7.選択肢
水の中でだけ満開になる花の茎、火の鳥が生まれる赤い果物の果汁、徳を積んで空を飛んだ魚の涙。
……ラベリングされた素材の状態が良好なのを確認するのは、日頃の習慣だ。けれどその瓶を丁寧に退かして、机のスペースを確保するのはイレギュラーなことだった。
どういう印象を抱かれているのか、整理整頓とか得意そうだね、と言われることがたまにあるけれど、私に与えられた部屋は何も知らない人が見れば、きっと混沌としているという感想しか抱かないと思う。
仮にも錬金術師を志す者として、決して素材や魔石を乱雑に扱うことはなく、何がどこにあるのかだってきちんと把握している。
それぞれを良好な状態に保てるよう手入れもしているし、そういう意味では整理整頓ができていると言ってもいいのだろうけれど、とにかく物が多い。使える隙間はありとあらゆる手を使って素材や魔石、参考書などを詰め込んでいる。
錬金科の友人などが稀に顔を出した時には、何か一つでも取り出そうものなら全てが崩れそうとまで言われてしまった。きちんと掃除しているし衛生的に汚くはない、はずだけれど、少なくとも絶対に好きな人には見せられない部屋であることは間違いない。
けれどここが置き場所、と決めたものを退けてまで机を空けたのは、その好きな人との距離を詰めるためだ。普段勉強は教室や図書室を利用することが多いから、まともに部屋で書き物をするのは久しぶりだった。
机に広げたのは、何の変哲もない一枚の白紙。我に返ってしまえば羞恥に筆が止まってしまいそうだったから、私は勢いだけでそこにペンを滑らせた。少しだけ荒々しい、けれどはっきりとした黒い文字が、字間を伸びたインクで繋ぎつつ浮かび上がる。
『レクス先輩に、愛してるって言ってもらうために』
「う……」
書いてしまえばやっぱり文字の圧に尻込みしてしまいそうだったけれど、ここでペンを投げてしまえば今までと何も変わらない。
自分を叱咤しつつ、私は唸り、普段全く使っていない部分の脳みそを必死になって動かした。それはもう、新しい錬金薬のレシピを考えている時だって、こんなに頭を使わないというくらいに。
けれどその甲斐あって、亀の歩みではあるものの小さな字で箇条書きのアイデアが並んでいく。
・おしゃれをしてみる
・一緒に恋愛物語を見ていい雰囲気を目指す
・こちらからスキンシッ
プ、まで書こうとして、羞恥に耐えられず私は真っ赤な顔でぐちゃぐちゃとそれをペンで消した。そして横に一周くるりと回した矢印を描き、「保留」と大きな字で注釈を入れる。
そしてどう頭を絞っても、現実的に私が行動に移せそうなものがそれ以上浮かばなくて、私はインクがちゃんと乾いているのかもきちんと確認しないままに、ペンを投げ出すとぱたりとその紙の上に頭を伏せた。
錬金薬のアイデアだったら書き出すのが追いつかないくらいに浮かんでくるのに、こと恋愛となると引き出しがこんなにも小さいなんて。……でも、恋愛のラベルが貼られた私のちっぽけな引き出しは、レクス先輩で埋まっているんだから仕方ない。
気を取り直して、私は身体を起こすと軽く頬を両手で叩いた。亀の歩みでも、できることが少なくても、ゼロじゃないのはいいことだ。
錬金薬だって、調合に失敗することは沢山あるけれど、どうして失敗したのか、どうすると失敗するのかがそこから見えてくる。でも、実験をしなかったら何も手の中には残らない。
これは曲者揃い、変人揃いの錬金科で唯一共通した考えと言ってもいい。だからそう、錬金科のいち学生として私は引き下がるわけにはいかない。
「がんばれシェルタ、トライアンドエラー、調合と一緒……!」
まだ熱の残る頬でぶつぶつとそう呟きながら、私は見えやすい場所を整えてその紙を貼り出した。
一つはペンで消してしまったから実質二択だけれど、選択肢がある分上等だ。とりあえずハードルの低い方から、この勢いを失わないうちに実行に移そう。
……勿論、無理のない範囲で、になるけれど。本番はまだ先とはいえ、何事も準備は早く取り掛かったほうがいいはず。普段寝る前は錬金術の本を読み耽っていることが多いけれど、今日だけは特別だと私は立ち上がった。
一先ず確実にいつもよりも向き合うことになるだろう姿見を見えやすい場所に、と普段スペースの関係で端に追いやってしまっているそれを何気なく覗き込み、早々に悲鳴を上げる。
インクが乾くのを待たず紙の上に顔を伏せたのをすっかり忘れていた。まだらにインクが伸びてしまった顔は、まるで罰ゲームを受けた子供みたいな有様だ。このインク、そういえば落ちにくいものを選んだ気がする。これはひょっとしてひょっとしたら、準備どころではないのでは。
慌てて濡れタオルを用意して半泣きで擦ってはみるものの、余計に広がってしまって私は二度目の悲鳴を上げた。
どうにかこうにかインクを落としたものの、明日寝坊してしまいそうなところまで手こずってしまった。諦めて寝支度へ方向転換しつつ、意気込んだ最初からこれじゃあ先が思いやられるな、と押し出されるようなため息を吐く。
ふと顔を上げれば、引っ張り出した姿見にきらりと魔石の髪飾りが反射した。いけない、もう眠るところだというのにすっかり外すのを忘れてしまっていた。するりとそれを癖のない金髪から引き抜けば、昔から馴染んだ雫型の美しい魔石が掌の中へと収まる。
それをじっと見つめて、私はふと口元を緩めた。
魔石は錬金術の素材としても広く親しまれているものだけれど、これはその中でもかなり品質がいい。
実際入学してから何回か、どこでそれを手に入れたのかと声を掛けられたことがあるくらいだ。いくらかで譲ってほしいと言われたことさえあるけれど、どれほどお金を出されたって何を引き換えにしたって手放せないくらい、これは私にとって思い出深い大切なものだった。
それはこの魔石の価値なんて知らなかったあのときから、ずっと。
これは私の憧れの象徴で、夢への道標で……それは錬金術に限った話ではなく、まさに今頭を悩ませている恋愛についてもそうだったりする。
──私にとって、あのたったの五文字が何よりも特別になった、きっかけ。
レクス先輩から欲しい言葉を貰うことができたら、私もこの魔石の来歴に恥じない女性になれるだろうか。……少なくとも、子供みたいにインクで顔を汚しているうちは、まだ難しいかもしれないけれど。
そう考えたらまた落ち込みそうになって、私は心に立ち込める暗い気持ちを振り払うように首を横に振り、ベッドへ潜り込むと枕に顔を押し付けた。いつだって思い描いた未来は心を逸らせるけれど、今焦ったって仕方がない。
とにかく、慣れない分野だから当分は勉強もして、頑張らないと。そうだ、まずはああして、それからこうして、と脳内で青写真を描いていれば、段々と思考が不明瞭になっていく。暗闇と静けさはあっという間に眠気を運んできて、気疲れしていた私の意識に抗う術などなく。
「れく……せんぱ、いに……ぜったい……むにゃ」
翌朝、時計を見て三度目の悲鳴が上がるとも知らずに呑気な寝息を立てる私を、カーテンの隙間から満月だけが呆れたように見下ろしていた。




