女神ですよね、天上院さん!.1
久しぶりの更新です!
今はできるだけライトに、ラブコメチックに書いてみたつもりです!
百合好きでお時間ある方は、ぜひご覧頂けると嬉しいです!
「あれ…」
私――小森澄香は目を点にして更衣室のロッカーを見つめていた。
すでに体育の授業は終わっている。
今日のバレーもまともに活躍できなかったなぁとか、邪魔になっていなかったかなぁとか、そんなことばかり考えて片づけが遅れていた私だったが、直後、自分が陥った状況にそんな悩みは消えていた。
(ない…?)
脱いだ体操服を右手で胸に寄せて、もう片方の手でロッカーの中をあさる。
制服のスカートはある。みんながダサいと言ってやまない水色のスカート。水色のブレザーも、白シャツも。
でも、リボンタイだけがなかった。
(んー…授業の前までは、確かにあったのに…)
初め私は、どこかで落としたのかなぁ、と自分を無理やり納得させるような考えが頭に浮かんでいた。しかし、記憶を遡ると、やっぱりきちんとロッカーに入れた気がして、そうではないと思った。
次に、誰かがちょっとした悪戯でリボンタイを隠したのでは、という考えが浮かんだ。
私はかなり小柄で引っ込み思案なため、どうにも他人にからかわれやすい人間だった。嫌な気持ちになるような悪戯を受けても何も言えないから、今日もそのうちの一つだと考えれば、納得できるような気がした。
シャープペンとか、消しゴムとか、教科書とか…。
たまに姿を消す私物たちを思い浮かべる。なくなっても困らないタイミングで盗っていって、必要なときには勝手に返ってくるから、先生に相談したりしたことはない。
更衣室のロッカーは、蓋も何もないため実質、ただの棚だ。盗ろうと思えば盗れるから、やっぱり誰かが悪戯で持って行ったのだろう。
とはいえ…。
(えー…これで先生に怒られたら嫌だなぁ)
リボンタイの着用は校則で決められている。優しい先生なら軽く注意するか、見て見ぬふりをしてくれるだろうが、厳しい先生だとその場でお咎めをくらう。
私は、廊下でばったり出くわした生徒指導に自分が注意される姿を想像し、身震いした。ヤンチャな生徒も恐れる相手だ。私などでは卒倒ものかもしれない。
自分に降りかかるかもしれない心配事をぼんやりと頭に描いていたからだろう。いつの間にか更衣室にはほとんど誰もいなくなっており、その場には、私ともう一人の生徒だけになっていたのだが…。
無意識的に、もう一人の生徒に視線が吸い寄せられる。それは、夜の誘蛾灯に羽虫が惹かれることに似ていた。
すらりと伸びた背筋、白い肌、鴉の濡れ羽色のふわふわした長い黒髪。
大人っぽい黒い下着。私が着たら絶対に笑われるだろうという艶やかな装いは、まるで彼女のために設えられたもののようにぴったりだった。
私がそうして盗み見ていると、ぱっ、と彼女がこちらを振り返った。
黒曜の夜空を映したような黒い瞳が、私の矮小な宇宙を覗き込む。その瞬間、盗み見ていた自分がどうにも恥ずかしくて仕方がなくなった私は、ぺこ、ぺこ、と何度も頭を下げて顔の向きを元に戻す。
「…どうかされました?小森さん」
冗談みたいに丁寧な口調。それだけで、自分のような芋っぽい人間と彼女の住んでいる世界が天と地ほどに違うことを思い知らされる。
でも、それを知ったとて、悔しさや恥辱を覚えることはない。
“彼女”は誰がどう見ても、特別だ。
自分なんかがその天使が吹くラッパのような声を無視するわけもなくて、慌てて体ごと振り返る。
「な、なんでもないですよ、天上院さん」
天上院華。学年一、いや、学校一の美人だとよく言われているクラスメイトだ。
文武両道、品行方正の天上院さんと私は友だち――とは口が裂けても言えない。彼女が私のような日陰者を認知しているかどうかも怪しいのだ。
だからこそ、こうして天上院さんが私の名前を呼んだことには驚いた。クラスメイトの中には、本気で私のことを『森さん』だとか『小林さん』だとか呼んでくる人もいるのだから、天上院さんの記憶力はさすがと言える。
天上院さんが授業中に答えられない問題はないし、活躍できないスポーツもない。部活には所属していないようだが、学園長の娘でもある天上院さんは本の虫だと聞いたことがあるし、私のような凡人が帰宅部をやっているのとはわけが違う。
もちろん、天上院さんがずば抜けているのは、そうした能力面だけではない。
すらりと伸びた手足。高校二年生とは思えない凹凸に富むボディライン。日本人離れした鼻の高い、端正な顔立ち。腰の位置なんて、冗談抜きで私のあばら辺りなのではないだろうか…?性格も――。
「あの、小森さん?」
脳内天上院さん語りに夢中になっていた私を現実に戻したのもまた、天上院さん自身であった。
彼女は長袖の白シャツを胸に抱くと、呆けている私に向けて、ほんのり顔を赤らめこう言った。
「その…着替えているところをそんなに見つめられると、少し、恥ずかしいです」
ハッ、と呼吸を忘れるほどの愛らしさ。
(か、かわいい…っ!)
同性の私ですらこうも見惚れるのだから、天上院さんと青春時代を共にする男子生徒たちはたまったものではないだろう。
そんなことを考えた数秒後、私は自分如きが天上院さんの下着姿を凝視していたこと、その罪深さに気づき、慌てて飛び上がる。
「ご、ご、ごめんなさい!その、悪気があったわけじゃ、あの…」
「ええ、分かっていますよ。大丈夫です」
聖母のように柔らかな微笑み。後光が差している。
(わ、私如きに、器がお広いお方で…!)
その聖なる光に当てられた私は、安堵するどころかいっそうパニックになって、迂闊にも余計なことをしゃべってしまう。
「り、リボンタイがなくて、こ、困ってましたところを、つい、天上院さんに声をかけられて、あのぉ…!」
「リボンタイが、ない?」
私の拙い状況説明を耳にした天上院さんは、先ほどまでの慈しみ深い表情から一転、深刻で悩まし気な面持ちを浮かべてみせた。
「どこかに落してしまわれたの?」
小首を傾げる天上院さん。かわいい――ではなくて…。
私は一瞬、考えを巡らせた。どう答えるのがこの場において最も相応しいかを考えたのである。
天上院さんほどではないが、私もそんなに頭が悪いほうではない。現代文や古典などの一部科目だけならば、全国模試で天上院さん以上の点数を出せる。まぁ、理系になるとてんでダメなのだけれど…。
私は一人得心してから、天上院さんにこう告げる。
「――いえ、多分、家に置き忘れてきたのだと思います」
人望のあることでも有名な天上院さんのことだ、私が『盗まれたかもぉ…』なんて言ったら、一緒に探すとか、先生に相談しようとか言い出すに決まっている。
事なかれ主義の私は、こうした問題を大きくしたくないという気持ちがあった。返って来ないなら別だが、だいたい、盗られた物は放課後か次の日には人知れず返却されているから、私自身はあまり気にしていなかったのである。
天上院さんは、「そうなのですね」とほっとした表情を浮かべてくれた。
私のような人間の物でも、失くしたとあっては心配してくれるから天上院さんは本当に出来た人だ。
「ご心配おかけして、すみません」
「いえいえ、謝るようなことはありません」
盗まれたことは多少、億劫なことだが…天上院さんと言葉を交わすきっかけを作ってくれたとあれば、案外、ラッキーなことだったかもしれない――とその後に起こることを一ミクロンたりとも想像できなかった私は満更でもない微笑みを浮かべるのだった…。