立派な犯罪ですよ、天上院さん!.4
「え?え?」
私は差し出されたシャツと天上院さんの顔を何度も交互に見比べ、狼狽えた。
「ど、どういうこと?これ、私のシャツじゃないですよ?天上院さん」
「え?ふふっ、何を当たり前のことをおっしゃられているのでしょう。そうですとも、こちらは私のシャツです」
あどけなく笑う天上院さんは素直に可愛いと思えた。しかし、彼女が重ねて要求してくる行動が可愛さとはかけ離れていた。
「私のシャツを着て、おねだりしてみせてほしいのです。さぁ、お願いします」
抑圧しようとはしているが、その俗欲な興奮を隠しきれてはいない天上院さんの言葉を真っ向から受け止めたとき、私はとうとう諦観を通り越して理不尽への怒りを抱いてしまった。
「いや、いやいや、無理…!」
「無理ではありません、ほら」
「無理。無理だって。天上院さん、さすがに自重したほうがいいって、絶対。変態が過ぎる」
私は基本的に、クラスメイトには敬語を使っている。それは心の距離感が近い相手がいないことの表れなのだが、今日、この場で天上院さんに口調を崩したのは友好の証などではない。天上院さんに遠慮することが馬鹿らしくなったのである。
しかし、天上院さんは私の率直な言葉を受けて自重するどころか、むしろ、明らかな不満を示して唇を尖らせる。
「変態と簡単に言いますが、人類、みんな等しく変態です。誰もが、蓋を開けてみれば人には言えないことの一つや二つ必ず内に抱えているもの。私は、たまたま小森さんのような女の子が困っているのを見るのが好きな人間であっただけです」
もっともらしい言い分に納得しかけるが、ぐっと踏み止まる。
「そ、それを誰かに押しつけたらダメだよ。趣味嗜好とか考え方の問題じゃなくて、手段の問題だと思う」
「……小森さんは、現国の成績だけは私を凌駕しますものね。理屈をこねあって勝てるとは思っていません」
「いや、国語力の問題じゃなくて、モラルの…」
「そうとなれば、私も手段を問いません。自らの理想を実現するために些事を犠牲にできる者こそ、夢を叶えられるとは思いませんか?」
「さ、些事…」
今、天上院さんは何を些事としたのだろう。法律?私の尊厳?それとも、天上院華という人間の偶像?
とにかく、天上院さんは頑として自分の意見を譲ろうとはしなかった。
私が要求を飲まないことを告げると、「では、シャツは返しません」と冷たい目をしたし、意地を張って体操服のまま外に出ようとすると、「来月からはプールの授業ですね」と脅しとも取れる発言をしてきた。
下着など盗られた日には本当にたまらない。結局、私は天上院さんの言う通りにすることを余儀なくされた。
顔を赤くしてシャツを受け取った私を見て、天上院さんが言う。
「照れておいでなのですね。どうぞ、お気になさらず、着て下さい。さあ」
「うっ…うぅ…」
次の授業まで時間もほとんどない。また天上院さんが融通を利かせるのだろうが、あまり遅くなってはそれも限界があるのでは、という心配が強まる。
今は、言うことを聞くほかなさそうだ。
私は覚悟を決めて、頭から天上院さんのシャツを被った。
(う、わ…)
その瞬間、私の身を包んだのは、金木製みたいに甘い香り。
(や、やばい…すっごく、良い匂い…くらくらしそう…)
体だけではなく、心さえも痺れさせてしまう魅惑の芳香に息を止める。これ以上、彼女の匂いを吸収してしまっては、穴の底から戻れなくなる気がした。
「ふふ、お似合いです。袖丈がまるで合っていないのが、また…」
ぺろり、と舌なめずりする天上院さん。最高に上機嫌なのが手に取るように分かる。
私はなるべく早くこの甘い檻から逃れるべく、勢いのままに天上院さんが欲していた言葉を並べた。
「シャツ、返してほしいな」
私の言葉を聞いて、ごくりと天上院さんが喉を鳴らすのが聞こえた。それがまた、私の羞恥を駆り立てる。
「ど、どうでしょうか、私のシャツ。匂い」
「え、えー…」
変態丸出しのコメントなのに、天上院さんの熱い眼差しを独り占めにしているとなっては、どこか優越感みたいなものも覚えてしまう。
そんな満更でもない状態で、「ま、まさか、臭いですか…?」などと天上院さんが不安そうに尋ねてくるものだから、私は照れ臭さから俯きつつ、「いや、その、良い匂い…だよ」と返す。
(う、嘘はいけないから。ただ、それだけ。良い匂いなのは事実だし。うん)
すると、天上院さんはほっとしたような顔で、「そうですか」と告げ、それから淀みない動きでロッカーに戻ると、おそらく私の物なのであろうシャツを取り出し、また戻ってきた。
普通にそこにあったのか、となんとなく様子を窺っていると、天上院さんは驚くべきことに、先週彼女がそうしてみせたのと同じように私のシャツを顔に当て始めた。
「なっ…」
すぅ、はぁ、と規則的に繰り返される呼吸音。前回より長い。
この執拗さ、羞恥を失った振る舞い。生粋の変態である。
「い、いけません。あまりに小森さんが可愛くて我慢できず、つい…」
とうとう興奮を隠さず、にっこりと笑ってみせた天上院さん。変態という枠すら手狭に見える彼女の振る舞いに、私は大声を発しながら殴りつけるようにシャツをひったくる。
「変態っ!返してよ!」