。別の同門が命を落とせば、今後の戦力が不足する。彼自身が片付けるべきだと思った。


 しかし氷妖を相手にしているのに、他の連中は戦闘を見ているだけで、他の三つの光の繭を攻撃しない。なんて勿体ない!


 だが彼も薄々察していた。彼らも好機を逃しているとは感じているに違いない。氷妖の不気味な隠形と血の惨劇が、他の血侍の半妖化を恐れさせている。全変身した血侍がより手強いと知りながらも躊躇し、下手をすれば撤退すら考えているのかも知れぬ。


 しかし韓立は、黒煞教こくさきょう殲滅以上の目的のためにここへ来ている。簡単には退ける訳にはいかない。しかも、この半妖化した氷妖は確かに繭を破って同胞を殺害したが、用心さえすれば何てことはない。むしろ韓立の目には、かつて戦った禿頭の巨漢ほどの脅威は感じられなかった。


 この妖人は単に肉体を透明化し、超高速で移動し、寒気を操るだけだ。いわゆる隠形も、韓立の羅烟歩と同様、極速の移動による錯覚に過ぎない。ただその半透明な肉体故に、より感知が難しいだけだ。


 だがこうした身法は地上でこそ効果を発揮する。皆が空へ舞い上がり距離をとり、範囲攻撃呪法を使えば、必然的にその姿を現す。肉体による極速移動は至近距離では脅威でも、長距離では到底修士の飛行速度には追いつけまい。


 劉靖たちはこうした接戦肉弾戦の経験がなく、相手をまるで亡霊のような存在と感じ取って抵抗不能に陥った。だが韓立は常に接近戦を駆使する者ゆえ、豊富な経験で対処できた。


 そう考えた韓立は、銀剣で妖人の鉤爪を一撃弾き飛ばすと、忽然と姿を現して叫んだ。


「劉师兄!皆で空へ上がり、残りの三人を攻撃せよ! 眼前の妖人が足をすくめに行くことは断じてさせぬ!」


 そう言い残すと、彼は再び閃身で姿を消した。実態は銀剣が不可視の速さで氷妖を圧倒し、地面すら離せる隙を与えなかった。


 韓立の銀剣はかつて血闘の戦利品であり、妖人の氷爪を直接防いで無傷だった。だが同時に銀剣も相手の一対の氷爪を傷つけられず、韓立も内心奇妙に感じていた。


 劉靖は韓立の言葉を聞き、その意図を理解したが、一瞬躊躇の色を見せた。彼の心では葛藤が渦巻いていた。


 劉靖は仙道の名門の出身だが、幼少期に邪道修練者に誘拐され、虐待と苦痛の日々を送った。命さえ落としかけたこともある。後にようやく救出され、李化元り・かげんの門下で修行を積んだ。


 その幼い日のトラウマから、劉靖は邪道修練者を激しく憎み、「見つけ次第見せしめに皆殺し」という鉄の掟を貫いてきた。


 こうした行動は彼に快感を与えただけでなく、膨大な名誉をももたらした。彼より高位の他派門の修士すら、彼を見て一目置くほどだった。


 表向きは気にも留めぬ素振りでも、劉靖の心には次第にそうした尊敬される快感が渦巻き始めた。


 後に邪道修練者を自ら狩り回すようになったのは、半分以上、他人の敬意を味わうためだった!


 勿論表向きは、彼は注意深くその本心を秘めた。「武勇を重んじ、邪を忌み嫌う」鉄漢「劉师兄」を演じ続けてきた。


 眼前の黒煞教は間違いなく、彼が遭遇した邪教の中で最大勢力かつ根絶すべき存在だ。だが同様に、相手の実力も最強の邪道修練者と言えた。普通の法器で残りの三人を殺せる自信などなかった。攻撃力が不足すれば、却って残り三名の半妖化を早めるだけだ。


 一人の半妖化がこれほどの苦戦なら、残り三人も現れたら手の施しようがない。命を落とす可能性が高い。


 仮にここで撤退すれば、行動自体が敵の警戒を呼び起こし、完全な失敗だ。黒煞教は影へ潜み、完全に息をひそめるだろう。そして長年積み上げてきた自身の名声は、完全に消え失せる。


 誰かが嘲笑の目で自分を見る場面が脳裏をよぎるだけで、劉靖は胸が詰まり、悶々とした気分が込み上げてきた。


 韓立の叱咤は、彼をまさに決断の淵へ追い詰めたのだ。


「劉师兄…撤退は考えられませぬか? 黒煞教の実力は我らの予想をはるかに超えている。今去らねば手遅れです」韓立に救われた王师兄が躊躇いながら近づき、小声で言った。その逃げるような目には明らかな卑屈が浮かんでいた。


「撤退か…そうしたら、他の师弟たちの目に映る自分も、これと同じなのか…」劉靖は内心で苦笑した。


「皆、空へ上がって我の護法ごほうを務めよ。残る三名の血侍は、全て俺一人で片付ける」


 劉靖は微笑みながら、淡々と言い切った。同時に心の中で確かに決意する。


「…あれを使う時が来たようだ。これで一戦を決し、名声も守れる。確かにそれは我が命を預ける宝ではあるが…」


「劉师兄、あなた一人で残りの血侍を?」王师兄だけでなく、付近の者たち全員が彼の言葉に信じられない表情を浮かべた。それを見て劉靖の心は奇妙な昂揚を覚えた。


 表向きは何食わぬ顔で、一言もなく御器ぎょきを操って空中へ舞い上がり、厳粛な面持ちで貯物袋ちょもつたいから真紅の玉盒を取り出した。


 此刻いまの劉靖は、平素の平静さを取り戻し、成功を見込む余裕すら漂わせている。他の者たちは顔を見合わせ、少し安心して同様に空中へ浮上した。


 手の中の玉盒を見て劉靖は一抹の未練を見せたが、すぐに顔を強張らせ、両手で玉盒を強く叩いた。


 瞬間、盒全体が砕け散り、紅光こうこうに包まれた一枚の特異な符が現れた。


 符には燃え立つ火の鳥の図が描かれている。しかもその鳥は符の表面で、まるで生きているかのように羽をはためかせながら飛び回っていた。その眼差しは淡い青き光を放ち、時折キョロキョロと辺りを見回している。


 さらに驚くべきは、符が出現するや否や、猛烈な熱気が同心円状に広がったことだ。周囲数十丈の空間の温度は急激に上昇し、一同は喉の渇きを覚えるほどの灼熱を感じた!


 ちょうど近づいてきた宋蒙たちは、この驚異的な符の出現の瞬間を目撃していた。


「符宝だ!」宋蒙は一見してそう叫んだ。


「違う…これは普通の符宝ではない…これは真宝だ!」しかし王师兄はこの符宝にも似てはいるが明らかに異様な符を見て、まるで鬼にでも出会ったかのように声を上げて叫んだ。


「真宝」を知っている者はその言葉に背筋が凍った。


 いわゆる「真宝」も符宝には違いないが、通常の符宝とは大いに異なり、多くの点が違う。


 まず、通常の符宝が原法宝げんほうほうの一割程度の威力しか保有できないのに対し、真宝は逆天にも原法宝の三分の一の威能を宿す。凡庸な符宝とは比べものにならない。


 次に、真宝は練成の際に法宝の持ち主の血脈けつみゃくを練り込む必要がある。特定の血脈を持つ者以外が真宝を動かそうものなら、霊気を注入した瞬間に自壊してしまう。


 このような利点がある反面、真宝の欠点も甚だ大きい。さもなければ先達たちが遺すものは全て真宝になっていたことだろう。


 真宝の最大の欠点は、通常符宝の数倍の威力を宿せても、消耗型の一点勝負にしかならない点だ。一度使用すればその場で全威力が放出され、二度と使う機会はない。実用性は通常符宝と比べれば大きく劣る。


 だが真に真宝が極めて稀な理由は、もう一つの苛酷な制約条件である。


 一件の法宝から真宝を練成する際、法宝は永久に威力の一部を失う。二度と修練で戻ることはない。大限を悟った先輩修士たちも、日頃命にも代え難い法宝に対してそれを躊躇い、子孫に通常の符宝を複数遺す道を選ぶ場合がほとんどである。


 故に修士の間では冗談半分に、「仙界では真宝の数は法宝よりも遥かに少ない」とさえ言われる。


 その言葉は多少誇張気味でも、真実から遠くはないのだ!


 真宝の起動は通常の符宝より遥かに困難だ。劉靖が他の同門に護法を頼んだ理由もそれだ。あの惨死した师妹と同じ末路はごめんだ。そのため、黄色い円環状の法器を回りに展開し、自身を護ってから、ようやく安心して胡坐を組み、火鳥の真宝に法力ほうりきを注ぎ込んだ。


 真紅の符は劉靖の手の中で徐々に光を増し、符の中で飛ぶ火鳥はますます活発に、もはや符から飛び立つことは時間の問題という様子だった。


 地上で氷妖と格闘する韓立も、同門たちが別策を講じていることに気づき、内心安堵した。彼が最も恐れていたのは、連中が怯えて逃げ出すことで、そうなれば自身が黒煞教主からあの物を入手することも不可能になるからだ。


 他事を考えずに済めば、心は完全に目の前の敵に集中する。彼の築基中期の実力で羅烟歩を使用するには肉体的負担も大きく、持久戦は避けねばならない。危険を冒して一撃を放つ時だ。


 そう考えた韓立は、片手で銀剣を振るい、身を揺らしながら氷妖を圧倒しつつ、もう片方の手では音もなく小指で貯物袋から何か一つを取り出し、薬指くすりゆびにしっかりと巻き付けた。


 手筈を整えると、彼の目には殺気が宿る。両手を合わせ、両手剣を構えるかのような大開大闔だいかいだいこうの構えを見せ、全身全霊の一太刀を頭頂めがけて振り下ろした。その剣の速度と凄みは今までの何よりも上で、氷妖も驚きのあまり急いで後方へ飛び退きながら、水晶のような氷爪を交差させて防ごうとした。


「カンッ!」と澄んだ音。氷妖は嘲けるように冷笑し、その一撃の勢いを利用してかえって早く飛退き、韓立との距離を開けようとした。だがその時、韓立の顔に皮肉な笑みが浮かんだ。


 氷妖が「これはまずい」と察した瞬間、韓立は剣を握る手を離し、猛然と手元へ引いた!


 結果、氷妖の飛退く動きが不可解に止まり、次の瞬間、身を制御できずにむしろ韓立の方へ激しく吸い寄せられた。そして今度は韓立が両手で剣を握りしめ、斬撃の構えをとる。彼の顔には一切の感情が無かった。


 氷妖は色を失い、必死に抵抗するが時遅し。否応なく韓立の目前に迫る。韓立の手にある銀剣がかすかに震える——無数の絡み合う銀の軌跡が一瞬にして消えた。二人の影が月光の下で再び姿を現した。韓立は剣を構えて立っており、氷妖は地面に無残に崩れ落ちている。


 その光景を上空から見守った宋蒙たちは思わず固唾を飲んだ。


 氷妖はよろめきながら立ち上がり、韓立の背中を見据え、獰猛な笑みを浮かべ、何かを言おうと口を開いた。しかし顔色はたちまち石化した。


 まるで水晶がひび割れるような清々しい音が連続して響き、氷妖の氷の如き透明な胴体が、蜘蛛の巣状に無数の細かい亀裂を走らせる。それはたちまち全身に広がり、氷妖の身は崩落音と共に、地上にて結晶の砂の山と化した。


 その砂塵の中には、一隻だけ完全な氷爪が半分埋もれている。その鋭い爪先は、なおも凍てつく冷気を放っていた。おそらく、この爪だけが韓立の神速の切り付けを直に受けながらも、傷一つ負わなかったのだろう。


 韓立は無残に四散した氷妖を冷ややかに一瞥すると、三つの輝きを増す血のような光の繭を見上げ、眉をひそめた。


 彼は黙って手を振ると、氷爪が真っ直ぐに飛んで来た。


 月光の反射でやっと見えたのは、韓立と氷爪の間に張られた一本の透き通る細糸。これこそが氷妖の最期の直接の原因だ。


 韓立は再度の交戦の際、薬指に巻き付けた透明糸を相手の鉤爪にひっそり絡ませていた。可哀そうに半妖化した氷身は透明化と硬化を果たしたが、敏感な触覚は失われており、その結果韓立の策略にまんまと引っかかって命を落とした。


 韓立はその氷爪を拾い上げ、一瞥すると、微かに躊躇したが、やはり放り捨てた。


銀精ぎんせい」を練り込んだ銀剣にも傷つかなかったこの爪は、間違いなく練器れんきの至宝材である。だが、これが人の手から変わったものと知れば、やはり胸が悪くなる。心理的にこれを収蔵することはできなかった。


 彼は氷妖の遺骸の横に歩み寄ると、銀剣で砂塵をかき回し、一つ貯物袋を抉り出した。手に取り念入りに見ると、慎重にしまった。そして一言も発せず、上空へ飛び立った。同門たちが何をやっているのか知りたいし、三人の血侍も変身完了間近なのだ。


 韓立は知らなかったが、ちょうど氷妖が断絶した瞬間、築山の下の密室で、色白の中年代が血走った目を開き、口の中で呟いた。


「氷妖か…死んだか。まあいい…後で私が始末する手間が省けた」


 そう呟くと、何事も無かったかのように再び目を閉じた。


 彼の眼前には皮と骨ばかりの骸が横たわっている。骨と皮ばかりの姿は、血や肉は一切なくなっているようだ。衣装を見る限り、黄楓谷おうふうこくの修士だったらしい。


 …


 韓立が御器に乗り空へ舞い上がると、未だ口を開く前に宋蒙らが周りに駆け寄って来た。感嘆と畏敬の念さえ込めた称賛の言葉が飛び交った。雪虹师姐の双修伴侣もまた、目を潤ませ、彼に深甚な感謝を伝えようとした。


 韓立は若干謙遜の言葉を述べると、劉靖の手の中に控える真紅に輝く符を指差し、訝しげに尋ねた。


 すぐに一人が「真宝」のことを説明し、韓立もそれを聞いて喜び、完全に安心した。真宝の噂は聞いたことがあったが、まさか劉师兄が持ち、しかも惜しげもなく使用するとは。大抵は生死を分ける護身手段であるのに。


 劉靖の心の内に去来する複雑な思いや得失の心配までは、韓立には理解できなかった。


 彼は、他人が自分をどう見るかは大した問題ではないと思っていた。利害に関わる事でなければ、それは気にすべきことではないのだ。


 勿論、他者に良い印象を持たせる努力をすることが容易であれば、韓立もそれを喜んで行う。だが「真宝」のような宝物を消耗してまで守りたいとは、彼なら決してしない。


 劉靖のその行いには、韓立も胸を打たれ、自身の信条が間違っていたのかもと考えた。世の中には、悪を滅ぼすために自己すらも顧みない「善人」が本当に存在するものなのだろうか?


 彼がかすかに慙愧を覚えた時、突如地下から唸り声が響いた。それは殺戮の渇望に満ちていた。


 韓立たちは驚いて急いで下を見下ろした。


 そこでは、三つの血光の繭の中の一つが異常な膨張と変形を始めており、中にいた血侍が生み落とされようとしているようだ。


 韓立は胸騒ぎを覚えた。どうやら、劉师兄のための時間稼ぎに、また別の血侍と戦わねばならぬようだ。


 そう考えて動こうとしたその時、後方から静かな声が響いた。


「師兄たち、一歩退いてくだされ。この三名の妖人、私が消し去りましょう」


 一同はその声を聞いて喜色を見せ、韓立も急いで振り返った。


 そこには劉靖が彼らを穏やかに見つめていた。その掌の上では、一羽の小柄で愛らしい赤い小鳥が、縦横無尽に飛び回っていた。先ほどの灼熱感は、いつの間にか跡形もなく消え去っていた。


「これが真宝の本体なのか…?」韓立はその赤い小鳥を驚きと共に凝視した。


「皆の護法ごほう、感謝する」劉靖は静かに立ち上がり、韓立たちの前へと舞い降りた。そして一同の驚く目の中、その掌上の小鳥にそっと息を吹きかけた。


 すると炎の小鳥は清らかな鳴き声を響かせ、劉靖の掌を飛び立ち、下へと滑らかに降下し始めた。


 下方の変形を始めた光の繭は、ドクッと重い音を立てて自ら破裂し、青き光をまとった怪物がその中から出現した。その姿は氷妖の半妖化形態に非常に似ているが、色が深緑に変じているだけだ。


 顔つきは明らかに青紋道士。だが、今の彼は狂気に満ち、気力は既に失われているようだ。


 二度吠えるや否や、天上へ飛び来た赤い小鳥を目にとめる。彼の身体は即座に硬直し、狂気じみた表情に代わって恐れおののく様子が浮かんだ。


 すぐに周囲を慌てふためいて見回すと、全身に青き光をまとって舞い上がり、逃げ出そうとする。


 だがその瞬間、炎の小鳥が「ギイイイ」と激しい音を立てて身体を膨張させ始めた。やがて丈余もある巨大な炎の鳥へと変容する。二つの翼を打つや否や、瞬時に十数丈離れた場所から妖化した青紋の背後へすれ違いざまに現れ、尖った紅い嘴でそっと一突きした。



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