第2節「告白の答え」
side:フラン
ギィギィって音の鳴る廊下を歩いている途中、ものぐさに栗色の髪をサイドテールにまとめながら、思わず眉をしかめて自分の服を見る。
「やっぱり、なんかゴワゴワするなあ。この町の服……」
たぶん、この国の事情のせいだけど、と心の中でつぶやく。
間の国エリーズェシカ。
度々、隣国で人間至上主義のタルカス帝国やクトラニヤ教国と亜人が住む森林とぶつかり合う"亜人戦争"によって生まれた、中立国家。
表向きは、管理が得意じゃない亜人の代わりに帝国貴族が国主を治める領土であり国って言う体裁……のはずなんだけど……。
ごわごわする服の裾を掴む。
(交易都市エルピスで手に入る服がこの程度ってことは、アラクネとケンカでもしてるのかな? それとも単に流通が滞ってるのか……どっちにしてもいい感じってわけじゃなさそうなんだよなあ)
はあとため息をつく。
そもそも、この間の国は帝国貴族が領主をやってるせいで、帝国が好き勝手にしているともっぱらの噂で、コアコセリフ国でも同じイメージしか持たれていない。
現に、エルピスの亜人たちは活気にあふれている、とは言えず、人間が市場で店を取り持ってる数の方が多い。
(雑貨だけならともかく、呉服や食材まで人間が売ってるから、なんか怪しいんだよなあ……。人間の衛兵も多いし、ローゼアさんたちが襲われてた件もあるからなあ)
まあ、僕が護衛して歩いていれば、たぶん大丈夫だとは思いたい。
「今後はエルピスを三人でデートっと……。ちょっと遅くなっちゃったな」
考えてるうちに、一階に通じる階段の踊り場についてしまっていた。
この宿は、二階の踊り場から一階に下りれるし、見下ろせる構造になっている。
今は、ちょうど片付けの時間が近いのか、リャーディの店員さんが人の座ってないテーブルを端に寄せて片付けているのが見えた。
「えっと、二人は……」
二階から見渡せば、二人はとても目立っていた。
窓際にある一席。
朝食が三人分残されている席があって、殺気ぼくを起こしてくれたモモさん。
そして、その横にもう一人。
モモさんとそっくりな顔だけど、右角が歪に折れてしまっていて、根元に髪を巻き付けて結っている角魔族の女の子……ローゼアさんが据わっているのが見えた。
ほんわかしてる目元のモモさんと違って、ローゼアさんは少し意地悪そうな垂れ目で、今日は茶色とベージュのワンピースドレスを着ていた。
彼女の首には、奴隷の証のような太く洗い革製のベルトを巻いてあるのが見えた。
ローゼアさんの首にある太い革ベルトは、僕が遅れたことに対する抗議……かなって最初は思ってた。
当然の権利だし、なにかで代わりにならないかって聞いたんだけど、本人曰く「僕が助けてくれた証拠を残したい」だって言ってた。
形なんて残さなくても、本人が思ってくれていればいいと思うんだけど、モモさんに聞いても「お姉さまは怖がりですから」らしい。
……まあ意趣返しじゃないのは、首輪を撫でるローゼアさんから、うちの妹と同じ気配がしたから、本当だと思う。
こう見えて、シスコンだからね、僕は。
ローゼアさんの事を思い出しながら、階段を下りていく。
階段を降りると、ローゼアさんが僕が見えるように座ってて、モモさんの背中が見える。後ろから見たら、モモさんの腰羽が、椅子の外でご機嫌そうに揺れていた。
ローゼアさんが見えてたので手を振ってみるけど、二人とも楽しそうにしゃべっててこっちに気が付いてないみたいだった。
(んー? ローゼアさんとは目が合ってるはずなんだけどなあ)
不思議に思ってると、ローゼアさんとばっちり目が合って、ローゼアさんが悪戯っぽく琥珀色の目を細められるけど、すぐにモモさんと会話に戻る。
……嫌な予感がしたけど、先手を打つために二人に声をかけることにした。
「ふた――!」
「ねえ、モモ。聞きたいことがあるの」
声をかけようとしたら、ローゼアさんが少しだけわざとらしく声を張る。
かけようとした声を止められて、僕は思わず苦笑していた。
出た出た、ローゼアさんの困ったところ。
唐突に思いついたかわいい悪戯を仕掛けられて、怒ろうにもほっとしたように目を細めるローゼアさんに毒気を抜かれる。
彼女と一緒に旅をして何度かやられたパターン。
たぶん、彼女なりのスキンシップの仕方なんだなって思うし、厄介なことは絶対にしないから怒ろうにも怒れないってやつだ。
今回のターゲットはモモさんらしいので、苦笑しつつもモモさんの後ろで気配を消す。
「どうしたの、お姉さま」
「ふふ、ねえ、モモ。モモはフランの事、嫌い?」
内容に思わずドキッとする。
ちょっと意地が悪いんじゃないかなって思うけど、嫌われてないかって言われると気にはなる。
いやまあ、嫌われてたらすごいショックだけど。
「え、ええ!? なんで、そんな急に……」
「いいじゃない。今は、私とモモの二人しかいないもの。どうせなら、モモがフランの事をどう思ってるか、直接聞いてみたいわ」
悪戯っぽい垂れ目をまた細め、モモさんと……僕に視線を送られる。
"今は"ね。すぐに僕が来ると思い出させて、考える間もなく答えさせようとしてるみたいだった。
尋問かな? って思ったけど、今言う事じゃないなと黙る。
「えっと、モモは、フラン様はお姉さまを助けてくれた人だし、その、かっこいいなって、思う……」
「あら、私の記憶では、モモはアレ、苦手だったはずだけれど」
(え、アレ? アレってなんだろ。僕って苦手な人種かなにかだったのかな?)
「たしかに苦手だけど……。でも、フラン様の事は好き、だよ? だから、もっと知りたい」
「ふふ、健気ね、モモは」
なんとなく嫌われてはいないってわかるけど、ちょっとだけショックだった。
(んー。二人のつもりらしいし、僕が嫌われてないのは嬉しいけど、モモさんって何が苦手なんだろ?)
なんか、思わぬところでモモさんの事を知ってしまった。
今度出かけるときにそれとなく聞いてみた方がいいのかもしれない。
そろそろ声をかけようかなって思ってると、モモさんが「もう!」とテーブルに手をつける。
「お姉さまこそ! フラン様のこと、どう……?」
「私? そうね……」
チラリ、とローゼアさんに見られ、琥珀色の瞳に真剣さが混じって、動揺してしまう。
止めようかと悩んでる間に、ローゼアさんがふっと微笑まれた。
「好きよ、フラン。命を助けてもらったことも、モモの言葉に耳を貸してくれた慈悲も。なにより、可愛いところも、全部好き」
琥珀の瞳が心地よさそうに細められ、じっと、モモさん越しに見られる。
あまりにも真正面な好意に、騎士として恥ずかしいぐらいたじろいでしまう。
そして、なんで、僕は黙って聞いてるんだろうって言う罪悪感もオマケについた。
「可愛い? フラン様のお顔は確かに可愛いけど……」
「あら、フランと一緒の意味でモモも可愛いわよ」
「むう……お姉さま?」
「ふふっ、ごめんなさい。……ねえ、モモ。もしフランが私達を受け入れてくれた時は、二人で分け合いましょう? これなら二人の物になるわ、モモ」
「わ、わけあ……。こ、言葉がいかがわしいよ、お姉さま」
ローゼアさんの提案に、後ろから見ても分かる程モモさんの首筋が、ハヌート――雪リンゴに似た、赤い果物――みたいに赤くなっていく。
いったい何を想像したんだろう。
ローゼアさんは赤くなるモモさんに追い打ちをかけるみたいに身を乗り出す。
「だって、分け合えるのなら今みたいに二人で分け合うべきじゃない?」
「そう、かな……でも、フラン様はなんていうか……」
「あら、モモは反対、と」
「は、反対じゃないよ! でもでも、分け合うなんて……。ああ、でも、フラン様が望むのなら、モモは何でもします!」
「ふふっ、モモらしい。でも、随分と勇気があるわね、モモ」
「勇気……?」
「ええ。フラン、あなたもそう思うでしょ」
「え、そこで僕に振るの?」
あ、普通に返事しちゃった。
「えっ、ええ! フラン様?」
モモさんの命の危機を感じる悲鳴に似た声に危機を察して、咄嗟に数歩下がる。
案の定、モモさんが跳びあがるように立ち上がって、振り返った。
目の前をモモさんの驚いたような顔と、ふわりと舞う彼女の匂いが舞う。
同時に、スリングで撃ちだした石のような勢いでモモさんの角が鼻先をかすめた。
ものすごい危なかった。
「あわ、あわわわ、ふ、フラン様、いつから……」
よっぽどショックが大きかったのか。モモさんは目を泳がしながら椅子にコテンと座り込んでしまっていた。
恥ずかしがってる姿はちょっと可愛いと思ってしまう。
……ローゼアさんもだけど、僕もだいぶ性格が悪いかもしれない。
自分の事は棚に上げて、悪戯を仕掛けてローゼアさんに恨みがましい目を向けてみる。
「ローゼアさん……。悪戯が度を越し過ぎじゃない?」
「ふふっ。こういうところも可愛いのよ、モモは。フランもそう思うでしょ?」
「いや、まあ……」
お願いだから同罪にしないで欲しい。
同意も否定もできない問いに避難の目をローゼアさんに向ける。
でも、ローゼアさんは、もう満足したと言わんばかりの様子で、薄く切って焼いた干し肉と固そうなパン、それと木の器に入ったスープを口元に運んでいた。
「まったく……。隣、座るね、モモさん」
「ひゃ、ひゃい! どうぞ、フラン様のお好きに!」
「あはは、ありがと。それで? 二人でなんの話をしてたの?」
「ふふっ、フランを二人で分けるって話をしてたの」
まだローゼアさんの意地悪は終わっていなかったらしい。
ローゼアさんが笑いながらそう言うと、横でモモさんの体がビクンと跳ねていた。
「それは聞いてたけど。え、もしかして二人の告白を受けたら僕の体って裂かれちゃう?」
「ふふっ、そうね。分けるのなら縦? それとも横かしら。ねえ、モモはどっちがいい?」
「だ、駄目だよお姉さま。そんな、ふ、フラン様を分けるなんて!」
「あら、横に分けて下をもらおうと思ってたけど、そのまま私が貰おうかしら」
「お姉さま!」
「あはは、僕の体なのに、僕の意志は無いんだね」
憤ってるモモさんに苦笑しながら、テーブルに並んでるちょっと焦げた臭いのする干し肉を木のフォークで刺す。
ザクっと干し肉にあるまじき音が鳴ったが、気にせず食べると、炭の味がした。
味は……将来有望な味だった。