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第8節「二人の向かう先」

side:ローゼア



「……少し遠くに気過ぎたかしら」



 チチチと鳥が鳴く森の中。

 坂になっている踏み固められた道を、私は一昨日フランとのデートで来ていた服で一人で歩いていた。



 ……ここは、エルピスの町の外にある小高い丘にある森。宿の人に聞いた、比較的魔物が少なく、沐浴が出来る泉へ向かう道の最中だった。

 あまり、デート服で来る場所ではないけれど、魔族の魔力を防護に回せば服も守れるので問題はない。

 でも……。


「モモとフランは……心配するかしら」


 宿に置いて来てしまった二人を思い、そうつぶやく。

 一人で来てしまったという少しだけワクワクする気持ちと……申し訳ないという罪悪感に支配されて、何とも言えない気持ちになってしまう。



 だって、私がここに来たのは、フランの告白の返事を聞きたくない、っていう我がままだから。


 我ながら面倒くさい女だって思ってしまうし、返事を聞く勇気がないのかと自分に呆れてしまう。

 でも、フランと別れてしまうかもと考えると、怖くなって……。不安で、着いて行って迷惑をかけたくないとも思ってしまって……。


 坂になった道を歩いていると、パキっと枝を踏みつけてしまう。

 立ち止まり、靴が大丈夫か確認していると、耳に小川の流れる音と水が落ちているような音が聞こえてきた。


「……あと少しね」


 あと少しで目的の場所に着ける。


 川の音への好奇心と、休憩が出来ると言う安堵に釣られて小走りで向かう。

 坂になった道を進んでいくと、森が開いて綺麗な泉が広がっていた。



 森の木々に囲まれ、それほど広い泉ではなく、底も見えてしまうほどに浅い。

 背の低い種族なら浴びれる程の小さな滝もあり、その横には平らな岩場が集まる場所もあって、たしかに沐浴にはぴったりの場所だった。


 ただ、それだけなのに、とても綺麗な泉。


「綺麗な泉。これなら、ちゃんとモモとフランの三人で来れればよかったのに」


 思わずつぶやいて、手近にあった平らな岩を椅子にすることにした。

 座るとひんやりとした冷たさがお尻に伝わって、収まった好奇心と、水の音に頭の中がすっきりしていく。


 そして、自分の言葉で彼の事を思い出してしまった。


「フラン……」


 歪に折れてしまった右角に指先で触れる。


 この角は、彼が助けてくれた証で……フランが触れようとしない、彼の汚点だ。


 フランはとっても優しい。

 モモにするような悪戯をしても笑って許してくれるし、思い出すのも悍ましい気持ちの悪い場所から、こんな私を救い出してくれた。


 だけど、フランは悪戯した時も、気持ちを聞いた時も、いつもへらへらと笑っていて……。

 本当に……本当に我がままだけれど、"約束"した、告白の返事を考えてくれるのかって不安にも思えてしまう。



 だって彼は、いつも自分の気持ちだけは口にしなかったから。



 へらへら笑っているのは、きっと彼の癖だ。

 自分の気持ちを押し隠し、誰かのために動こうとしている彼は、正直かっこいい。

 そのおかげで私もモモも救われたし、そのおかげで、彼と一緒にこうして行動も出来ている。


 でも、とも思う。

 そんな優しい彼が、私たちの告白にきちんと返事をくれるのかって。


 そして……。


「フランは、モモを選んでくれるかしら」


 自分で言って、きゅっと唇を引き締める。

 それが一番怖かった。


 フランは私を助けてくれた王子様。

 かっこいいし、優しいし、なにより慣れてはいないけれど、私たちを優先しようとしてくれている。

 そんな、かっこいいフランに、モモを好きになってほしかった。


 私は……モモが幸せになってほしい。

 私なんかが、フランに相応しいわけない。

 だって……。


 ずっと右の角に触れていた指先を、泉に落とす。



(モモを捨てようとした、酷い女より、フランに相応しいのは、可愛いモモだもの)



 冷たい……小さな滝から流れ込んでくる水が指先に当たり続けていた。



      *     *     *      



 昔、ずっとずっと小さかった頃の話。


 モモと私は魔族の世界でたった二人で生きてきた。

 でも、そんな生活に疲れて、私は一人になりたいって我がままで私はモモを置いて食べ物を探しに行ってしまったことがある。


 今思えば、酷い行いだと思うし、自分勝手な理由だなって分かる。


 でも、きっと神様か精霊様は見ているのね。

 だって、洞窟を出てすぐに獣魔族に追われて、近くにあった崖から落ちてしまったのだから。


 獣魔族も諦めるほど高い崖で、転げ落ちた先で、私は口に土が入るのも構う余裕もなかった。


 体中が痛かった。

 骨も肉もぐちゃぐちゃで、歩こうにも足は変な方向に曲がっていたし、這おうにも腕はピクリとも動いてくれない。

 息をするたびに胸が痛かったし、気持ち悪くて気が遠くなったと思ったら、痛みで現実に帰ってくる。


 血の匂いがして、ぼうっとする頭で私は我がままを言うとこんな罰が当たるんだなって思っていた。


 死んでしまうかもしれない。

 そう思ったら最後にモモに会いたいなって思って、必死になって体を動かしてモモと再会して……身勝手にもモモを泣かせてしまった……。



      *     *     *      


 流れる水から目を逸らして、目を閉じる。



 どれもこれも、私が我がままなせい。

 私のせいで、一人でやって行けるはずのモモに、首輪をつけてしまったのだ。

 まるで、私の首につけている革のベルトのように。


 モモには幸せになってほしい。


 だから、モモには日常的な家事と狩りの方法を教えた。

 三人で一緒になってからは、料理と味付けの方法に、フランに似合う色。フランにはモモの可愛さを教えるために悪戯も仕掛けたりした。


 こんな……こんな酷い私を置いて、二人には幸せになってほしい。

 そう、私は置いて。


「ふふ、答えを聞きたくないからってこんなところまで逃げてきたひどい女が、フランと一緒に居たいなんて言ったら、きっと罰が当たるものね、ローゼア」


 一人、誰もいない泉の傍で苦笑する。


 小さな滝から水が流れ落ちる音が心地よく、しばらく考え事をするようにぼうっとする。

 どれほど時間が経ったのだろうか。


 何とか逃げたくて、ここまで来てしまったけれど、空を見上げれば、もうずいぶんと時間が経ってしまっていた。

 答えは聞きたくない。でも、私も一緒に答えを聞かなければ、フランとモモは幸せに離れないとも思う。


「……そろそろ戻らないと」


 フランとモモは心配をしてくれたかしら。二度目も同じことを思って、また自嘲する。


 そんなわけはない。

 答えを聞きたくないという我がままでここに来たのだから、怒られて、失望される方が先だ。

 このまま見放されてしまったとしても、文句は言えない。


 とはいえ、帰らないと見捨てられたかどうかも分からないので、座っていた椅子から腰を下ろす。

 すると、森の方……エルピスに続く道からだれかが歩いてくる気配がした。


「フラン……?」


 まさかという気持ちと期待がないまぜになり、ドキドキと心臓が高鳴ってしまう。

 迎えに来てくれたのだろうか。でも、だとしたら、どうやって?

 街の外に出るとき、結構入念ににおいも消してしまった。探そうと思っても、近くまで来ないとニオイを辿るのも難しいはずだった。



 胸元で握った拳に力がも籠り、道をじっと見つめる。

 しかし、道から現れた人を……人間を見て、体が硬直してしまう。


「っ、ぁ。はあ……う、そ、はあ、はあ……どうし、て……?」


 勝手に荒くなっていく呼吸と震えてしまいそうな腕を、もう片方の手でぎゅっと抑え込む。

 今にも戻してしまいそうな気持ち悪さをぐっと飲みこんで目の前の男たちをキッと睨みつけた。


 だって、そこに居たのは……。


「あ? はっ、本当に居るじゃねえか。まさか、あの時さらった魔族がまだ居やがるなんてな。俺たちは運がいい」

「へへ、言った通りだったでしょう、兄貴」


 顔に傷のある男と、腕に傷のある男の二人組。

 ……私を、あの悍ましい場所へ最初に連れて行った二人だった。


 この男たちに弱みを見せるわけにはいかない……。

 震える肺で何とか空気を取り込み、ぐっとお腹に力を込めて睨み返す。


「どうしてここに居るのかしら」

「お前こそ、あの火事の中でどうやって逃げ出しやがった? 俺たちも生き残るのに必死だったからなあ――おい、兄弟」

「……へい、わかりやすぜ、兄貴」


 どういうこと。この二人は、あの火事がフランの起こしたものだって知らない?

 駄目、頭が回らない……。

 そもそも、この人たちは、どうしてここに……。


 黙っていると、何かを勘違いしてくれたのか、顔に傷のある男が前に出てくる。


「はっ、連れねえな。わざわざ牢屋に直接連れてって、あれだけ可愛がってやったってのに……」

「っ、最、低ね。それで人を動かせると思ってるなんて」

「なあに、あれだけの事をしたのに、これだけ活きがイイ商品なら高く売れる。こっちとしては生きててくれて感謝してえくれえだ」

「あ、んたたちに感謝なんてされても嬉しくないわね」


 視界が震え、思わず視線をそらしてしまう。

 嫌味に見えるように表情を変えると、視界の端で誰かが動くように見えた。


「そう言うなよ、俺たちの仲だろう?」

「たった一晩、っ、一緒に居ただけだわ」

「へへ、それはそうだな」


 顔に傷のある男が下卑た笑みでナイフを取り出して構える。

 背後は泉、逃げようとしても森の中はフォーヴ化した獣が居る危険性がある森。

 逃げる場所は森かしら。

 逃げ道を確認しながら、見下ろすように鼻で笑ってやる。


「……素直に捕まえられるかしら」

「簡単さ。なあ、兄弟。お前もそう思うだろ?」


 顔に傷のある男がそう言って、ハッとする。

 いつの間にかもう一人の男の姿が見えなくなって……。


「なっ、痛っ……」


 首元に生暖かい息がかかり、腕が誰かに捕まえられ後ろに回されていた。


 ゾクっと背筋から体全体へ悪寒が走り、腕を引っ張っても動かなくて、近くに男の人が居るってまざまざと見せつけられて、あの時の光景がフラッシュバックしてしまう。


「っ、ひぅ、やあ! やだ! やめて!!」

「おっと、動くな! おい!」

「や! いやあ! 止めて!! 触らないで!」


 だれかが何かを言っていた。でも、どれだけ必死に動かしても動かなくて、呼吸が出来なくなって、頭の中が真っ白になっていった。


「おい! 抑えておけ!」

「へい!」


 必死に抵抗しようとして、とあることが頭をよぎり、パニックからも抜け出してしまって、ガクッと、体から力が抜けてしまう。


「あ? なんだコイツ急におとなしく……」


 耳から通り抜ける言葉を頭では理解せず、ただ思い出してしまったことを自嘲する。

 だって、だってこんな目にあっても当然じゃない。

 そうでしょう、フラン、モモ。


 思い出したのは、モモを置いて行こうとしてしまった、あの時だった。

 あの時も、私は一人で逃げようとして、崖から落ちて、大怪我をした。


 だからこれは、自業自得だ。

 私がフランの告白の返事を聞きたくないって逃げてきた、神様か精霊様が与えた罰なのだ。


 自分勝手な我がままで、こんなところまでたった一人で逃げて。探してくれてるかもしれないフランとモモにたくさん迷惑をかけた、馬鹿な女への、一番こわい罰。


(これが、我がままを言った当然の報い、かしら。ねえ、ローゼア。)


 すべてを諦めて、力を抜いて……。





「ローゼアさん!」





 急にフランの声が聞こえて、ドクンと心臓が高鳴った。

 うそ、どうして。そんなわけない。だって私は我がままを言って、彼を困らせて……。


 来るわけがない。でも、もしかしたらと、優しい彼ならと淡い期待が胸に灯り、耳に泉に零れ落ちていく滝の音が重なった。


 顔を上げ、目の前の光景が信じられなくて、ドンドン目が大きくなっていくのが自分でもわかる。


 だって、だって、そこに居たのは……。


「ら……ん」


 声が出なくて、必死になって動く方の手を伸ばす。


 今こっちをとっても凛々しく、可愛い顔で、こっちを睨んでくるあの顔。

 女の子の格好だけど、栗毛の長い髪をサイドで纏めて、エメラルドの瞳を険しくさせた格好いい騎士様は……。



「フラン!」



 二度目は、震える声で彼の名前を呼べていた。


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