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第3節「銀貨一枚の赤い布」―3



「本当にそれでよかったの?」



 お店を出てから少し経った後――。

 ドロース――馬と呼ばれる四足の動物と竜種の交配種――が荷車を引く大通りに出ていた。


 私は、彼が"ソレ"と言った物……両手で抱えてる赤い生地を見下ろす。

 撫でれば指先に生地のざらついた感触が伝わり、これからどういうモノを作ろうか考えるだけで胸が躍るようだった。


「これがいいのよ、フラン」

「でも、それ、僕のために買ったんでしょ? 本当はローゼアさんたちのために買おうと思ってたんだけど……」

「あら、人の厚意を否定するなんて、酷い人」


 嬉しくても口を突いて出るのは彼への悪戯言葉で自分に辟易してしまいそうになる。

 この年齢になって、構って欲しい男の子のような相手を好きになってくれるかなんて思ってしまうけれど……彼を前にするとどうしても我慢できなかった。

 そんな私の言葉なのに、彼は「わあ」って攻撃を受けたみたいな反応で軽く流される。


「それズルいよ。じゃなくて、ローゼアさんは良いの? お金とかなら気にしなくても大丈夫だよ?」

「しつこい男は嫌われるわよ、フラン」

「あはは、それは困っちゃうかも」


 また出て閉まった面倒くさい言動を、彼はまた軽く流されてしまう。

 ちょっとくらいは反応してくれてもいいのにと、ちょっとだけムッとした。

 そこまで反応されないのなら、私にだって考えはある。


「……それに、駄目、かしら」

「え? なにが?」


 人通りの邪魔にならないように足を止め、彼が銀貨一枚で買ってくれた、赤い生地をぎゅっと抱きしめる。

 立ち止まって、振り返ってくれた彼の……低くもなくて、高くもない顔を見上げた。


「今はこれで、あなたに作ってあげたいの」


 ぎこちないけれど、感謝を込めた瞳を送る。

 他愛ない、大袈裟に言うには恥ずかしい仕返しだ。

 それでも、驚いてくれたみたいで緑色の瞳が大きく、丸くなって、あんまり見られない表情を見せてくれる。


「うわ、すごい……。今のちょっとドキっとした」


 さすがは騎士様だった。

 あっという間に立て直していつもの彼に戻ってしまったけれど、本当に驚いた顔を見せてくれたので、満足して彼の横に並ぶ。


「ふふっ、惚れてくれた?」

「あはは、意地悪そうな顔をされなかったら落ちてたかも」

「あら、残念」

「思ってなさそう……」

「本音なのに、悲しいわ。ねえ、フラン。次はどこへ――」


 行くの?

 そう聞こうとして、フランが傍に居てくれたから油断していた。


「あ、わる――」


 ドン、と誰かが肩にぶつかった。

 とっさにぶつかったその感触が、何度も何度も何度も何度もぶつかった男の人の硬さで、頭で理解する前に体がこわばって目の前に手が迫ってくるように見えてしまった。

 怖くて反射的に迫ってきた手を振り払う。


「っ、いやあ!」

「な、なんだよいきなり叫びやがって!」

「やめて! 触らないで!」


 怖い。こわい怖いコワいこわい怖い恐い。


「ちょ!? ローゼアさん! 大丈夫!?」


 ざわつく周りの声に、肩が跳ね上がり、近づいてくる気配に体が拒否感を覚える。

 勝手に叫び声を上げる喉が痛い、色々なことを考えて止める頭が痛い。


 でも、叫ぶのを止められなかった。

 パニックになってる。悪いのは私だ。

 周りの人に迷惑をかけてるってわかってるのに、瞼の裏に伸びてくる誰の物かもわからない手に絡めとられて、身動きが出来なくなった。


「わっ、すいません! この子は……!」


 突然聞こえた安心する声に必死に縋りついて、反射的に抱きしめる。

 暖かくて、私が抱きしめられるほどの太さで柔らかさで……。男の人の腕だと頭で理解した途端、恐怖と安心感がないまぜになってお腹が気持ち悪くなる。


 でも……その腕のふわふわした毛皮で、誰の物かって気が付いて……涎も涙も止まらないのに、ふわふわした腕に縋り付くようにぎゅっと抱きしめた。


(っ! これは、フランの腕。だから、大丈夫。もうあそこじゃない。大丈夫。大丈夫だから。もう、あんな場所からは助けてくれたもの。これは彼の腕。助けてくれた人が隣にいた、だからこれは彼の腕。だから大丈夫。大丈夫……)


 落ち着こうと必死に縋り付いていると、背中に温かい感触が増える。

 

「ローゼアさん! ローゼアさん! 大丈夫! 安心して、今触ってるのは僕だから!」


 聞こえるように大きな、でも優しい声。

 彼の腕をかき抱き、何度か深呼吸を繰り返す。

 ようやく周りに人の心配そうな声と騒がしい声が届いて、道の真ん中で座り込んでしまっていることに気が付いた。


「ごめ……ごめんなさ……わたし……」

「焦らないで、大丈夫。僕が居るから」

「ごめ、なさい……」


 フランに抱きしめてもらいながら何度も何度も呼吸をする。

 ようやく落ち着いてきたときには、自分がフランの服を汚してしまっていたと気が付いた。

 本当に、なんて無様。

 血が出ないように下唇を噛み締め、自分の無力さを噛みしめる。


「はあ……。ん、もう、平気。平気よ、フラン」


 心配をかけないよう、強がって見せるけれど、彼にはお見通しだったのか、心配そうに顔を覗き込まれてしまう。


「本当に大丈夫?」

「ええ。あなたが、私を助けてくれたから」


 だから、今日はもう平気。

 これ以上彼の邪魔をしたくないからと、遠ざけようとすると、抱きしめてくれている腕に力がこもり、服の下の硬い体にぐっと押し付けられる。

 男らしいと感じ、きゅっと咽が詰まりそうになって……彼にだけはやっぱり嫌悪感を抱かないことを安心していると、フランから「ごめんね」って言葉が降ってきた。


「まだ、助けられてないよ、ローゼアさん」

「……フラン?」

「ちょっと移動するね、目を閉じてから手を出してくれる?」

「? え、ええ……」


 言われた通りに目を閉じ手を差し出すと、フランのふわふわな毛皮に包まれた手で取られる。

 そのまま軽く背中に触れられ、ゆっくりと歩かされた。


 介護されているようだけれど、実際、パニックを起こした直後だったので、こんな扱いをされても文句は言えなかった。


 音だけで判断していると、周りの人がくぐもって、なにかに遮られていく日の光を閉じた瞼の裏で感じなくなったので……路地、みたいなところへと移動させられているらしい。


 狭い道で男性と二人。

 さすがにフラン相手でも怖いと感じていると、立ち止まってゆっくりと方向転換させられた後、背中に壁がぶつかった。


「はい、とりあえず人混みを避けて背中を預けられるところまできたから。安心して」


 言われた通り、背中を壁に預けると、ひんやりとした日陰の壁の冷たさが広がった。

 ゆっくりと頭を上げて、目を開けると、屋根と屋根の隙間から、青い空と微かな雲が見える。


「さて、ローゼアさん。隠し事は?」

「え?」


 彼の質問にドキッとしてしまう。


 私は……彼に弱い所を見せたくなくて、色々隠してしまっているから、隠し事と言われると、どれの事かわからなかった。

 何か答えないとと焦り、ふとモモの事を思い出して……ふっと微笑んでみせる。


「宿に置いてきた妹が寂しくしてないか心配くらいかしら」


 どういう顔で答えたのだろう。フランはあからさまに嫌そうな顔されてしまって、嘘はついていないはずなのにぐっと胸が痛む。

 こういう時にばかり、自分の顔を使わないで欲しい。

 さっきズルいと言われたけれど、私よりもズルイのは彼の方だ。

 それでも頑なに黙っていると、フランは困ったように笑いながら、ため息をつかれてしまった。


「ああ、もう……。こんな時にも強がるのがローゼアさんの悪い癖だって初めて知ったよ」

「あら、嬉しい。新しく知ってくれたなんて」

「そう言う言動、どこまで強がりなのか判断できないのが、僕としては歯痒いよ、ローゼアさん」


 少しだけ、苛立ったような彼に思わず、目を逸らしてしまう。

 頭がお花畑だったわけじゃない。今はちゃんと怒られているんだと自覚すれば、さっきまでの言動は褒められたものじゃないと自省させられる。

 でも、どうしたらいいのか分からなくて、ぎゅっと彼に飼ってもらった生地を抱きしめた。


「ごめんなさい。私、素直になるのが……」

「あー、いや、ごめん。そう言うつもりじゃなかった」


 謝ると、フランはハッとして慌てて頭に手を置いて首を振られる。

 私は私で、フランに謝られてびっくりしていた。


「フラン……? でも悪いのは私で……」

「ううん。今のは言わせようとした僕。強がってる人を見ると、こう、心がイガイガしちゃってさ……ごめんね」


 突然出てきた知り合いの話に、キョトンとしてしまう。

 こうして彼が自分の過去の事を話してくれるのは初めてだったので、つい興味が湧いた。


「……知り合いにも居るの?」

「え? ああ、うん。そんな感じ。本人は頑張りたいからって言って、挑戦するんだけど……。回り……僕からしたら、それが怖くて。いつか壊れちゃって、支えがなくちゃ生きていけなくなったらやだなって」

「そう……。フランにそう思ってもらえるなんて、その人は幸運なのね」

「幸運?」

「ええ。だって、フランはヒトに対して軽いでしょ?」

「え゛」


 素直な感想を言うと、フランは衝撃を受けたように固まった。

 たぶん、無自覚だったのだろうけど、今日の対応とか、私のスルーの仕方とか、慮る人のソレではなく、気を許しているように見える態度だった。

 お店の人にも、気安く声をかけ、情報を集める姿は、誠実、と言うよりは軽さが目立っている。


 彼が好ましいと思っている私やモモならともかく、普通の対応かと問われれば、気安く話しかけやすい反面、軽いとも言える言動なのは否定できない。

 少なくとも、重い相談をする相手としては、そぐわないと思う。


 よっぽどショックだったのか、フランはまだ固まってしまっていた。


「調査をする上ではその方がいいと思うの。モモも私も受け身で、軽薄さは嫌いじゃないから。でも、そう言う言動って人から見たら得てして軽いから」

「そ、ソウナン、ダ。へー」

「でも、そんなフランに心配されてるんだから、私も気を付けるわ。……フラン?」

「え? あー、うん。そうしてくれると、モモさんも僕も嬉しい、よ」

「ふふ、カタコトになってるわよ、フラン」

「う……。僕って、軽い?」

「ええ」

「ぐっ、悪意のない鋭い刃」

「でも、心配しないで。そのおかげで、私とモモは助けられてることもあるから」

「そ、そう? それなら、良いんだけど……」


 フランは分かりやすく腕を組んで、悩んでいる表情になって空を見上げる。

 しばらく悩んでいたけれど、フランは「あー!」と叫んで、困ったような笑みを私に向けた。


「ま、まあ、これからは気にしないで相談して頼って。僕は……ほら、こういう性格だから」


 まだ態度も言動もちぐはぐなことをしてしまっている私に、フランはそう言ってくれる。

 だから、感謝の証として、早くお返ししてあげたい。

 腕の中の生地をぎゅっと抱きしめ、彼の言葉にうなずく。


「ええ、分かってるわ、格好いい騎士様ですもの、頼りにするわ」

「わー、あんまり大きな声で言わないでー」

「ふふっ――ぁ」


 気が抜けたのか、笑った拍子に膝からガクっと力が抜けて、倒れそうになる。


「っと、本当に大丈夫?」

「え、ええ。ごめんなさい」


 また、迷惑をかけてしまった。

 彼の柔らかい毛皮に包まれて、男の子らしい固い体に触れて……役得と言えば、役得、なのかしら。


 ……彼にプレゼントを二つももらったので、もう、今日は十分だ。



 そろそろ宿に戻って、モモに順番を渡してあげようと、抱き留めてくれたフランを見上げる。


「フラン、少しいいかしら」

「ん、どうしたの?」

「今日の残りの時間、モモに時間を使ってあげて」

「え、急にそんな……。いや、僕は構わないけど、ローゼアさんはそれでいいの?」


 怪訝そうな……ん、どちらかといえば、不安そうな顔、かしら。


 どうしてそんな顔をするのかは分からないけれど、私としてはこんな道で奇声を上げる女なんかより、元気なモモと一緒に居るほうがフランも楽しいはず。


 だから、もう十分堪能した私より、モモの傍に居て欲しいと思ったのだけれど……。

 不思議に思って首をかしげていると、フランがくすくすと笑いだしてしまった。


「あはは、ようやくわかった。ローゼアさんって、他人のために強がるんだね」

「……なんのことかしら」

「そういうところだよ。じゃあ、僕もローゼアさんを見習って我が儘を強行するね」

「え? わがままって、フラン、何を言って――、きゃっ!?」


 分かったようなことを言われてちょっとムッとしてると、背中とお尻の当たりに腕が差し込まれて、体がふわっと持ち上げらて、悲鳴が出てしまう。


 お姫様抱っこをされたって気が付いた時には、高揚感よりも足が付いていない事への恐怖が沸き上がった。

 反射的に何かにしがみつこうとして腕をばたつかせて、腕の中にあった生地が落ちかけてしまい、慌てて抱きとめるともうフランに抵抗する術はなかった。


 ぎゅっと生地を抱きしめると、楽しそうなフランの顔が生地の向こうにあって、ムッとした顔を向ける。


「ちょ、ちょっとフラン」

「あはは、どんなに怒っても毛止められないよー。まだ外が怖いのに我慢して膝も震えてて、一人で帰るのも難しい強情なお姫様が、強情にも寂しいのに身を引こうとしていらっしゃるので」


 身を引こうとしてると言われてギョッとしてしまう。

 そんなつもりはなかったけれど、確かに言われて見ればモモのために身を引いているようにも見えるではないか。

 自分がやろうとしていたことが完全に無自覚で、しかもそれを思い人に指摘されてかあっと頬が熱くなる。

 しかも、まだ外を怖がっているのもバレバレだったというオマケつきだった。


「っ、な、ちょ、いつ気が付いて! ちょっとフラン!」

「今日のデート初めからでーす。あはは、だから、聞いたらきっと怒るもう一人のお姫様の所に連れてくよ」

「は、初めから!?」


 ついでに、最初から気が付かれてて、それですら私が気づかないように気を使われてると知ってしまって……。

 それがもう恥ずかしくて恥ずかしくて……。


 さっきまで男の人が怖かったのなんてどこかに吹っ飛んで、彼に貰った生地をぎゅっと強く抱きしめて、生地で顔を覆い隠した。

 ……もしかしたら、同じ色で隠しきれなかったかもしれない。


「あらら、生地で顔を隠されちゃった」

「もう、意地が悪いわ、フラン」

「あはは、今日までのお返しってことで」


 今までの。

 それはフランが今までの意地悪をなんとなく、思うところがあったということで……。


 子供のようなお返しで、許してもらってる証拠を貰ってしまって、私は……。


「……ばーか」


 私も、子供のような反撃しか出来なくなっていた。



 その後、宿に抱えられたまま戻ったら、モモが私たちの事を微笑ましい目で見てきたから、絶対に仕返しをしなければと心に誓った。


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