幕間3「許す理由は、もうないかな」
人目を避けて洞窟の中を進んでいき、二又の道で足を止める。
人が来ないことを確認してから、聞き耳をたて【嗅覚強化】を使った。
片方の道の先には、それなりの人数と料理のニオイ。たぶん、宴会か何かをしてるんだろう。良くも悪くもお腹に悪いニオイが漂って来る。
もう片方には、カチャカチャと鉄の鎖が立てる音と、嫌なニオイが漂って来ていた。
はあ、と息を吐きだしてから、覚悟を決めて元気のない人の気配が多い方へと向かうと、思った通り、洞窟の穴に鉄や木で格子を張った牢が並んでいる場所に出る。
けど、手前の牢に入ってる人数は少なく、どの人も怯えてはいるものの、特に目立った外傷は見られなかった。
「こっちに居ないってことは、奥の牢、か……嫌だなあ……」
奥に続く松明も少なくなった暗がりを睨む。
牢屋通りの奥。そこは、この洞窟でも嫌なニオイ……死や血、栗の花みたいなニオイが強い場所だった。
出来るだけ息を吸わないように、ふうと冷静さを保てるように息を吐いてからゆっくりと奥の牢屋を確認していく。
一糸まとわない姿で呼吸をしてない人、服が破かれて傷だらけだけど微かに胸が上下してる子も居れば、怯えた目でこっちを見上げてくる羽を毟られたウィングレイス……。
ボロボロなのに、希望の無い目でこっちを見上げてくる人しか居なかった。
目に入った光景に目を細め、ギリっと奥歯が嫌な音をたてる。
(最悪。こっちは躾けてる最中の檻って感じ? しかも、さっきの手前の檻に人達と似てる人が多い……。まさか、手前の檻の元気な子たちの身代わりってこと? 趣味が悪いな……)
十年くらい前、陛下がとある裏切り者を捕まえるために生贄……餌にせざるを得なかった彼を思い出して自嘲する。
(僕たちも趣味が悪かったね、今更何言ってるんだか。でも、まだ見つからないってことは……)
最悪の想像が頭をよぎり、最奥にたどり着いてしまう。
そこは、牢屋みたいな感じじゃなくて、独房のような覗くことのできる鉄の扉があった。
「だれかを入れる場所はここで最後、か……」
鼻を覆いたくなるニオイに顔をしかめながら、のぞき窓から中を見る。
そして、長く重いため息が勝手に口からあふれ出してしまった。
中にはモモさんとそっくりの特徴を持つ人が居た。
居て、しまった。
地面に倒れたまま、一糸纏わぬ……ううん、首に太い革のベルトをつけられた人が横たわっていて、頭には大きな角が生えている。
腰あたりには、魔族の特徴でもある羽と尻尾。そして、モモさんと同じピンクブロンドが申し訳程度に敷かれた藁の上に散乱していた。
暗いけど、光が多く入る僕の目には背後の灯りで見えてしまう。
扉越しなのに漂って来る生臭いニオイと、白い肌の上にはいくつもの火傷の後や、刃物で傷つけられた裂傷の類が数えきれないほどついていて、残念ながら無事、とは言い難い状況だった。
モモさんと同じ琥珀色の瞳もうすぼんやりとどこかを見つめていて、閉める事すら出来ていない口元で横たわっていた。
「っ、くそ! ほんっとに最悪だ」
剣を鞘ごと抜いて、柄を錠前に叩きつけて鍵を壊す。
音が響いたけど、今はどうでもいい。無理やり扉をこじ開け、中に侵入した。
慌てて駆け寄って、ちゃんと見えたその姿に絶句する。
彼女の肢体に傷も思ってたよりも多いし、種族の特徴でもある角のうち、右の角は半ばで折られてしまっているし、革ベルトの下の首は青紫に腫れあがっていた。
腰羽と尻尾を千切られてないだけマシとしか言いようがなかった。
たしかに種族的特徴を傷つけるのは尊厳を傷つけるために使う手法だけど、それを何の罪もない人に使うなんて……。
ぶつけることできない怒りを呑み込んでいると、虚空を眺めていた琥珀色の瞳がわずかに見開かれ、かさついた唇が動いた。
「……だ、れ……?」
「君がローゼアさん? 待ってて、今君を――」
「いっ――、ひっ、いや! いやああ! やだ! 止めて!」
焦って近づいたのが良くなかった。
近づいた瞬間、彼女の体が過剰に跳ねて、耳をつんざくような悲鳴が彼女の枯れた喉から響いていた。
「ああ、もう。こんなことなら仲間に言われた通り、常時女装しとくんだった……!」
馬鹿な反省をするくらいには迂闊すぎて、暴れ続ける彼女の腕を捕まえる。
「やだ! お願い、触らないで!」
「モモさん! モモさんから、君の事をモモさんから頼まれてるんだ! 大丈夫!」
「も、も……?」
「そう、モモさん! 君と同じ角魔族の!」
そう言った瞬間、ローゼアさんの顔からパニックの色が消えて、今度は恐怖の色に支配されていく。
「モモ、は……モモ逃げてって……」
「大丈夫。安心して、モモさんは逃げて、僕が助けに来ただけだから」
「たす、け……?」
「そう。僕は……あー、身分は言えないけど、とにかく、もう大丈夫だから!」
「ほん、とに? モモも、平気、なの……?」
「うん。大丈夫、この洞窟を出れば、すぐに会えるはずだから。もうちょっとだけ待ってて」
「モモが……っ」
光を失っていた瞳に徐々に希望の色が混じり始めて、ほっと息を吐く。
傷つけられて、疲れ切ってしまっているから判断力は下がってるけど、僕相手だったら何の問題もない。
「とにかく、ここを出なきゃ。大丈夫?」
「っ、だい、じょうぶ……」
僕を支えに立とうして、ビクッと手を引かれてしまう。
全然大丈夫そうじゃなかった。
このままだと一人で逃げ出すことも難しそうだなって考えて、持ってきていたローブを彼女にかぶせ、牢屋を見る。
「ちょっと待ってて」
「ぃや。どこに行くの……?」
「大丈夫。すぐに逃げられるようにするから」
捕まれていた腕を離してもらってから、顔だけ隠して他の捕まっていた人たちを開放していく。
全員ビックリした顔で見られちゃったけど、今は気にしてる場合じゃない。
「だれか! 女の子で出口まで一番奥の子が出るのを手伝ってあげて欲しい! 急いで!」
恐る恐る牢から出てきてくれる人にお願いする。
訳が分からないって顔をされるけど、ここにいるよりひどい事にはならないと判断してくれたのか、それともそうするように刷り込まれているのか。
奥の牢に居たウィングレイスの女の子がローゼアさんを奥の牢から出るのを手伝ってくれた。
全員が集まったところで、剣を抜いて牢屋の一番前に立つ。
「今から君たちを助ける! 洞窟の出口までは護衛するから、その後は山道を降りて、南の方……国境の町へ向かって欲しい!」
僕から提案できる、最終手段を他の捕まってた人達に宣言する。
本当なら最後まで保護してラーニアの町まで護衛して上げられれば良かったんだけれど、それでは僕の身分と顔がバレてしまう。
だから、出来る限り亡命として逃げて、ラーニアの関所を越えてくれるように祈る事しかできなかった。
……少なくとも、この周辺に居るよりは安全のはずだから。
最初は捕まっていた人たちも疑っていたけれど、それでもやっぱりここに居るよりはいいと判断したんだろう。
僕が促すと、ゆっくりとだけど、洞窟の入り口の方へと歩き出してくれる。
「うん。そのまま僕について来て。大丈夫。ここの賊たちには手出しをさせないから」
出来るだけ優しく聞こえるように注意しつつ拝借した松明で先導していく。
途中、道中の二又の道を通ったので、周囲にあった荷物で軽く塞いで、壁掛けたいまつで火をつける。
これで足止めになるし、最悪、火が消えるまで気が付かなければ、一網打尽になるだけだ。
ゆっくりと着実に進んでいくと、特に問題もなく入り口までたどり着き、後ろを歩いて来てくれている人たちが見えてきた洞窟の入り口にソワソワとする気配を感じた。
(うん、皆希望を失ってない。これなら町まで無事にたどり着ければ大丈夫そう)
どうやって彼女たちを安全に送り届けようかと思案して――。
「おい、お前そこで何をしている!」
突然聞こえた怒鳴り声に、後ろの人たちが悲鳴を上げる。
僕は握っていたたいまつを放り出し、剣に持ち替えて声の主……ちょうど交代の時間か何かだったのか、小屋から出てきた賊の人たちと対峙した。
「タイミング最悪だね。お互いに」
ここまで来れたら、僕はもう必要ない。
「みんな! あの道へまっすぐ逃げ、テ……時間、稼グ、から!!」
後ろの人たちに叫んで、狂化魔法を全身に回す。
牙が吹き飛んでしまいそうなほど全身に力が一瞬で回り、毛が逆立っていくのを感じた。
助けなきゃいけない人たちを最後に一瞥して、攻撃しちゃいけない人たちを脳裏に焼き付ける。
そして、ウィングレイスに肩を貸してもらっているローブを被ったローゼアさんと目が合い、弱っているその顔が確かにモモさんとそっくりで笑いそうになった。
ああ、よかった。本当にモモさんにそっくりだ。
安堵とちゃんと救い出してあげられることに安堵した僕の意識が怒りと嗜虐に呑まれ、彼女の顔が、明確に覚えてる最後の記憶だった。
それから僕は……何をしてたんだっけ。
怒りと焦りで流す魔力の量を間違えたのだろう、薄ぼんやりと戻ってきた意識の中で、最後に見たモモさんにそっくりのローゼアさんの顔だけを思い出せた。
出来るだけ大暴れしたのは覚えてる。女の人は避ければ誰も傷つかないから大丈夫。これは千切ってもいい。あれ駄目。サクも壊して……壊して、こわして壊し続けて……。
ただ向かってくるやつらを千切って、焦げたり燃えるニオイが擦る洞窟から誰も逃げてこられないようにしたのは覚えてる。
無我夢中になって周りを壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して。
……あと、なんだったっけ。
そうだ、あの女の子は逃げられたのかな。
僕が壊した場所から無事に逃げて……。逃げられなかったら、どうしよう。
ああ、レシエ。ごめんね……。僕のせいで、傷ついて、胸元だから、ドレスを着ることも出来なくなっちゃって……。
誰もいなくなった賊の拠点。
燃えてない柱に背中を預けてたら、いつの間にか、あたりに雨が降り始めていた。
燃える拠点の中で、ただ一人で泣き続けて……。
ピンクブロンドの女の子二人に介抱された。




