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48.紙の剣

『……じゃあ、シェルタには人の隠し事が分かるんだ。すごいね、魔法みたいだ。だとすると、僕の秘密も君は知っているのかな』


 どうして錬金術師を志したのかという、ありふれた問いかけから始まった話題だった。

 珍しく暇な時間ができたから、一人で静かに休めるだろうかと試しに図書室の貸切を申請して、けれどあまりに静かすぎて却って落ち着かないその時間は、期待外れなもので。

 もう部屋に戻ってしまおうとランが図書室の扉を開けた瞬間、見下ろした先に居た彼女が上げた素っ頓狂な悲鳴は、今思い返しても思わず肩が震えてしまう程のものだった。


『ら、ラン先輩……!?』


 突然開いた扉に驚き固まっていたシェルタは、どうやら今日この時間は図書室が解放されていないことをここに来るまで忘れていて、悄然としながら戻ろうとしていたところだったらしい。

 謝罪だけを残して慌てて去ろうとする彼女を引き止めて、好きな本を探せばいいよと招き入れたのは、退屈凌ぎが少しと、あとは真面目で心優しい、素直に好感が持てる後輩への純粋な厚意だった。


 大きな机の、二つほど離れた席にふたり腰掛けて、気まぐれに手に取った懐かしい本を捲って。横目でシェルタの方を見遣れば、分厚い錬金術の参考書を一心に見つめる彼女があまりに目を輝かせていたから。

 レクスと違い、別にランは錬金術も不得手ではないけれど、あの混沌とした学問にそこまで熱を入れる気持ちは弟同様さっぱり理解できなかった。だから、口をついた疑問は本当に、深い意味のあるものではなくて。


『シェルタは、本当に錬金術が好きだよね。何か錬金術師を志したきっかけがあるの?』


 ランの問いかけに紙面から顔を上げて、少しばかり驚いたようにぱち、とその緑の瞳を瞬かせたシェルタは、逡巡するように視線を彷徨わせた。

 言うか言うまいか迷うようなその素振りに、今度はランが目を瞬く番で。


『……勿論言いにくいことなら、無理をすることはないけど』


『あ、いえ! そういうわけじゃないんですけど……ちょっと長い話になるので、どうまとめたものかと』


 無意識なのかその髪に輝く魔石に手をやりながら、ううん、と眉根を寄せるその仕草があまりに悩ましそうで。なんだか幼気な後輩に難題でも出してしまったような気分になったから、別に長くなっても構わないよとランは促した。

 丁度暇だったし、何だか深い事情がありそうなその様子に、興味を唆られたのも嘘じゃなかった。


『ええと……では、そうですね。私がまだ幼かった頃の話なんですけど……』


 ランの言葉に、背中を押されたように。おずおずと口を開いたシェルタからゆっくりと紡がれるのは──幼く無垢な少女と錬金術師の女性の、出会いの物語。


 自信がなさそうにしていた割にはシェルタの語り口は穏やかで耳に入りやすいもので、退屈凌ぎに話題を提供しただけのはずだったのに、すっかりランはその情景を思い浮かべながら耳を傾けてしまっていた。

……それから、白い髪に黄金の瞳の美貌の女性という、特徴的な容姿にとても心当たりがあったけれど、咄嗟に口を噤んだのは英断だったと言えるだろう。


 気ままに学園を闊歩するその小さな姿に目を疑ったのは記憶に新しいけれど、本当に心の底から嫌われているのか目が合うなり威嚇されては地味に傷つく日々を送っていたし、これ以上憧れの冒険譚の生き残りである彼女の恨みを買うようなことは避けたい。

 ただ、その金の髪を彩る魔石を見つめて、凄い奇縁もあったものだなと小さく息を吐くに留めた。


 でもあの冒険譚の錬金術師を越すなんて大きな目標を掲げる前に、目の前の大量の課題を片付けないといけませんね、とはにかむように微笑んだシェルタに、適当な相槌を打ってそのまま話を畳んでしまっても良かったのだけれど。

 ただ彼女が幼い頃、羨ましさから人を観察していて、隠し事によく気が付くようになったのだというエピソードが印象深くて、だから揶揄うような言葉が思わず口をついて出てしまった。


『……じゃあ、シェルタには人の隠し事が分かるんだ。すごいね、魔法みたいだ。だとすると、僕の秘密も君は知っているのかな』


『えっ』


 例えば、「そんなはずないじゃないですか」だとか、「からかわないでください」だとか。そんな少し呆れたような返答をランは予想していて。だから、……まるで図星を突かれたようなシェルタの声と、後ろめたいことを隠すように一瞬彷徨った視線に虚を突かれて、思わず紫の瞳を見開いた。

 慌てて繕うように彼女はへらりと笑みを浮かべたけれど、ランやレクスと違って上手いとは言い難いそれに、まさか誤魔化される訳もない。


『……まさか。魔法なんて、そんな大それたものじゃないですよ』


『うん、ちょっと聞きたいんだけど、分かりやすいと言われたことはない?』


『………』


 そろ、と目線が逸らされて、冷や汗がその額を伝う。やってしまった、と分かりやすく書かれている、捕獲された小動物のようなその表情は見る者の憐れを誘うけれど、流石に今捕獲器の蓋を開けてやる気にはなれない。

 にこ、と安心させるように穏やかな笑みを浮かべてみせれば、青ざめたシェルタの視線がそろりとこちらを伺った。


『シェルタ、是非答え合わせをしたいな』


『……あの、違います。本当に、私は何も……』


 心から怯えたようなその表情と、微かに震えた声に、ああそういえば幼い頃、それを軽率に口に出して面倒なことになったのだと聞いたばかりだったな、とランは思い当たった。

 正直立場が立場なので、隠し事や秘密と一口に括ってもどれのことだか分からないほどには思い当たるものがある。兎にも角にもその中のどれかを本当に探り当てられたのか確認しておきたいだけで、別にランはシェルタを脅し付けたり、傷付けたりしたいわけじゃない。だから、出来る限り穏やかに、可能な限り心からの言葉をランは紡いだ。


『大丈夫。僕は君が何を言おうと決して怒ったりしないし、聞いたところでこれから態度を変えることはないよ。ただ知りたいだけなんだ、何に誓ったっていい。どうか信じてほしいな』


『……』


 シェルタの緑の瞳が、真意を伺うようにこちらをじっと見つめて。それからランが引き下がる気がないことを悟ったのか、諦めたように小さく息を吐くとそっと眉を下げ、目の前の机に開いたままの錬金術の参考書に逃げるように視線を落とした。

 迷うような沈黙にそれでも辛抱強く待っていれば、躊躇いがちにぽつりとその口が開かれる。


『……その、秘密というか。……ラン先輩は、よく魔法使い、続けていられるなと思うことは、あります……』


 思いもしていなかった切り口に、ランは紫の瞳を瞬いた。ランが魔法使いであることなんて生まれからして当たり前のことで、それに疑問を呈されたことなんてただの一度もない。首を傾げれば、シェルタは更に気まずそうな表情を浮かべた。


『?……そうかな、これでも実力はそこそこのつもりだけど』


『そ、そこそこだなんてとんでもない、ご謙遜を。……そうじゃ、なくて、』


 また、迷うように口が閉ざされて。それから、紙面に落とされていた視線がそろりと上げられる。その緑の瞳が、あまりに真摯な光を宿して真っ直ぐにランを射貫いたから、思わず息を呑んだ。

……勘違いだったら本当にすいませんと前置いて、ゆっくりと紡がれたそれは。


『その……多分、魔法、別に好きじゃないですよね? 瞳に、熱がないと言うか……レクス先輩や騎士科の鍛錬を見てる時のほうが、楽しそう、……というより、羨ましそうというか。だから、もしかして、』



────それは、ランが生涯ただの一度も、誰にも知られずに終わるはずだった、



『ラン先輩は、……本当は、騎士に、なりたかったんじゃないかなって』



『……、』


……すごいね、シェルタ。それは僕が持つ沢山の秘密の中でも、最重要機密だったんだよ、と。茶化してみようかと少しだけ考えて、だけどこちらを射貫く瞳があまりに真っ直ぐだったから、開き掛けた口を閉じた。

 微かに息を吐いて、その視線から逃れるように目を逸らせば、開いたままだった懐かしい冒険譚の、色鮮やかな挿絵が目に飛び込んでくる。その中心、勇ましく剣を掲げる騎士を優しく指先で撫でて、ランは遠い過去を懐かしむように瞼を下ろした。


『……ねぇシェルタ、未熟な魔法使いが、最初に指導されることってなんだと思う』


『え? ええと、』


『──ほんの少しのズレも許されない、精緻に陣を描くための手を、絶対に守ること。……手に怪我をしそうなことには、まず触れさせてもらえない』


 特にランは、生まれた時から異質なほどに魔力が膨大だった。それは他人からの治療や防御の魔法を殆ど受け付けないことを意味していて、かといってそれは、子供が自分に掛けられるほど簡単なものじゃない。

 だからランの幼少期は、日常生活から過剰なほどに行動を制限されていた。来る日も来る日も、同じ景色ばかりが流れていたように思う。


 言いつけを少しでも破れば、身体的に傷付けることなく人を甚振ることなど造作もないあの家からの、ランが思い出したくない程度には酷い折檻が待っている。

……それだけで済めばまだいい。だけど悪影響を受けただのなんだのと、ただでさえ軽視されていた弟にまで、余計な塁が及んだりしたら。


『……それに、そういった抑圧された幼少期を過ごすからか、それとも魔法の才の代償なのか分からないけれど、魔法使いは身体を動かすことが得意じゃないものが多い。僕も例に漏れず、運動はからきしだったしね。少し成長した頃には弟がその道の天才になっていたし、剣を握ろうという気はなくなっていたかな』


 言いながら、ふと指先を宙に翳せば、瞬く間に精緻な陣が描き出される。きっと誰しもが傲慢だと糾弾するだろうけれど、ふざけるなと怒りを覚えるだろうけれど、……シェルタの言う通りだ。

 これは別にランが望んだ力ではないし、どちらかと言えば長いこと、あの醜い家を象徴するものでしかなかった。

 魔力、魔法、その単語を耳にするだけで吐き気が止まらない時期があったなんてことは、決して口に出すことはないのだろうけれど。


 描き出された陣から現れたのは、何の変哲もない一枚の紙だった。それが端から独りでにくるくると巻き取られて、ランとシェルタの視線をその身に受けながらどんどん細くなっていく。

 中に隙間が残らないようぴっちり巻かれたそれは、今やただの巻かれた細長い紙にしか見えない。けれど──幼い頃は、これは間違いなく、凶悪な魔物に立ち向かった歴戦の騎士の剣だった。

 大人しく手の中に収まったそれに、ランはゆっくりと目を細めた。

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