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盗人猛々しいですよ、天上院さん!  作者: null
五章 知りたいんです、天上院さん

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知りたいんです、天上院さん.1

 その日、雨は夏を象徴しようと言わんばかりに苛烈に降り注いでいた。烈日に熱されたアスファルトが濡れる匂いが辺りに立ち込めている。どこか郷愁を誘う香りだった。


 絶え間ない雨音の隙間をじっと覗き込むように、私は自分の席で固まっていた。本当は天上院さんに用事があったのだが、彼女は放課後になると私に声をかけることなく教室から出て行った。


 いつもなら声をかけるのに、と機会を逃した私は心の中で愚痴をこぼす。無論、彼女が悪いわけではないことぐらい重々承知だ。


 水を吸って重くなった服みたいな足取りで、昇降口に向かう。そこで自分のローファーを掴んだとき、偶然、天上院さんの靴が下駄箱で眠っているのが見えてしまった。どうやら、まだ帰ってはないらしかった。


 私はしばらく、昇降口で待った。だが、20分近く待てど彼女は現れなかった。


 (なんだか、帰るに帰れなくなっちゃった…)


 ここまで来たら引き返せない気がする、なんて考えていると、何度かすでに私の前を通っていた教師の一人が、「どうしたんですか?小林さん」と声をかけてきた。


 どう考えても名前が違ったが、私はそれを無視して、「いや、人を待っててですね」と愛想笑いで返す。私の名前なんて、憶えてない人間のほうが多いに決まっているのだ。


 「人?」と教師は足を止める。


 「はい。天上院さんを…」


 面倒だったので早く行ってほしかったが、続く言葉に助けられる。


 「天上院さんなら、学園長に頼まれて書類整理をやっていると思いますよ」


 「書類整理、ですか?」


 「ええ。学園長のお手伝いをされているんですよ。本当、まだ高校生なのに偉いですよねぇ」


 天上院華は学園長室にいる、という情報を仕入れた私はぺこりと教師に頭を下げると、わずかに迷いながらその場所を目指した。


 なんだそれは。子どもなのに仕事をやっているのか?どうしてそこまで、天上院華はスーパーヒロインであろうとするのだろうか。


 何の苦も無くやっているのかもしれないが、どうだろう。私にはそうは思えない。


 彼女は部活にも所属せず、清掃や生徒会、委員会の手伝いなど学園全体の奉仕活動に駆り出されている姿を頻繁に見る。私のように怠惰な学校生活を送るより遥かにマシかもしれないが、子どもとして、それはどうなのだろうと疑問を抱かざるを得ない。


 無論、そんなことに口出しできる立場に自分がないことも重々理解している。


 ただ、何かがつまらなかった。何かに不満を覚えていた。


 理想のお嬢様、天上院華。その仮面の下に隠された俗っぽい顔と何度も対峙した私からすれば、彼女は息苦しさを覚えているのではと思った。


 (…まともに本音一つ聞けたこと、ないよね。こんなに私を振り回してるのに)


 別に、瀬里奈に発破をかけられたからではないが、今の私は天上院華の本音が知りたくてたまらなくなっていた。


 どうして、周囲の期待に応え続けるのか、それは辛くはないのか。


 どうして、私にちょっかいをかけるのか。私にどうしてほしいのか。


 考え事をしながら足を進めていると、あっという間に学園長室に辿り着いた。


 そこでふと私は、ここから先、どんなふうにして天上院さんとの時間を作るつもりなのか、ノープランであることに気づいた。


 (あー、どうしよう…。学園長室って入ったことないし、それっぽい用事もないし…)


 そうしてしばらくの間、額に手を当てて悩んでいると、幸か不幸か、具体的な作戦もないうちに学園長室の扉が勝手に開き、中から目を丸くした天上院華が姿を現した。


 「澄香…?どうして…」


 普段は見ることのできない、天上院華のハトが豆鉄砲でもくらったみたいな顔。これだけで私の心は浮足立つ。


 「別に、ただ…」


 そこで私は言葉を切った。ここで強がったり、あまのじゃくになったりしてもしょうがないと考えたのである。


 私はややあって、天上院さんの瞳を下から真っすぐ覗き込んだ。そして、彼女の知性にみなぎる瞳が誰でもない私の言葉を待ってくれていることを確認すると、意を決して口を開く。


 「ただちょっと、天上院さんと話がしたいと思っただけだけど?ダメ?」


 我ながら恥ずかしいことを言っている自覚はあった。離れた場所に他の生徒もいたので、聞かれていたら顔から火が出るところだったが、幸い、今日は雨脚が強い。


 私の恥ずかしい台詞も、珍しく早口になって、「ダメじゃないです」と答えた天上院さんの声も、互い以外に聞く者はいなかったのである。


 「どうぞ、中にお入りください」と天上院さんが学園長室に私を招き入れる。


 内心、学園長がいたらどんな顔をしたらいいのかも分からないし、そもそも話ができない、と困っていたのだが、そんな私の不安を予測していたかのように、「大丈夫ですよ。お母様は職員会議でいらっしゃいません」と天上院さんが微笑んだ。そのため、初めて学園長室の敷居をまたぐことができた。


 豪奢な飾り付けがなされた学園長室。壁にはおそらく天上院家の血族らの顔写真が並べられ、重厚な木で作られているのだろう大きな本棚には外国の本がところせましと入れられている。


 いつか、天上院華も並ぶのかもしれない顔写真を見上げながら、私はなんとなく、天上院さんの美貌は遺伝なのだろうなと考えた。しかし、あの高貴な振る舞いはそうではない。教育者と、彼女の努力によるものだ。


 「似ていますか?」


 私の視線を追っていたらしい天上院さんが尋ねる。


 「代々、天上院家の人間はここの学院長となり、あの壁面に顔を連ねます。あの方たちと、私はやっぱり似ていますか?」


 私は少しだけ考えてから、素直に答えることにする。


 「似てるよ。みんな、美男美女」


 「…それは、私の顔立ちを誉めてくれていますか?」


 こちらをからかうような微笑と共に告げられた言葉に、私は一瞬、じっとりとした視線を天上院さんに向けたのだが、ややあって、『今日は張り合いに来たわけではない』と考え直し、淡白に頷いた。


 「そうだね。綺麗だよ、天上院さんの顔。ザ・上流階級って感じがして」


 性根の曲がった私がストレートに賞賛を返すとは思いもよらなかったのだろう。天上院さんは信じられないものを見る表情で私を見つめた後、ほんのりと頬を赤く染めた。


 「……今日は、いつもの澄香らしくありませんね。感情を素直に吐露しすぎです」


 「まぁ、それはそうかもね」


 照れ臭さを隠すために、わざとらしく肩を竦めてみせる。それに対し、くすぐったい微笑みを浮かべた天上院華を、私は率直に素敵な女性だと感じた。


 一つ、二つ、と天上院さんが私に学院の歴史を語る。これ自体にはたいした意味はないのだろうと理解していたから、適当な相槌と共に聞き流す。


 そうこうしているうちに、妙に居心地の悪い沈黙の帳が下りた。気まずい、というより…私が本題に移るのを天上院さんが待っていることが如実に分かる静寂だったからだろうか。


 だが、いざ本題に入るべき時だと思うと、自然と心拍数が急上昇した。緊張している、と嫌でも分かるほど口の中がカラカラだった。


 それでも、言うしかなかった。今日を逃せば、今回のような勇気と行動力はしばらくお目にかかれないだろうから。


 「天上院さん」


 「はい」


 シリアスさが声音に出ていたのか、天上院さんも真面目なトーンで返事をした。


 「一つ、質問したいんだけど。答えてくれる?」


 「質問、ですか?…スリーサイズとかなら、澄香のために答えますけれど」


 前言撤回。私の真剣さを悟っていてもなお、彼女は少しふざけている。


 「天上院さん、私、真剣なんだけど」


 厳しくなった目つきを見て、さすがに反省したのか、彼女は素直に謝罪を口にし、それから加えて、「答えられるかどうかは、質問を聞いてからではないと断言できません」とかしこまった。


 それでいい、と私は頷く。


 高鳴る鼓動を落ち着かせるため、自然と自分の視線が天上院さんから離れる。


 普段、学園長が使っているのだろう執務机の上には、たくさんの書類と、制服を着た天上院さんとその両親が微笑みながら映っている写真があった。あまりに整頓された表情に、私はどこか奇妙なずれを感じた。


 天上院華の真の姿は、一体誰が知るのだろう?いや、そもそも誰か知る者はいるのだろうか?


 妹――小森瀬里奈は、真の姿を誰かに知ってもらうのに長い時を費やした様子だった。そしてその時間は、とても苦しいものだったと、彼女自身から聞いている。


 自分を正直に語れない時間は、呼吸を止めて水に潜っているのと同じなのではないか。


 私には…なんとなく、それが分かる気がした。傲慢だろうか?


 いや、だが、今の私自身、自分の気持ちを正直に認められない苦しさと戦っているのではないか?


 だから、こんなにも…。


 (……あぁ、ダメだ。分かってるはずなのに、分かんないフリしてる…)


 聞かないと。


 私は顔を上げた。そして、一つ、深い息を吐く。それから、短く吸い込むと同時に、私は彼女に尋ねた。


 「天上院さんは、どうして私に構うの?…からかうのに都合が良いから?なんとなく?…それとも、別の理由があるの?」


 


 ほんの少しだけ、天上院華の瞳が揺れた気がした。だが、それは見間違いだったかもしれないと考えてしまうほど速やかに、何の違和感もなく元の落ち着きを取り戻すと、じっと私の瞳を覗き込む。


 「さて、なぜでしょうか」


 「とぼけるつもり?」


 私が素早く切り替えしても、天上院さんは、「ふふ」と笑うだけ。彼女の心は霧のベールに阻まれていた。


 やはり、踏み込むべきではなかっただろうか、と不安が蘇るがどうにかそれを追い払い、彼女の正面に立つ。


 まっすぐ向き合うと、私と彼女の差が際立つ。身長差も数センチでは済まないし、陰陽を反転させたような陰気さと華やかさだった。


 でも別に、それで尻込みすることはない。


 私はただ尋ねるだけだ。ずっと不思議に思っていたことを。


 「あのね、嘘でも、なんでもいいの。天上院さんの口から理由を聞きたい。どんな理由でも、それで納得するから」


 「そのようなやり取り、果たして意味があるのでしょうか?」


 小首を傾げて問う天上院さん。可愛らしいが、かわいくない。


 「意味があるかどうかは私が決めるよ。とにかく、教えて」


 「理由がないと落ち着きませんか?」


 問いに答える気があるのか分からない解答に、にわかに苛立ちを覚える。でも、天上院さんの顔を見れば、彼女が単に嫌がらせで話の本筋をずらしているわけでないことは明白だった。


 「それはそうでしょ。人間誰でも、理由がないことって好きじゃないと思うよ」


 「おっしゃるとおりです」


 不意に、天上院さんが見事な微笑みを見せた。それこそ、あまりに完璧すぎて作り物の感じがする笑顔を。


 「――それなら、先に澄香が答えてくれませんか?ずっと私を見つめていた理由を」


 「え?」


 それはとても予測不能な返し玉だった。いや、予測できないこともなかっただろう。ひと月ほど前に私は、彼女から似たような質問をぶつけられ、答えられずに涙した。そしてその挙句、理由も分からず天上院さんからの口づけを受け入れたのだ。


 「私とて、そこまで節操ない人間ではありませんよ。誰かに迷惑をかけたり、気持ち悪がられたりするのはたまりません。可愛らしい、タイプの女性であっても往々にして我慢しています」


 「ちょ、な、何の話…」


 「分かりませんか?私の話の主旨はこうです。――どうして我慢していた私を誘うような真似をしていたのか、先にそれを聞かせるべきでしょう…というものです」


 「さ、誘ってなんてないし!」


 自分のことを痴女みたいに言われて心外だった私は必死になって声を張り上げたが、唇の前に人差し指を立て、「お静かに。ここは学園長室です」と言ってきた天上院さんに押しくるめられる。


 天上院さんは自分を落ち着かせるみたいに大きく息を吐き出すと、ゆっくり目を閉じ、そしてまたゆっくり開いてから話に戻った。


 「再び話題に挙げたのは澄香、貴方ですから。もう手加減しませんよ。…廊下ですれ違うとき、教室で挨拶を交わすとき、体育の時間に服を着替えるとき…あれだけ熱い視線を向けてきていたのです。まさか、私が気づかないとお思いでしたか?」


 「し、知らないし。そんなの、天上院さんの――」


 「もしや、本気で自覚がないのですか?」


 目を丸くして私を見つめる天上院華。どうしてだろう、『お前、正気か?』とでも言いたげなこの視線を前にすると、私が間違っているような気さえしてきた…。


 それからしばしの間、天上院さんは絶えず独り言をこぼしていた。


 やれ、「自己の性的指向を認められないほどにアイデンティティが確立されていないの…」だとか、「セルフモニタリング力が異様に欠落している」、「でも、もしかすると本当に偶然…」とか呟いていた。


 最終的に、「いえ、もしも嫌だったのであれば、キスをされた際に首に腕などからめませんね」と締めくくると、打って変わって、やたらと勝ち誇ったような表情を浮かべて私を見やった。


 「お待たせしました。私なりの結論が出ましたので、お伝えしても構いませんか?澄香」


 「…なに、それって絶対に…」


 「聞くのですか、聞かないのですか」


 こちらの言葉を遮った天上院華の一声によって、部屋に沈黙が落ちる。それは大きな古時計が時を刻む音がはっきりと聞こえるほどの静寂を二人の間にもたらした。


 私は少しの間逡巡した。先ほど見せた表情からして、ろくでもないことが待っているような気がしたからだ。しかし、私は彼女の意見を聞きに来たのだと当初の目的を思い出し、しぶしぶではあるが、片手を差し出して続きを促した。


 天上院さんはどこか満足したふうに頷いた。いつもよりあどけなく見える。


 「――とどのつまり、澄香は自分の気持ちを理解するために、その宛先である私の心を知ろうとしているのですよ」


 自分の、気持ち…?


 私は何を言われているのか分からず、黙って天上院さんを見つめていた。


 「自分では向き合えない、あるいは、判然としないものをどうにかするために、他人の持つ型枠を利用しようとしているのです。なるほど、確かに合理的かもしれません。近い型が見つかれば、理解が容易くなりますから」


 天上院さんは、未だ黙っている私を置いて、「ですが」と続けた。


 「私はご存じの通り、天上院華です。清廉潔白、文武両道の、天上院の娘。…ゆえに、そんな小狡い真似は許しません」


 とすん、と何か軽い衝撃を受けて、私の体がわずかに後ろに反る。何事かと遅れて反応した視線の先には、私の胸の間に突き立てられた、白魚のような人差し指があった。


 「自分の気持ちぐらい、自分で決めるものです。普段、この私にお説教してみせる澄香のことですから…その程度、まさかできないとは言いませんでしょう?」


 その“気持ち”がはっきりしたとき、そしてそれをきちんと自分に伝えたとき、天上院さんも今までの行動の理由を説明する。


 そんな言葉を残して、天上院華は学園長室を去って行くのだった。

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