サポニスのおしえ
サポニスはアイリスとアルス、そして私を「秩序の天秤」の部屋に招いた。
部屋に入ると、中央には神秘的な輝きを放つ天秤があり、魔法陣がその周囲に刻まれていた。
サポニスの授業は、まず魔法の基本から始まった。
「魔法は、ただ使うだけではなく、制御することが最も重要です。暴走した魔法は敵だけでなく、自分や味方をも危険にさらします。」
サポニスが手をかざすと、小さな火球が浮かび上がった。
それは静かに揺らぎながら、彼の手のひらの上で安定している。
「例えば、この火球。
炎の魔法を使うこと自体は簡単ですが、これを適切な形に維持し、必要な時に消すことができなければ、真の魔法使いとは言えません。」
私はじっとその火球を見つめながら、サポニスの言葉の意味をかみしめた。
「魔力の流れを感じてみてください。」
お姉ちゃんが目を閉じて集中すると、周囲の空気がわずかに振動するのがわかった。
私も真似してみると、微かにサポニスの魔力が流れているのを感じた。
「この感覚をつかむことが魔法制御の第一歩です。
感覚を磨けば、敵の魔法の流れを読んだり、自分の魔法の精度を上げることができます。」
「サポニス先生、秩序の天秤ってどう関係してるの?」
私の問いに、サポニスは微笑んだ。
「秩序の天秤とは、バランスの象徴です。
力を持つ者は、その力をどう使うかが問われる。
秩序を守るためには、無闇に力を振るうのではなく、正しい判断と制御が必要なのです。」
「つまり、魔法も同じってこと?」
「その通り。強大な力を持つほど、使い方次第で秩序を保つことも、乱すこともできるのです。」
私とお姉ちゃんは目を合わせて、うなずいた。
「それではアルス殿下、この天秤は森の統治における法の象徴ですが、その意味をお分かりかな?」
「法の象徴……それは、正義を実現し、秩序を保つためのものですか?」
「その通り。しかし、法は剣や軍勢のような力ではない。
法とは全ての者が平等に裁かれるという『正義の原則』です。
そして、これを支えるものが『平和』と『調和』なのです。」
サポニスは天秤に近づき、その片方の皿に触れた。
「これらバランスを保っている状態こそが、『平等』なのですよ。
もし、この『平和』と『調和』の土台が崩れれば、天秤は役立たずになることでしょう。」
サポニスは天秤の下部を指さし、そこに刻まれた模様――森を象徴する自然と生命の調和――をアルスに見せた。
「300年前、初代国王と竜騎士だった王妃がこの国を築いた。
当時は力が全てを支配する時代だったが、私は二人に『法が裁く世を作るべし』と説いた。
そうして、国の秩序を守る象徴として、この天秤が竜の森に据えられたのです。
ここに竜の魔力が注がれ、後世に受け継がれる『秩序の天秤』となりました。」
「それでも争いが絶えないのは、人間がこの天秤の意味を忘れてしまったからでしょうか?」
と、お姉ちゃんがサポニスに問うと、
「忘れたのではない、理解していないのですよ。
この天秤が何を象徴し、何を守るためにあるかを。」
サポニスは少しうつむいて、悲しい顔をしていた。
「法治国家とは、全ての者が法の下に平等であり、王や貴族ですら法に従う国のことですな。
それは支配ではなく、調和による統治。
初代国王と王妃がこの理を理解し、実行したゆえ、この国は長きにわたり平和を保てたのです。」
「法による統治がなければ、弱い者が守られることも、国が一つにまとまることもなかったでしょうね。」
「法とは力ではない。
法とは平等の象徴であり、強き者も弱き者も、その前では等しく裁かれるべきもの。
だが、法はそれだけでは成り立ちませぬ。
平和と調和がその根を支え、法の力を正しく使える者がいて初めて機能するのです。」
アイリスもアルスも、このサポニスの難しい話をよく聞いていた。
それから二人はサポニスに質問していた。
「では、法を守るためには、どうやって平和と調和を保てばよいのですか?」
「それこそが治政の本質ですな。
平和は力だけでは守れませぬ。
調和は異なる意見をまとめる忍耐と知恵を必要とします。」
「サポニス様、ではなぜこの天秤は森を守るだけでなく、人間も助けたのですか?」
「法は一つの種族のためのものではない。
この天秤は、この森におる全ての者の平和と調和を守るためにあるのです。
たとえ人間であれ、その命は法によって守られる。
それがサニア様の願い、そしてお嬢様の『優しい森』の意志でもあるのです。」
「私は、この教えをさらに広め、今の法治国家を守り抜きます。
それがこの国をより良くする道ですね。」
とアルスが決意を込めて言った。
「法を守る者は力を持たねばならないが、それは決して憎しみのためではない。
平和と調和を願い続けることが、真の力になるのです。
その志を持つ者が次代を担うならば、この国の未来も安泰であろう。
だが、法を守るには知恵と力が必要です。
アルス殿、アイリス殿、そしてお嬢様、あなたたちがその知恵と力を携える存在となることを願っております。」
天秤の輝きが静かに部屋を照らし、その下には刻まれた古代文字が語りかけるように並んでいた。
サポニスが手を差し出し、天秤の表面を撫でるように触れた。
私もまた、天秤に手を伸ばしながらつぶやく。
「お母様もこの天秤を守ってきたのよね。
私もこの天秤を守り続けるのね。」
お姉ちゃんがそっと私の肩に手を置き、「私も一緒に守るわ」と微笑んでいた。
二人の竜の紋章が、それに応えるように、静かに輝きを放っていた。
続いてサポニスは、「竜騎士とは何か」について語り始めた。
「竜騎士の使命とは何か? という話は、聞いておりますでしょうな?」
「はい、竜騎士が『秩序の天秤の守護者』であると聞いております。」
「竜騎士とはただ戦う者ではない。
天秤を守り、法と平和の象徴たる存在。
そしてそれを実現させるための『力』であるのです。」
お姉ちゃんは少し戸惑ったように言った。
「私たちが、その責務を負う……ということですか?」
「いずれの勢力かが『秩序の天秤』を破壊しようと画策するであろう。
力による支配を望む者、あるいはこの天秤を己のものにしようとする者が現れるでしょう。」
「そんなことになれば、民は恐怖におびえながら暮らすことになります。」
「まさにそう。
だからこそ、『希望』が必要なのです。」
「……そうか、そこで竜騎士が必要になるのね。」
私は思わず、にんまりと笑って、
「かっこいい竜騎士さんの出番ね。」
サポニスもうなずいた。
「その通り。秩序の天秤の守護者は、平和と調和を愛する民の味方であり、それを守るための力でもあるのです。
法治国家はそれを実現しようとする民の意志によるものですが、それは圧倒的な破壊の力の前では無力です。
しかし平和を愛し、調和のある世界を求める者たちには、自由のために戦う旗印が必要なのですよ。」
「だから、平和と調和の象徴が竜騎士なのですね。」
「この天秤が揺れる時、秩序が乱れたことを示す。
それを正すのは、この国を治める者の役割である。
忘れるではないぞ。」
天秤はわずかに揺れながら、静かにたたずんでいた。
チコおばちゃんがお鍋をたたいて音を立て、みんなに夕食を知らせていた。
「夕飯の支度ができたよ。今日はおしまいにして、楽しいご飯にしましょう。」
この合図とともに巡回に出ていたカイルやネルフたちも戻ってくる。
チコおばちゃんの料理もおいしいけれど、みんなで食べるご飯はもっと好き。
私の「好き」を守るための力。
みんなの笑顔を守る力。
それが竜騎士の持つ力なのね。
サポニスの教えが、少しずつ私たちの中に根付いていくのを感じた。




