勘違いしないでくださいよ、天上院さん!.2
遊びに来ただけだが、一応、挨拶をさせてほしいとお願いしてきた天上院さんに導かれ、私、瀬里奈、母はリビングのダイニングテーブルを彼女と共に囲んでいた。
私のホームであるはずなのに、天上院さん一人いるだけで、まるで別世界に来たみたいだった。それは、人の家なのにあまりに堂々として優雅な天上院さんの振る舞いにも原因はあっただろう。
「ほ、本当に澄香のお友だち、ですか…?」
こんにちは、こちらこそ、とかいう言葉以外で、母が天上院さんに対してまともに発した初めての言葉がそれだった。
おい、と顔をしかめるも、気持ちが痛いほど分かってしまうから、複雑な気分だった。
小森の血筋と天上院の血筋は、まるで違い過ぎる。それはこの手狭な食卓で十分に理解できることであった。
「はい。もちろんです。小森さんにはいつもお世話になっていて…あ、どうぞこちらを。たいしたものではありませんが」
そう言って彼女が差し出したのは、名前も知らないメーカーの焼き菓子。だが、分かる。袋の高級感から、とても庶民的なアイテムではないことぐらいは…。
「ま、まぁ、これはこれはご丁寧に…!やだ、恥ずかしくなっちゃうわ、うちのお手製クッキーなんて」
そうして、母が皿に盛りつけていたクッキーを取り下げようとしたところ、素早く、天上院さんが言葉を紡いでそれを止める。
「いえ、そんな。実は私、先ほどからこの美味しそうなクッキーの香りが気になっていまして…もしかして、頂いても構わないのでしょうか…?」
おそるおそる、という様子で尋ねる天上院さん。これも分かる。彼女は母が喜びと安心を抱くことを理解して尋ねている。
母は大喜びでクッキーを戻した。そうすれば、天上院さんも優雅な所作でクッキーを口に運び、その味を上品な言葉で絶賛するものだから、母はあっという間に天上院さんの虜になってしまった。
「もう、本当に驚いたわ!こんなに素敵な子が澄香のお友だちだなんて!いえね、友だちを連れてくるなんて初めてだったからそれも驚いたのよ。ほら、この子、あれじゃない?」
「なんなの、あれって…」と唇を尖らせてぼやく。
すると、またしても天上院さんが美しい旋律で切り返す。
「引っ込み思案ということではないでしょうか?もちろん、そこが小森さんは可愛いらしいのですが」
よく言うよ、という言葉は出せなかった。リップサービスでも嬉しいと感じてしまったことは事実だし、そもそも、装甲車の激走も止められないからだ。
「え、は?今、なんて?」
素っ頓狂な声を発したのは瀬里奈だ。口調がもう素に戻っている。
天上院さんは少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに気を取り直して微笑んだ。
「引っ込み思案なところが可愛いらしい、と言ったのですよ。小森さん」
ちょっと、やめて。
(家族の前で何のアピールなの。それはやりすぎ…。もう二人とも警戒なんてしてないよ。それどころか…)
妹の瀬里奈と母は互いに顔を見合わせると、瀬里奈は心底不思議そうな顔をして、母はとても嬉しそうな顔をしていた。
これだ。本来、天上院華という人間はこうなのだ。
文武両道、品行方正、容姿端麗。全方位、どこからどう見てもケチのつけようがない存在。
立てば芍薬、座れば牡丹。歩く姿は百合の花。
見るものすべてを魅了する、彼女の表面。つるつるとした、白磁器みたいな部分。
私も本当は…そこだけを見て、憧れだけを抱いていられたのならよかったのかもしれないけれど…。
そのうち、唖然としている三者を置いて、天上院さんが困ったようにはにかんで言った。
「それはそうと、当たり前ですがみなさん揃って『小森さん』なのに、同じように呼んでいたら変ですね」
「え、ま、まぁ…?」
別に変なことはないだろう、と受け流しつつ、私は妹の生返事を聞いていたのだが、直後、天上院さんが私に微笑みかけながら言った言葉に胸がぎゅっとしめつけられるような感覚を覚えた。
「ではこれを機に、小森さんのことを澄香さんと呼んでもいいでしょうか?」
「す……」
息ができなかった。心臓さえも止まったみたいだった。
しばらくの間、私と共に絶句していた瀬里奈が、「さ、『さん』はいらないんじゃないですかねぇ!?」なんて余計な発言をしたことさえ、どこか、遠くの世界の話みたいに聞こえていた。
「では…」と天上院さんがこちらを見つめる。
予感がした。
心の準備はできていない。その輝きを受け止める場所なんて、胸のどこにもないのに、予感だけがしていた。
(待って)
その言葉は、音に飾られないまま頭の中だけで響いた。
「――澄香」
美しい旋律で、鼓膜が揺れる。
眩い微笑みで、心が揺れる。
瞬間、ぶわっ、と体が熱くなって、私は天上院さんから目を逸らした。
『好き』。
いつか、瀬里奈が言っていた言葉が蘇る。
心が、何かを理解してしまった。でも、即座に私はそれを拒み、固くつむった目蓋の裏側に潜む闇に押し込める。
分かっていたから。
この輝きは、決して私のものにはならないと。