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33.花開く 

 寂しさの名残と、それから純粋な驚きをその美しい瞳に映していた彼は、けれどすぐに取り繕った軽薄な笑みを浮かべた。その目尻は穏やかに緩められているけれど、そこにあるのは強い警戒心だ。

 正体を推し量るように私の頭から爪先まで素早く視線を滑らせた彼は、胸元に飾られたスノウモルの花を見て目を細めた。


『あー……どうせ人来ないと思って油断してた。君、新入生?』


『は、はい』


『初日にこんなとこまで来るなんて変わってるね。何、スノウモルの花が欲しいの? けどこんなのなくたって、今満開のが胸に飾ってあるでしょ。……あの方が咲かせたものなら、多分そのままひと月は持つよ。ああ、それともただの口実? 入学早々ナンパなんて、大人しそうな顔して結構大胆だね』


 表情は笑顔ながら多分に棘を含ませたその言葉に、怯まなかったわけじゃない。けれどそれ以上に、彼が口にしたこんなの、という言葉に自分でも不思議なほど悲しくなった。

 勿論共感して貰えたら嬉しいけれど、私が好きなもの、綺麗だと思うものはそれだけで何にも変えられない価値があって、誰かに認められなくたっていい。けれど身勝手だったとしても、好きだと感じたものを生み出してくれた人にまで、それを否定してほしくなかった。


『……その、すいません。勢いで声を掛けてしまって、不快にさせて……スノウモルの花が欲しいわけじゃなくて、勿論ナンパだとか、そんな恐れ多いことするつもりでもなくて、ただあなたの魔法が凄く綺麗だったから、捨ててしまうのが勿体無いと思っただけなんです』


『……はあ?』


『え、えっとその、だからつい声は掛けちゃいましたけど、やっぱりそれをどうするかは、あなたの勝手だと思うので、あの、……で、でもできれば、放り捨てるんじゃなくて、どこかに置くとか、……その』


 衝動だけで飛び出してきたけれど、初対面の異性の先輩、それも自分の行動のせいで不機嫌とくれば怖いに決まっていて、声は尻すぼみに震えて消えていくし、目線はどんどん下がっていく。

 とうとう彼の革靴を見つめて沈黙することしかできなくなった私に、彼は少し苛ついたように口を開いた。


『何考えてんだか知らないけど、綺麗だとか、見え透いたお世辞はいーよ。魔法科の連中が見たら鼻で笑うようなもんでしょ。……言っとくけど、俺は騎士科で本分は剣だし、さっきのは気まぐれでやっただけだから。俺にとって魔法なんて、……何にも価値のあるものじゃ、ないし』


『え? ま、魔法、大好きなんじゃないんですか?』


 ぽろりと口から零れ落ちたそれに彼が目を見開くのを見て、遅れてやってしまったと気がついた私は我に返ると青ざめて両手で口を塞いだ。

……ずっと、ずっと、どんなに人が内側に隠しているものに気がついたとしても、それを表に出したりしないように気をつけていたのに。誰かが悟られたくないものを身勝手に暴くことが、どれほど傲慢なことで、どんな結果を齎すのか、私はちゃんと学んだはずなのに。


 遠い昔の出来事で、とっくに傷が癒えていたとしても、未だに鮮明に覚えているクラスの女子達の罵詈雑言を思い出して、私は身を固くした。怒らせてしまっただろうか、何を知った風にと怒鳴られてしまうかもしれない。歳上の男性にそんな風にされたとして、私は泣かずにいられるだろうか。

 ぎゅ、と目を瞑れば、想像とは違う、どこか力のない声が降ってきた。


『……なんでそんな風に思うの』


 思ったよりも静かで、探るようなそれにそろりと顔を上げれば、彼は先程までの軽薄な笑みが嘘のように真剣な表情でこちらを見下ろしていて、私は戸惑ってしまった。けれど、問われたからには答えなくてはいけない。


『その、……の、覗き見るようなことしてすいません。魔法陣を描いている間、あなたがとても優しくて、愛しそうな顔をしていたから。ここの線はこう描こう、とか、ここにこれを足したらいいかも、とか。そういう工夫が見えて、すごく楽しそうで、……だからきっと、とても魔法が好きな人なんだなって、勝手に』


『……』


 落ちた沈黙が痛くて、一度上げた視線がまた下がっていく。しかしまさか逃げるわけにもいかず、馬鹿正直に答えるんじゃなかったかな、なんて冷や汗を掻きながらぐるぐる考えていれば、やがて彼が、押し殺したような声で口を開いた。


『……好きじゃ、ないよ』


『す、す、すみま……』


『だってそんなのおかしいでしょ。碌な魔法も使えないのにさ』


『……え、』


 微かに低く掠れた声に思わず顔を上げたけれど、彼は何でもないような笑みを浮かべていて、私の視線に気がつくなり茶化すように肩を竦めた。


『まー正直に言うとね、魔法使いって響きにちょっと憧れたこともあったけど、やっぱり才能ってあるでしょ。俺には剣のが向いてたし、そもそもそんなのもうずっと遠い昔の話だし。だから君がそんな風に見えたって言うのも、ただの気のせいで……』


『……ええと、得意じゃないと好きでいちゃいけないなんてこと、ないと思いますけど……?』


 ごくごく一般論であるはずのそれを思わず口にすれば、彼は驚いたように口を噤んだ。けれど今度は不思議と余計なことを口にしてしまったという想いは湧いてこない。

 確かに凄いものは凄いと思うし、精一杯拍手を送るし、そこに辿り着くまでの努力を想像して尊敬するなと思う。……でもそれとは別に、一般的に見て技量があるとは言えないものを、心の底から好きになることだってある。

 私はまとまりのない言葉を必死に縫い合わせながら、伝わってほしいと願って言葉を続けた。


『その、あなたが本当に丁寧に、大切に魔法陣を描いているのが見ていると伝わってきて、……陣が完成するのを心から楽しみにしているんだなって感じたから、あの凄く綺麗な魔法が発動した時、私まで嬉しくて、あったかい気持ちになって。……それって、魔法を好きって気持ちが誰かの好きも引き寄せたってことで、……それだけで、すごく価値のあることで、だから、』


 必死に言い募って、けれど今伝えたいことはこんな複雑なことじゃないような気がした。……そうだ、そんな、難しい話じゃなくて。

 彼が実際何をどう思っているかなんて初めて会った私に分かるわけなくて、でも、自分の本心だったら誰よりも分かっている。


『……私、あなたの丁寧で優しくて、綺麗な魔法が、本当に好きです。勝手に覗いてしまって申し訳ないけれど、でも、見られて、嬉しかったです。どういう理由でも……ここで魔法を使ってくれて、ありがとうございます』


『……────』


 彼からしたら私は突然現れたおかしな新入生だろうけれど、どうかこれだけは信じてほしい。……少なくとも私は、間違いなく彼の魔法のファンだ。

 どうにか言い切れたことに胸を撫で下ろした私は、彼がその時、どんな表情を浮かべていたのか見えていなかった。


 伝えたはいいけれど、一切彼からの反応がないことを不安に思う前に、深く、深く息を吐く音が聞こえてきて。


『……俺の負け。そーだね、少なくとも魔法は俺にとって、どうでもいいって投げられるものじゃないよ。好きというより、嫌えなかったって言った方が近いんだけど。……まあでも君には、この殆どただの枝みたいなスノウモルが何だかすごいものに見えてるみたいだから、その辺に放り捨てるのはやめにしとく』


『! あ、ありがとうございますっ』


 安心してぱっと顔を輝かせれば、彼はその勢いに少したじろいだように視線を彷徨わせた。それから、持ったままだったスノウモルの枝をふと見下ろすと、そっと苦笑を浮かべてみせる。


『……これ、君にあげるよ。俺には必要ないものだし、他に当てもないし。多分そう保たないけど、それと一緒に部屋にでも飾ってやって。捨てるなって言ったのは君なんだから、嫌とは言わないでしょ』


『えっ、い、いいんですか……!?』


 あっさりと差し出されたそれに、私は慌ててしまった。だってまさか、彼からしたら不審でしかないだろう新入生に、こんなに素敵なものをくれるだなんて思ってもみなかったから。


『いーよ、殆どただの枝みたいなもんだけど。……あ、でも枯れたらちゃんと処分してね。色褪せても取っておくなんてことしないでよ、恥ずかしいから』


『うっ、……は、はい、分かりました』


 最初に思わず考えたことはお見通しだったらしく、釘を刺されてしまって私は肩を落とした。それでも、本当に何気ない仕草で渡されたそれを受け取ってしまえば、どうしようもなく心が浮き上がる。

……私としては、あの本当に優しくて綺麗な魔法から生み出されたものが、その辺に打ち捨てられるのでなければなんでも構わなかったのだけれど。それでもこの手にできるとなれば、やっぱり嬉しいもので。


『……本当に、ありがとうございます。いちばんお気に入りの花瓶に飾りますね』


 思わず口元を緩めてそう言えば、微かに目を見開いた彼はふいと視線を背けた。


『……そんなんでそこまで嬉しそうな顔するの、多分君くらいだよ』


『そ、そんなことないと思いますけど……あっ』


 ふと長々と話し込んでしまったことに気が付いて、私はさあっと血の気が下がる音を聞いた。


『……た、大変、寮に戻らないといけないのに……! そ、それじゃあ、本当にすいませんでした!』


『! あ、待って、君、名前は?』


『えっ、あ、すいません、自己紹介もなしに! シェルタです、シェルタ・キーミア。錬金科の新入生です』


 引き留められ慌てて名乗れば、彼は私の名前を何度か口の中で転がすように呟き、やがて独りでに頷いた。


『キーミア……じゃちょっとお堅いし。うん、シェルちゃんでいっか』


『シ、シェルちゃ……!?』


 初めて呼ばれた何だか可愛らしいそれに目を白黒させていれば、彼がふわ、と柔らかな笑みを浮かべた。それは勘違いでなければ、初めての、本心からのものに見えて。


『シェルちゃん、俺は良くこの辺りで息抜きしてるからさ、気が向いたときにでもまた寄ってってよ。一応先輩だから学園生活で分かんないことあったら教えてあげられるし、……気分が乗ったら、また魔法も見せてあげるから』


『え、い、いいんですか?』


『じゃなかったら言わないでしょ。……あ、そうだ、俺の名前は……』


 レクスくーん、どこ? と遠くから高く響いた、困ったような声に言葉が遮られ、彼が反射的にそちらを向いた。その反応は明らかに呼ばれた人のそれで、思わず目を瞬いてしまう。

 図らずしも名乗られる前に知ってしまった彼の名前に何とも言えない空気が流れて、けれど先に、彼が目元をくしゃくしゃにして吹き出して。どこか幼いそれに引き摺られるように、自然と私にも笑みが浮かんだ。


『あはは、言う必要なくなっちゃったな。引き留めてごめんね、俺ももう行かないといけないみたいだ』


『いえ、私こそ……あの、色々、お花まで……ありがとうございましたっ』


 彼に貰ったスノウモルを胸に、慌てて深く頭を下げれば、小さい声で彼が何事かを呟いた気がした。


『……こっちのセリフなんだけど』


『え?』


『……んーん、何でもない。それじゃまたね、シェルちゃん。そうだ、学園生活楽しんで』


 そう言って軽く片手を上げた彼の瞳には、最初に見たような猜疑心はもうどこにも浮かんでいない。それが嬉しくて、私ははにかむような笑みを浮かべると、同じように少しだけ手を上げてみせた。


『……はいっ、レクス先輩!』





 彼に貰ったスノウモルは、確かに数日と保たずすぐに萎れてしまったけれど、それでも満開の花に彩りを添える細やかで可愛らしいそれに、その夜花を眺めていた私の心が随分と癒されたのを覚えている。


……勢いだけで話しかけてしまった時はどうなることかと思ったけれど、入学初日から頼りになりそうな先輩と知り合えるなんて、なかなか幸先が良いんじゃないだろうか。

 そんなことを思いながら微かに指先で小さな花弁をつつけば、雪のようなそれが門出を祝福するように、軽やかに揺れたことだって、鮮明に。


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