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20.誓いの儀 

「スノウモルの木の下で」は私も子供の頃に読み明かした物語で、だからレクス先輩が言うような新鮮味に関しては、正直あまり期待を抱いていなかったのだけれど──映像で見るその冒険譚は、まるで別物のようだった。


『姫、本当は……私も分かっているのです。旅が終われば、私たちの関係も……。けれど、身を焼き尽くすようなこの想いが、どうしてもそれを拒む。まだ、……許されるのであれば永遠に、俺は貴女と、共に在りたい……っ』

 

 跪いて掬い上げた姫の手に額を付ければ、その艷やかな黒髪がさらりと揺れる。身分違いの想いを情熱的に語る騎士の演技は惚れ惚れしてしまうほどで、久しく恋物語に触れていなかった乙女心がふわふわと浮き立った。一人で観ているのだったら、黄色い声のひとつでもあげていたに違いない。

 ちらりと横目で伺ったレクス先輩は、映像に引き込まれているのかいつになく真剣な表情を浮かべていて、どきりと胸が高鳴った。


 やっぱり演技の中でも、騎士の装備だとか剣捌きだとか、彼なりに着目すべきところがあるのだろうか。そんなことをぼんやりと考えていたら、レクス先輩がふとこちらに視線を流したものだから、思わず肩を跳ねさせてしまう。

 彼はそんな私に気が付くと、さっきまでの鋭い表情が嘘みたいに気の抜けた笑みを浮かべた。


「……あのお姫様さ、ちょっとシェルちゃんに似てるよね」


「えっ!? そんな、恐れ多い。か、髪と目の色だけではないでしょうか……」


 それも近い色味だというだけで、私の金髪はあんなに艶もなければ、緑の瞳にもあんな深みのある輝きなんてない。……他にもスタイルに圧倒的格差があるけれど、これについては悲しくなるので目を逸らすことにした。女優さんと自分を比べるなんて、虚しさしか残らない。

 私だって普通くらいではあるはず、と自分の身体を見下ろして勝手に落ち込み始めたところで、そんなことはつゆ知らないレクス先輩は軽く首を横に振った。


「勿論それもあるけど、雰囲気とか、性格とか……あ、でもシェルちゃんはアルヒ・ソルシエルがモデルの錬金術師に似てるって言われたほうが嬉しいか、ごめんね。ただこの話の錬金術師、何かと気が強いからさ」


 レクス先輩が鏡面に視線を移したので私もそちらを見やれば、ローブを被った錬金術師が巨大な魔物の口めがけて、雄々しい掛け声と共に錬金薬を投擲しているところだった。そのフォームは惚れ惚れするほど美しく、魔物が倒れ伏した後、腰に手を当てて鼻を鳴らすその仕草ときたらまさに女傑といった風体だ。


 偉大な魔法使いと結ばれた彼女は、けれど彼に守られるような場面はほとんどなく、ずっと肩を並べて戦っている。見ている分にはとても格好いいし憧れてしまうけれど、確かに自分が彼女と似ているかと言われたら首を横に振るしかない。

 そういう点では、魔物を倒した後特別な力で瘴気を和らげる後方支援のお姫様の方が、まだ親近感が湧く。とはいってもそれは二択ならの話で、やっぱり恐れ多いことに変わりはないけれど。


「……うん、でもやっぱりあのお姫様より、シェルちゃんの方が可愛いや」


「……!?」


 聞こえるか聞こえないかといった、独り言のようなレクス先輩の声に、私は耳を疑った。あの美貌の女優と私なんて、そもそも比べるような土俵にあるわけがないのに、レクス先輩の目には一体どんなフィルターが掛かっているのだろう。

 昔、眠れない夜に枝毛を数え始めてその数に慄き、恐怖にますます眠れなくなってしまったことすらある私の髪ですら、彼にはあんな輝きを纏っているように見えているのだろうか。


 恐れ多いがすぎるし否定しておきたいような気もしたけれど、それ以上に抑えきれない喜びが湧き上がって、私は緩んだ口元を必死になって引き締めた。

……だって、レクス先輩が実際よりもずっと私のことがよく見えているのだとしたら、少なくともそう見えるほど私に良い感情を抱いてくれているということだ。彼の視界の中でだけ私がとても可愛くあれるのだとしたら、こんなに嬉しいことはない。

 ふにゃりと気を抜けば緩む口角を引き締めて、ということを繰り返していればいつの間にか物語は進んでいて、見せ場の大規模な戦闘シーンに掛かっていた。


──鋭い鉤爪をぎらりと光らせ、涎を垂らして唸る狼に似た姿形の魔物が群れをなして四人を囲み、そこに至るまでに既に苛烈な戦闘を繰り広げていた面々は既に満身創痍だった。

 傷だらけの赤髪の魔法使いが歯を食いしばって結界を維持しているけれど、それにも魔物の凶悪な鉤爪により徐々にヒビが広がっていく。もうダメかもしれない、口にはしなくても焦燥が滲んだ表情から誰もがそう思っていることが伝わってきた。

 結界にまた一段とヒビが広がって、魔法使いの額に汗が滲み、幾度も赤い魔力の線を描いて陣を組むその指先から血が滲む。


 思わず私が生唾を飲んで手を強く握れば、ふと、姫に支えられていた一段と酷い怪我を負った騎士が、ゆっくりとその身を起こして。泣きながら動いてはダメと静止する姫にも構わず、彼はそっと胸に手を当てて最愛の姫の前に膝を付いた。

 ふらつく身体を剣で支えながらも、血を流しすぎて揺らぐ視界の中、絶えず涙を零す何よりも美しい新緑の瞳だけが鮮明にその目に映っている。


『姫。私の剣と心を、全て貴女に捧げます。……どうか、受け取って欲しい』


 彼は震える手で剣を持ち上げると、ゆっくりと鞘に収め、その剣先を己の胸に向ける。とん、と軽く己の胸を突いたそれを、今度は希うような仕草で姫へと差し出した。姫が目を見開いて唇を震わせれば、騎士は強い意志を感じさせる黒曜石の瞳でそれを射抜く。

 二人は暫くそうやって見つめあっていたけれど、永遠にも感じるその時間が過ぎたあと、姫が深い息を吐きながらゆっくりと目を瞑り、それから覚悟の宿った瞳でその剣を受け取った。


『……はい』


ゆっくりと彼女が剣の柄に唇を寄せたとき、すっかり物語に没入していた私は目を瞬かせた。


「……あれ、これって……」


「ん? ああ、本にはないシーンだよね。騎士の誓い」


「へえ、騎士の誓い……なんだか格好いいですね。ごっこ遊びで、これを紙の剣でやっているのを見たことがあって……」


「そうなんだ、確かに子供が真似したがるシーンかもね。これはずっと昔、騎士が生涯たった一人の主人と定めた相手にしていた誓いの儀で、どのような立場でも強制することはできない神聖な魂の儀式とされていたんだ。二心を持てば、この誓いを立てた剣が独りでに動いて胸を貫くとかなんとか」


「ひえっ……そ、そんなに重いものなんですか!? ごっこ遊びでもやるべきじゃないんじゃ」


「あはは、流石に魔力の通ってない剣じゃどうにもならないだろうし、いいんじゃないかな。そもそもとっくに形骸化してるものだしね」


 慌てる私にそう言って軽く肩を竦めたレクス先輩は、ふと思いついたように頬杖をつくと、悪戯げにそのターコイズブルーの瞳を細めた。


「……なぁに、もしかしてシェルちゃん、俺にあれやって欲しいの?」


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