主役は俺だ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
自分の人生において、自分が主人公である。
ときおり、耳にする言葉だな。自分を犠牲にする生き方でもって人に尽くし、職に殉じたとする。
本人が真に心の底から満足しているなら、まあいい。しかし、そこにちょっとでも迷い、歪みがあって「本当にいいのか?」という疑いを覚えるようなら考えものだ。
主人公はやろうと思えば何にでも手を出せるが、何をしてもいいというわけじゃない。手に縄がかかるような真似は避けつつ、自分のやりたいと思うことに邁進していく。それが世界にも求められているなら、これほどうれしいことはないだろうな。
しかし、もし全員が主人公をいっせいに主張し始めたら大変だ。相手をどんどんと押しのけ合い、自分が主人公たろうとしてしまうだろう。どのようなきっかけで主人公を志すかは分からないが、タイミングと内容がかみ合わない事態は、とてつもない悲劇に違いない……。
私も以前に、ふと「主人公をされかけた」ことがあってね。そのときのこと、こーらくんのネタになるかと思って、持ってきたんだ。
聞いてみないかい?
小さい子は、ついなんでも口に入れてしまう、ということを君も聞いたことがあるだろう? あるいはすでに体験済みかもしれないな。
五感が発達しきるまでの子供は、自分の接するものがなにであるかを正確に読み取り、判断する力が不十分であるとされる。そのため口に入れるべきものか、そうでないかの区別もつきがたいがために、ひょいとくわえてしまうこともあるのだとか。
しかし、ときには自覚をもって食べ続けてしまうこともある。当時の私などがそうだ。
食べ物を粗末にしてはいけない、と本当に小さいころから教えられていた私にとって、地面に落ちてしまったものを食べてはいけない、というのは耐え難いほどの矛盾に感じられたのだよ。
汚さをはじめとする自分に対するデメリットをいくら説かれても、納得がいかない。食べ物を雑に扱っていることに変わりないじゃないかと、ダブスタへの反骨心はすでにこのとき育まれていた。
ゆえに、それが動物への餌まきだろうと看過する気にはとうていなれなかったんだ。
あの日はまだ存命だった祖父と一緒に、少し遠くの公園までいったときだ。
ちょっとした売店もある大きな公園でさ。私はそこでハトをはじめとする生き物たちを観察したり、後をついていったりするのが好きだった。
子供ながらに、自分の想定しない動きをする相手の様子をうかがうのが、気になっていたのだと思う。ゆえに、祖父が買ったポップコーンをハトの餌としてぱっぱと撒き始めたのも、私の関心を引き寄せたいがための善意だったのだろう。
しかし、そうやって公園の地面に転がる白々としたポップコーンたちの身が、ハトたちについばまれていくのを見ると、興味関心を吹き飛ばす憤怒が、あっという間にたぎってくる。
――投げ出されるポップコーンも、それを勝手にいただくお前らも気に喰わん。じいちゃんが金を出して買ったんだから、せめて許しをもらえ! みすみす捨てるじいちゃんも、どうかと思うけど。
振り返って言語化すると、まあこのような心持ちだったかなあ。
そのため、私は先ほどまで興味の対象と見ていたハトたちが、たちまち蹂躙すべき敵と化し、さんざんに追い払ってはポップコーンを頬張っていった。
もちろん、祖父には怒られはしたものの、私には食べ物を粗末にしておいて、なぜとがめられなきゃいけないのか、と疑問符が浮かびまくる展開だ。
こうあることに間違いはない。そう感じていたのは確かだよ。家にかえって、珍しくお腹を下してしまったことをのぞけば、たいしたことの起きない一日だったと、このときは思った。
翌朝。
半身になる格好で寝ていた私は、はっと目を覚まして蚊が布団の上に倒れていることを見て取った。
ぴくりとも動かず、死んでいるのは確からしいが、妙なのは蚊が出るような時期ではまだないということだ。
私の住んでいる地域は年中を通して肌寒く、蚊たちが出てくるのは本当に夏の盛りへ差し掛かってきてからだ。身体をくわれた様子はなく、私も意識がある状態で撃ち落としたような記憶はない。
蚊の小柄な体は、ほぼバラバラの状態だ。よほど強い力をかけられたに違いないが……。
気味悪く思いながらティッシュにくるんでゴミ箱に捨てるものの、その日から朝に起きるたびに、虫や小動物の死骸が置かれるようになったんだ。
はじめは寝返りを打った自分が潰した可能性……などで納得しようとしたんだが、生き物の図体が大きくなってきてね。はっきり残されるものが見えるようになってきたんだ。
歯型、だね。明らかに何者かが噛みついて、肉をちぎっていった様子が見受けられた。しかも獣のものとは違う。強いて言うなら、おそらくは人間のそれ……だ。
私のお腹の調子も悪いことが続いていてね。この奇怪な状態を踏まえて病院で診てもらったところ、胃の内容物とかを確かめてもらってほぼ確信してしまったんだ。
全部、私が食べたものであろうことがね。
対処法はいたってシンプル。断食だった。
私はその日から水のみを頼りに、生きられるところまで生きるよう強いられたんだ。
そのとき、お医者様がいってくれたのが「君の胃が主人公になろうとしている」ということだったんだよ。
胃が主人公でありたいと思った結果、他の臓器はそれのサブに回ろうとしている。私の脳とその意識さえも。放っておけば私は、ただ胃を活躍させるための部品に成り果てるだろう、とね。
だから、お前だけじゃ生きていけないのだと、胃を働かせないようつとめ、身の程を分かってもらうのだとか。