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11.道標 

『でも、……でもこれ、さっき言ってただんなさんから、もらったものなんじゃ』


『!』


 女性が少し驚いたように目を見開いたから、私は余計なことを言ってしまったかもしれないと思って視線を彷徨わせた。

 でも、女性の懐かしそうな表情や声が、旦那さんを語っていたときのものとどうしようもなく重なったから。親しい誰かを懐かしそうに語るということがどういうことか、幼心にも何となく察せられたから、私は尚更手の中の重みをどうしたらいいのか分からなくなってしまって。

 僅かな沈黙を落とした女性は、やがて静かに、穏やかに口を開いた。


『……成程、なんで絡まれてたのか何となく分かったよ。あんた苦労するねえ。まあ成長したら、その敏さも多少いい方向に使えるようになるだろうさ。そんで、それに救われる奴もきっといる。あとは努力次第ってとこかね』


『え、えっと……?』


『ああ、気にしなくていい、ただの独り言さ。シェルタ、あんた恋物語は好きかい?』


 言いながら女性がしゃがんで、幼い私のペリドットの瞳と女性の黄金の瞳が真正面からぶつかり合う。吸い込まれてしまいそうな美しいそれに、ぼんやりと見惚れながらもなんとか一つ頷いて見せれば、女性はふわりと、花開くように微笑んで。


『じゃあひとつ、昔話をしてやろう───確かに、それはあのバカ旦那にもらったものだよ。キザでふざけたやつだったけど、あの時はまあ真剣な表情で悪くなかった。それを贈られたとき、満開のスノウモルの木の下で、“愛してる”って言ってもらったのさ。素敵だろう?』


 愛しさを滲ませてそう語る女性の言葉に、本の挿絵みたいな情景が自然と頭に浮かんで、そのロマンチックさに幼い心はあっという間にキラキラした憧れで満たされた。当時王子様や騎士様との恋物語に幼心をときめかせていた私は、この強く美しい女性が選ぶほどの素敵な男性を想像して隣に並べて、思わず声を上げてしまって。


『わ、わあ……! すごい、“スノウモルの木の下で”みたい……!』


『ああん? ……ああ、あれねぇ』


 途端に女性が渋面を作ったものだから、私は目を瞬いた。「スノウモルの木の下で」の中では、最後に凶悪な魔物を倒した場所から、訪れた平和を祝うように瞬く間にスノウモルの巨木が育ち、街を覆うというシーンがある。

 そして偉大な魔法使いの強大な魔力によってそのスノウモルは咲き乱れ、その下で彼は旅の中で愛情を育んだ錬金術師にプロポーズするのだ。


 この話は冒険譚として親しまれているけれど、恋愛を主軸に脚色した歌劇なんかも存在していて、このシーンのロマンチックさときたら年齢を問わず女性の心を鷲掴みにしていた。

 私も例に漏れず憧れがあったからつい口にしてしまったそれに、けれど女性の目は何故だかどんどん据わっていく。


『……ああ思い出すだに腹が立つ、家の力を誇示したいからって誇張が過ぎるだろう。そもそもでかい魔物が死んだとこなんかおひいさんの力があったって当分瘴気まみれだよ、花どころか草の一本だって生えるもんか。実際は学園の裏庭の小さな木だってのに聞いちゃあいない。どうせ派手さが足りないとか思って脚色したんだろ。大体旅の中で愛情を育んだだのなんだの、実際は学生の時からの仲をあの腐り切った家が認めなかったせいでねぇ……はあ、今更言っても詮無いけどさ』


 ぶつぶつと女性が小声で呟いたそのほとんどが聞き取れなくて、ただ気分を害してしまったことだけを何となく悟った私は眉を下げた。それに気がついたのか、女性はふと振り払うように首を横に振って、取りなすようにぽんと私の頭に手を置いて。


『……とにかく、気にしないで持っておいき。──あのバカ旦那はそれを“君の涙に寄り添ってくれるように”なんて言ってたけどね、あたしは生涯絶対に、あいつの為になんか泣いてやらないって決めてるんだ。だったら、泣きっ面が似合うあんたが持ってた方がいいだろうさ』


 揶揄うような響きを帯びたそれは、けれど優しさと温かさを伴っていたから、私はまた暫く悩んで、何度も本心を窺うように女性と魔石に視線を往復させて───……やがてそっと頷くと、小さな手のひらに宝物を隠すようにして雫型の魔石を胸に抱きしめた。

 その重みに神妙な顔をする私に、女性はふと、優しく口元を緩めて。


『それをやる代わりに、心に刻んでおきな。……来世でも再来世でもいいけどね、やるって決めたんなら、その冒険譚の錬金術師ぐらい越して見せるんだよ。そうやって自分の決めた道を踏み外さずにまっすぐ行ければ、人の顔色なんか窺わなくたって誰かが隣にいるもんさ。いつかあんたも大切な人と、“愛してる”って言い合えるくらいいい女になんなさい。約束だよ』


『……! はいっ』


 女性の真っ直ぐで力強い激励は、幼い私の心を強く突き動かした。誰かを羨ましがりながら漫然と生きるだけだった私の深い深いところに、生涯消えることのない光が灯されたのはその時だ。

 胸に大切に抱いた小さな手には余る魔石は、その瞬間から、私の憧れの象徴で、夢への道標になった。そっと開いた手のひらの中に残るそれをもう一度じっと見つめてから、幼い私はそうだ、と慌てて顔を上げた。


『あのっ、おねえさんのお名前は、……』


 その問いかけは、最後まで言い切る前に宙に溶けた。

 さっきまで確かにそこにいたはずの美しい女性は、まるで夢か幻みたいに目の前から忽然と姿を消していて。何度目を瞬いてみても、いくら周囲を見回しても、彼女がそこにいたと示すものは何も残っていなかった。

 ただ、手のひらの中には確かに、あの女性からもらった魔石が美しい輝きを帯びていて。……それから、幼い私の胸に灯された、消えることのない光だけが、彼女との出会いの証だった。


───その日から、私の夢は始まった。冒険譚に出てくる伝説の錬金術師、そのモデルとなったアルヒ・ソルシエルを越すぐらいの錬金術師になるなんて、再来世で済むかも分からないくらいの無謀な夢。

……それから、もう一つ。これは、できれば今世で叶えたいと幼い頃から願い、想像しては胸をときめかせていた憧れ。


……満開のスノウモルの木の下で、なんて贅沢は言わないから。いつかあの女性みたいに、誰かと「あいしてる」の五文字を心から伝え合えたのなら、どんなに。


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