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29.膝枕  

「シェルちゃん、ごめんお待たせ……って、え、どうしたの? 凄い険しい顔してるけど、何かあった? 大丈夫?」


 いつも通り裏庭にやってきたレクス先輩は、先にベンチに腰掛けていた私の顔を見るなり上げていた手を半端に下げて、戸惑いの表情を浮かべた。

 この勢いがなくならない内にと飛ぶように駆けてきたせいで、彼より少し早く着いてしまった私は、今のうちにと今回の作戦の具体的な流れを考えて、考えすぎて頭が痛くなってきて、最早目の前がぐるぐる回っている気さえしていて。


 いつもならせめて彼の気遣いの声に、大丈夫です、とかお気になさらず、と応えられたはずなのに、今の私にはそんな余裕すらなくて、それなのに今日のうちに実行すると決めてしまったことだけがしっかりと頭に刻まれている。

……だからだろう。彼が目の前に現れて、ただでさえ回っていなかった頭が真っ白になって、後から考えればとんでもない言葉がぽろりと零れ落ちてしまったのは。


「……レクス先輩」


「うん……?」


「わ、私にっ、お、おしおきしてください……!!」


「は?」


 レクス先輩が完全に感情が削ぎ落とされた声を上げたけれど、普段なら確実に怯んでいただろうそれにも構っていられないくらい、私は必死だった。何せあれだけ悩んで絞り出した作戦の中でも、これは本当は実行する気さえなかった最後の切り札で、後がないのだから。

 眠気も相まって何だか揺れている気さえする視界の先で、レクス先輩は口を半開きにしたまま完全に硬直していた。


「おし、……え、は?」


 壊れたおもちゃみたいに疑問符だけを繰り返した彼に、私はまともに回っていない頭の中でも不安を覚えた。だってこれを最初に言い出したのは彼で、だからとても恥ずかしいけれど、乗っかる形なら何とか実行できそうと思ったのに。

 確かに何気ない会話だったけれど、まさか忘れてしまったのだろうか。どうにか思い出してほしくて、私は必死になって声を上げた。


「わっ、私、悪い子なので、昨日もちゃんと寝なかったんです!」


「へ?」


「こ、この間、映像魔石を観た時……レクス先輩が、おんなじことしたら、そ、その……ひざまくらって、」



『──ちゃんと最近眠れてる? また錬金薬の調合に夢中になって徹夜してるんじゃない?』


『頑張るのはいいけど、身体を壊したら元も子もないよ。次おんなじことしたら膝枕の刑ね』


 い、言ってましたよね? 私の聞き間違いじゃないですよね? だったら恥ずかしくてもう生きていけない、と考えながら涙目で恐る恐る尋ねてみれば、私の発言を整理しているのかそれとも理解しきれなかったのか、真顔でかつてないほどの重い沈黙をその場に落としたレクス先輩が、やがてそっと片手で目を覆ってしまったので、私は落ち着かない気持ちのまま首を傾げた。


 手を繋いだりハグをしたりするのより親密で、けれど絶対自分からじゃできないと悲鳴を上げるほどではないスキンシップ。彼が口にしていた膝枕ならまさにそれにぴったりだと思い至って、今日の寝不足をダシにしてみたのだけれど。

 そもそも彼が私の健康を気遣ってくれての発言だったのに、それをこんな不純な動機で持ち出して、もしかして嫌な気分にさせてしまっただろうか。


 どうしよう、と青ざめて狼狽えていると、やがてレクス先輩がゆっくりと口を開いた。彼の美しいターコイズブルーの瞳は未だその剣だこが沢山ある大きな掌に覆われてしまっていて、その表情は伺えない、……のに。


「……無防備なの、気をつけてって言ったんだけどな。……もう、ほんと、どうにかしてやりたい」


「え……?」


 低く掠れた呟きが聞き取れなくて、覗き込むように顔を上げた私は思わず息を呑んだ。指の隙間からこちらを見下ろす、彼の瞳の奥に、……触れたら火傷してしまいそうなくらいの熱を湛えた、何かが見えた気がして。

 よく見たら、彼は耳の先まで淡く染めていて、まるでそれが移ってしまったみたいに、私もじわじわと顔が熱くなっていく。……あれ、私、もしかしてとんでもないことを口走ったんじゃ。

 どくどくと煩い心臓の音を宥めるように胸に手を遣れば、やがてレクス先輩が何か抑えきれない感情を吐き出すように、小さく息を吐いた。


「……うん、でもまあ……セーフ、ってことで」


「? レクス先輩……?」


 戸惑う私を他所に、ちょっと待ってて、と言い置いたレクス先輩が突然ローブを脱ぎ出したので、突然のことに驚いた私はひょえ、と素っ頓狂な声を上げた。

 そんな私に苦笑を溢しつつ、脱いだローブを丸めたり畳んだりと何やら趣向を凝らしていた彼は、最終的に感触を掌で確かめて独りでに満足げに頷くと、固まったままの私の隣に腰掛けてそれを膝の上に乗せた。そして促すように両手を広げて、得意げに口角を上げてみせる。


「はい、どーぞ。自信作」


「えっ、あ……あの、ローブ、」


「うん? これないと、男の膝なんか硬くて寝てらんないと思うよ。シェルちゃんの頭割れちゃうって」


 レクス先輩の膝がどれほど硬いかはともかく、私の頭はそんなプリンみたいな硬度ではないはずだけれど、思った以上にあっさりと受け入れられてしまって私は何だか呆然としてしまった。

 というか、どちらかというとする側だろう、と何となく想像して覚悟を突貫で固めていたけれど、確かによく考えたら寝不足な方が膝を貸すなんておかしな話だ。でも彼の膝に頭を乗せる覚悟まではまだ、とまごついていれば、痺れを切らしたように彼が私の腕を軽く引いた。


「ほら、もうなんも考えなくていいからおいで。シェルちゃんが言い出したんでしょ」


 まだうだうだ悩む気持ちはあるのに、彼においで、と言われると条件反射で体が動いてしまう。いよいよ飼い犬の心境に近づいてきたかもしれないなんてぼんやりと思いつつ、私はばくばくと煩い鼓動を抑えようと苦心しながら、失礼します、と小さな声で呟いてそろりと体を横に倒した。


 視界がひっくり返って、ぼふ、と柔らかな布に頭が受け止められる。けれどとても頭上の彼を直視するようなことはできなくて、うろうろと視線を彷徨わせてしまった。

 これはもういっそ目を瞑ってしまった方がいいのだろうか、と悩んでいたら、彼の指先が何気なく伸びてきたものだから、それどころではなくなってしまって。すり、と目元を優しい手つきで撫でられて、またひとつ鼓動が跳ねて、そこからじわりと熱が広がっていく。


「こっち見て、シェルちゃん。……うん、やっぱりクマできてる。少ししたら起こすからさ、寝ちゃっていーよ」


「え……」


「はい、アイマスクの代わり。ちょっと硬いかもだけど我慢してね」


 言うなり、彼は大きな掌で私の目を覆い隠してしまった。じわりと熱が目元に広がって、私は慌てて何か口にしようとしたのに、そうされてしまうと何だか、何にも考えられなくなってしまって。

 枕代わりのローブからレクス先輩の甘い香りがして、掌から伝わる彼の体温が馴染む頃には、実はかなり眠気に襲われていたらしい私の意識は、もう大分ぼんやりとしていた。


 好きな人に膝枕してもらっているというとんでもない状況に、確かに高鳴る鼓動があるのに、それ以上に彼の香りや気配に包まれてしまうと、ここ最近色々なことがありすぎて浮き沈みが激しかった気分が酷く落ち着いてしまって。

 私が落ち込んだり喜んだり、そういうのは殆どレクス先輩が原因なのに、それを癒すのも彼だなんておかしな話だけれど、当然のような気もした。錬金術以外で私の心をこんなに振り回せるのは、この世に彼しかいないのだから。


「うーん、どうしよっかな、俺が何か話してた方が眠れる? 小さい頃、ラン兄様はよく小難しい話して寝かしつけてくれたんだけど……」


 いつもよりもずっと潜められたその声が耳にとても心地よく響いて、もっと聞いていたいと願った私はふにゃふにゃと芯が通らない声で応えた。


「ん……レクスせんぱいの声、おちつきます」


「ほんと? じゃあ、騎士科の面白話でもしてよっか。うーん……ほら、少し前に甘く煮た豆のアイスが流行ったときがあったでしょ、あの死ぬほど硬いやつ。あれに魔力纏わせたら剣より強いんじゃないかって言い出したやつがいて、実践してみたらまさかの剣が折れたんだけど」


 意図してのものか分からないけれど、いつもよりずっと静かで穏やかな彼の声に内容は耳を素通りして、どんどん意識が沈んでいく。もうどうして恥を忍んで膝枕なんてお願いしたのかもすっかり抜け落ちて、私はいい気分でむにゃむにゃと口元を緩めていた。


「それで結局違法栽培が発覚して……ん、シェルちゃん、寝ちゃったかな」


 ひとつ水面を挟んだようにぼやけた彼の優しい声に、応えないまま眠ってしまいたいくらいには心地よかったのだけれど、でもそれが何だかとても勿体無いような気がして、私は気力だけで眠気を堪えつつ、酷くいい気分のままふわふわとした声で彼を呼んだ。


「レクス、せんぱ……い」


「ん? なあに」


「ふふ、……だいすき」


「、……──」


 彼が息を呑むような気配がしたけれど、今言いたいことを言えて満足してしまった私は、とうとう睡魔に抗うことができずゆっくりと眠りに落ちていった。

……この時、彼がどんな顔をしていたかなんて知らないまま。

 彼が零した、私に届くことのなかった小さな呟きは、酷く掠れていた。


「……痛いな」


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