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盗人猛々しいですよ、天上院さん!  作者: null
二章 立派な犯罪ですよ、天上院さん!
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立派な犯罪ですよ、天上院さん!.1

二章のスタートです!

 舌なめずりする天上院さんを前にした私は、言葉にならない悲鳴を上げて教室から飛び出した。


 混沌とする頭の中を振り切りたくて家から学校まで全速力ダッシュしたが、心の安寧は随分と彼方にあった。


 肩で息をしながら、家に入る。


「あぁ、おかえ――って、どうしたの!?」


 ぜいぜい言っている私を見た母が心配して声をかけてきたが、「へ、平気…たまには、は、走ろうと思っただけだから……」と虚勢をはる。


「そ、そう…なに、変質者でも出た?」


 半分冗談で聞いているのだろうが、その言葉に、私はびくん、と肩を竦めた。


 幸い、母は私の異常に気付いていないようだったから、「そうそう」とでも適当に返したものの、自分の部屋に入って扉の前でずるりと崩れ落ちた私の頭の中には、その“変質者”の姿がフラッシュバックする有様だった。


 ちろり、と真っ赤な舌で唇を舐めた天上院華。


 その宝石のように鮮やかな赤で塗られた唇から紡がれたのは、とても信じがたい言葉たちだった。


『小森さんの、柑橘系を彷彿とさせるくせに、酷く甘い香りを…胸いっぱいに吸い込むためですよ』


 柑橘系?甘い香り?私の臭いって、そんな感じなの?


 いや、っていうか、胸いっぱいに吸い込むってなに?なんで?


 なんで、そんなことを天上院さんがしなきゃいけないの?罰ゲーム?いや、違うよね、あれは、あの顔は……。


 思い起こされる、恍惚とした表情。およそ同級生、十代とは思えないほどに煽情的な姿。


 あれは、自分の意志でやっていた。


 誰かに強要されてとか、唆されてとかじゃなく。


 自分の中の何かを満たすための、本能的な行動だ。


「い、意味が、分からない…」


 扉にもたれかかったまま、両手で頭を抱える。


「うぅー…!分からない…っ!」


 そうして、がしがしと自分の髪の毛をかき回した私は、たっぷり十分ほどそこに蹲っていたかと思うとやおら立ち上がり、ある種の決意を胸に自分の部屋を飛び出した。


 春めく日々が終わりかけている、五月のこと。


 私は罪の扉を開いた。


 ガチャリ、とレバー式のドアノブを押して進み入るのは、妹の――小森瀬里奈こもりせりなの部屋。


「許せ、妹よ……お姉ちゃんはこのモヤモヤを抱えたまま眠りに就けるほど、強くはない…」


 理解不能な状況を無理に飲み込もうとした結果、何だかおかしいテンションになっていることが自分でもよく分かっていた。だが、こうでもしていないと今にも叫び出して、母に病院へと連れて行かれそうだったのだ。


「そ、それにしても…」


 久しぶりに足を踏み入れる妹の部屋。実は私は、瀬里奈の部屋に入ることを少しだけ敬遠していたりする。


 妹が嫌いなわけではない。根暗な私と違って人付き合いが上手な瀬里奈を羨ましく思うことはあるが、こんな私でも慕ってくれる良い妹だと思っている。『お姉ちゃん』とは呼ばず、『澄香』と呼び捨てにしてくるあたり姉の尊厳は守られていないかもしれないが…。たかが二歳差だ。気にしないことにしている。


 では、なぜ瀬里奈の部屋に進み入ることを苦手としているかというと…。


「またすごいことになってる…去年の倍くらいになってないか、これ……」


 部屋の壁一面に貼られているのは、可愛い少女たちが仲睦まじくしている数々のイラスト。


 机や飾り棚には同様のポストカードが並べられているし、DVDやCDのジャケットにも華やかなイラストが描かれている。


 どれも美少女、かつ、二人以上が楽しそうにイチャイチャしている。


 小森瀬里奈は、女性同士の恋愛が綴られるとするジャンル――いわゆる、“百合”を好む人間だった。


 天真爛漫でスポーツ好きな瀬里奈がそうした趣味を持つことを意外とする人も多いらしいが、ひとたび理由を尋ねれば一時間単位で熱弁される恐れがあるため、賢い人間はわざわざ彼女の深淵に足を踏み入れることはない。君子は危うきに近寄らないのである。


「……でも、虎穴に入らずんば、とも言う…!」


 私は一人決意を新たにすると、瀬里奈の聖域である巨大なスライド本棚に近寄り、物色を始めた。


『星屑の少女たち』


『夏、光る』


 そんなふうに、美しい背表紙に神秘的なタイトルが綴られているものもあれば…。


『堕落する花園』


『私をお姉ちゃんと呼ばないで』


 ……というふうなタイトルの本のように、明らかに大人向けの闇が見受けられる作品もあった。


 私はそれら――特に『姉妹』を彷彿とさせる作品を視界に入れないようにしながら、おぼろげな記憶を頼りにお目当ての作品を探していた。


「あ…」


 ふと、指先が止まる。


『少女回遊』


「たしか、これだ」


 本を棚から丁寧に引き出す。瀬里奈はこれらの本をぞんざいに扱うことだけは絶対に許さない。以前、友だちを連れて来ていた瀬里奈が怒鳴り散らしているのを聞いたほどだ。


 瀬里奈は布教活動とかいうのにも熱心なほうだから、だれかれ構わず本を読ませようとする悪癖があった。瀬里奈の装甲車くらいの勢いに押され、その車輪の下に引きずり込まれた私が読んだことのある作品がこの『少女回遊』だったのだ。


 パラパラと頁をめくる。良い匂いのする紙の上には、儚げなタッチで少女たちの交流が綴られていた。


 山奥の学園を舞台にして繰り広げられる少女たちの純愛。私はそうした性的指向を持っていないつもりだが、それでも、心惹かれる美しさがその物語にはあった。


 どう形容すればいいだろうか。この刹那的でもありながら、永劫すらも感じさせる恋の美しさを。


 私は目的のシーンを読み、登場人物の心理的描写から自分に起きている事態を間接的に把握しようとしていただけだったのに…気づけば、先ほどまでの混乱も忘れて読み耽っていた。


 そのうち、とうとう私が求めていた頁に辿り着く。


 大人しい少女が、恋焦がれてやまない上級生のシャツをこっそりとかき抱き、その残り香に耽溺する。


 罪悪感とは裏腹に充足していく自らの心。気が狂うほどの矛盾を前に、涙して屈み込む少女の口からこぼれるのは、上級生の名前。


 渇きを癒すように。


 焦がれるように。


 でも、責めるように…。


 ――『どうして、私を見てはくれないのですか……お姉さま……』


 少女の唇から血のようにこぼれる言葉に、私がごくり、と喉を鳴らした、そのときであった。


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