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6.歩み寄る

 そのまま私の膝から溶け落ちてしまうんじゃないかと思うほどの伸び具合に、これが液体じゃなくて生き物なのが信じられなくなってくる。


「わ、わ、わっ! ど、どうしたら」


「あはは、シェルちゃん落ち着いて。そいつ随分人慣れしてるし、多分少しくらい触ったって逃げたりしないよ。撫でてやったら?」


 穏やかにレクス先輩に促され、彼と膝の子猫を交互に見やった私は、やがて誘惑に負け、眼前に晒された真っ白な魅惑のお腹にそろりと手を伸ばしていた。

 ふわ、と指先に触れた感触は極上の柔らかさと温もりで、思わず感嘆の息が漏れる。ゆっくりと躊躇いがちに動かしていれば、やがて目を細めた子猫がごろごろと喉を鳴らし出した。


「か、か、可愛い……っ」


「ふ、うん、可愛いね」


 柔らかな声に、レクス先輩も猫がお好きなんですか、と聞こうと顔を上げて、目元を緩ませ真っ直ぐにこちらを見つめる彼にどきりと胸が高鳴った。

 ぱっと視線を子猫に戻して、私の髪飾りにじゃれつこうとするその愛らしい姿を見ても、一度気がついてしまえば彼からの焦げ付くような視線に意識が向いて仕方がない。

 むず痒さを誤魔化すように、私は視線を落としたまま口を開いていた。


「そ、そのっ、レクス先輩もこの子、撫でてあげますか」


「ん、俺? 俺は……」


 途切れた声に顔を上げれば、レクス先輩は私の膝の上で寛ぐ子猫をじっと見つめていた。その視線を辿るように子猫に目を向けてみれば、こちらもじっと彼のことを見つめていて。

……でも、愛らしい小動物と見つめ合っているというよりは、変な例えだけれど観察というか、お互い出方を伺っている、ような。

 心なしか張り詰めたその空気に、おかしなことを言ってしまっただろうかと戸惑っていると、彼がふと息を吐いて私の隣に腰掛けた。


「……俺は見てるだけでいいよ。別に猫は嫌いじゃないんだけど、ちょっと苦い思い出があって」


「そ、そうなんですか」


「うん。それにこいつシェルちゃんのこと大好きみたいだし、俺が割り込んだら可哀想でしょ」


 何の気なしに言い放たれたそれに、思わず子猫を撫でる手が止まった。心地よさそうに目を細めていた子猫が咎めるように片目を開いたから、慌てて動きを再開させたものの、とても集中できそうにない。

 そろりと横目で彼の様子を窺ってみるけれど、寛いだ様子でローブを羽織りなおしていて、さっきの言葉は本当に他意のないものだったんだなと悟ってしまえば、ぎゅうと胸の底が握りしめられたように痛んだ。


……憧れの猫ちゃんに懐いてもらえたのはとても嬉しいけれど、どうしたって考えてしまう。……その「大好き」が、彼からのものだったら、どんなに。


……レクス先輩は私のこと、どう思ってますか。欲張りかもしれないけれど、たまには、言葉が欲しいです。

──たったそれだけのことを、口に出せばいいと分かっているのに、意気地なしな私にはそれができない。彼がどうして私を選んでくれたのか分からなくて、それがずっとどこか、引け目みたいに感じていて。


 言葉が貰えないのは、恋人として触れてもらえないのは……そこに気持ちがないからかも、なんてほんの少しでも思ってしまえば、簡単に足が竦む。

 彼と真正面から向き合ってしまえば、この幸せな日々が夢から覚めるように終わってしまうんじゃないかなんて、どうしても考えてしまう。だから一歩踏み出す勇気なんて湧いてこなくて、今に留まることばかり考えてしまって。


……例えば、私が不満さえ表に出さなければ。今日みたいに不安げな様子を気取られてしまうことがなければ、この日々はずっと続いてくれるのだろうか。

 好きな人の彼女でいられるのなら、傍に置いてもらえるのなら。……好きとか愛してるとか、ずっと言ってもらえなくたって、キスの一つも、してもらえなくたって──……


「にゃ!」


 不満げな鳴き声に、私ははっと我に返った。考えごとをしながら撫でる手つきはお気に召さなかったらしく、慌てて視線を落とした時にはもう、小さな温もりは離れてしまっていて。

 気のせいか肌寒く感じるそこから視線を移せば、身軽に着地した子猫がくりくりした金色の瞳で私のことを射抜いていた。


……馬鹿みたいな話だけれど、それにまるで弱気な思考を咎められているような気になって、後ろめたさから視線を彷徨わせる。その間に別段未練を感じさせることもなく、軽快な足音は遠ざかっていった。

 ぼんやりとそれを見送る私が逃げられて落ち込んでいるように見えたのか、レクス先輩は苦笑を浮かべた。


「あー、やっぱ猫は気まぐれだね。でもあの猫この辺によく来るみたいだし、きっとまたすぐ会えるから落ち込まないで。次会った時は、シェルちゃんから距離詰めてやったらいいんじゃないかな」


「……私、から?」


「うん。ほら、シェルちゃん結構動物には奥手だけど、あれだけシェルちゃんのこと好きだったら多分逃げないから。薬品の匂いで嫌がられるって前言ってたし、嫌われたらどうしようって不安になるのも分かるけど、たまには押してみたら案外良い結果になるかもよ」


 レクス先輩が何でもないように言ったそれに、けれど私はゆっくりと目を見開いた。彼がそんなつもりで言ったわけじゃないと分かっているけれど、まるで天啓を得たような気分になる。

 さっきやけっぱちに、私さえ我慢していれば、不満さえ表に出さなければ、ずっとこの日々が続いてくれるんじゃないか……なんて考えてしまったけれど。

 でも本当は、続いたとしてそんな関係は健全じゃないし、いつか限界が来ることくらい私にだって分かっている。かといって自分に自信もないから、結果に怯えて、面と向かって聞く勇気も湧かなくて、二の足を踏んでしまっていたけれど。


 たまには押してみる、なんて考えもしなかったけれど……真正面から向き合う覚悟がまだできてなくても、欲しい言葉を貰うために少しくらい、頑張ってみてもいいのかもしれない。

 今まで、彼に求められるままに好意を告げるばかりで、それが恥ずかしくて気力を使うものだから、積極的になれてるような気でいた。でも、思えばそれ以外で、恋人として自分から彼にアピールしたことなんて殆どない。


……急に私が積極的になったら、彼に不審に思われてしまうかも、と意気地のない自分が囁くけれど。でも──「好きだったら、距離を詰められても逃げたりしない」というレクス先輩の言葉が、臆病な私の背中を押した。

 その分かりやすい指標は、彼がなかなか私に見せてくれない本心を、示してくれるかもしれない。


 気がつけば、私は両の拳を握って彼のターコイズブルーの瞳を見上げ、口を開いていた。勢いなんてないし、弱々しくて、隣に彼が座っていなければ聞き逃してしまうかもしれない……けれど私の精一杯の、宣戦布告。


「私……がんばって、みますっ」


 どこか必死さが滲んでしまったそれに、レクス先輩は少しだけ目を瞬いた。けれど唇を引き締めて目を逸らさない私に、やがて思わずと言った風に破顔して。


「あはは、シェルちゃん難しい錬金薬の調合に挑む時みたいな顔してる。それじゃ猫も逃げちゃうよ」


「えっ」


 そんな怖い顔してたかな、と頬に両手を当てて揉みほぐしながら慌てる私に、彼はまたくつくつとおかしそうに笑って、それからふとベンチから立ち上がると両手を組み、天へと突き出すようにぐっと伸びをした。


「もう結構暗くなっちゃったね。意気込みはいいけど、身体冷やして体調崩しちゃったら元も子もないし。寮の前まで送ってくよ」


「あ……、ありがとうございます」


 応えながらも、当然のように差し出された大きな掌を、思わずじっと見つめてしまう。

……私たちの拙い恋は、関係は、ずっとレクス先輩が手を引いてくれていた気がする。だからこそ、彼が足を止めてしまえばそれ以上進むことはできなくて、私はそれが不安だった。

 でも、それなら今度はきっと、私が彼の手を引けるようになるべきなのだ。


 少し視線を上げてみれば、柔らかくて暖かい感情を湛えたターコイズブルーが一心にこちらを見つめていて、ふと湧き上がった想いに突き動かされるように、私は彼の手に自分のものをそっと重ねた。


 ……踏み出すのは怖いけれど、でも、それ以上に知りたい。彼のことを、もっと。二人の間にある見えない壁みたいなものを壊して、彼がすぐに笑みの下に隠してしまう感情を、私にも見せて欲しい。


──……彼がよく私に強請る、あのたったの五文字を、貰うことができたら。そうしてこの関係が一歩、進んだものになったら、それが叶うのだろうか。

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