第7節「告白の返事はお早めに」―2
わざと強く引っ張って、バランスを崩して倒れこんできたモモさんをぎゅっと抱きしめる。
僕の腕の毛皮に彼女の荒い息と、嫌々するように動く衣服が擦れて、何度も肩に当たる。
思ったよりも力が強くて痛かった。
「放して! モモがお姉さまを見つけるの!」
「落ち着いて、モモさん!」
「っ! いや! 放して」
逃げられるよりはマシって思ってたけど、結構モモさんの力が強い。
何度も抵抗されて何度も落ち着いてって言い聞かせていると、次第に腕の中に居るモモさんの動きがゆっくりになって、やがてピタリと止まってくれた。
「ふわふわ……。フラン様?」
「あ、落ち着いてくれた? よかった」
痛い思いをした甲斐はあったらしく、モモさんは冷静になってくれたっぽい。
恐るおそる体を離すと、ものすごくぱちくりとした表情で僕の事を見上げていた。
「ごめんなさい、モモは……。っ! フラン様、肩が!」
「え? 肩?」
言われて肩を見てみると、何度も彼女の角にぶつかったせいで、ちょっとだけ毛皮が血に濡れてしまっていた。
今にも死んじゃいそうな目でモモさんに見つめられるけど、痛みはそこまでじゃない。
目で確認してみるけど……うん。そんなに深い傷じゃないし、血もそこまで出てなかった。
「ああ、うん、大丈夫。慣れてるから」
「で、でも……!」
「モモさん。今はとりあえず、落ち着いて僕の話を聞いて欲しい」
「っ、は、はい……」
きゅっと、モモさんが悔しそうに唇を絞る。
本当は慰めてあげたいけど、今はローゼアさんが心配だから、そっちを優先させてもらう。
「僕はこれからローゼアさんを探しに行く。モモさんは、どこに行くか見当はつく?」
「…………。いいえ、モモはもう分かりません」
「そっか。モモさんが判断できない事なら、僕が行った方がいいね」
「は、はい。でも、フラン様だけで、ですか?」
「僕はウィルカニスだから、町中だったとしてもニオイでローゼアさんを追える。だから、辛いだろうけど、モモさんはここで待っててくれる? 引っかかれば、すぐにでも終えると思う」
「で、でもモモは!」
「モモさんは、ローゼアさんが戻ってきた時のために残ってて」
「でも!」
「……じゃあ、これ、お願い」
僕はそう言って、こっそり持ってた機密文書をモモさんに預ける。
モモさんがおずおずと文書のロールを受け取ると、不思議な顔をされた。
「フラン様、これは……?」
「僕の大事な仕事の報告書。本当はヒトに渡すのすっごいまずいんだけど、ローゼアさんを見つけて必ず戻ってくるから。ローゼアさんが戻って来た時のためにここで待機してて。いい?」
「あ……は、はい。お預かり、します。絶対、離しません!」
「うん、お願いね」
本当はまずいけど、モモさんをここに留まらせるにはこれが一番いいかなって判断した。
まあ、最悪ジャックに口聞きを頼んでもらえれば、間の国の情報は何とかなりそうだし、キチンと確信を得るための隠密もきっと派遣されるから、大丈夫だろうけど。
それでも理解してくれたのか、モモさんは頷いて、しっかりと巻物を抱きしめる。
僕はそれを見届けて、部屋を出て――
「ふ、フラン様!」
ノブに手をかけたところで呼び止められた。
「あの! その……。もし、お姉さまの事を見つけても、怒らないであげてください……」
「え、怒らないとは思うけど……。どうして?」
「……フラン様は、覚えてますか? お姉さまとの"約束"を」
「うん、もちろん。帰国する前に出来るだけ答えを用意するって言ってたやつだよね」
「はい。……あれは"魔族の契約"なんです」
「え、契約?」
急がないといけない。
そう分かっているのに、モモさんの言葉に釣られて、振り返ってしまう。
モモさんの真剣な表情がまず目に入って、モモさんがパタパタと自分の荷物の方から、彼女が最初に来ていた、魔族の衣装を手に取る。
「魔族の【契約魔法】は聞いたことあるけど。それとは違う、ってこと?」
「それはあります。でも、モモが言ってるのは、魔法の方じゃなくて」
「魔法の方じゃない? どういうこと?」
「……"魔族の契約"。言い方はとっても大仰なんですけど、魔族の気質と言うか、約束事でもそう言うんです。紙に書いたりとか、口約束とか……そう言うのも、魔族は契約に近い認識として覚えるんです」
「……」
モモさんはそう言って、紐とベルトを合わせたみたいな衣装を自分の体に合わせる。
僕は、モモさんの言葉を受け止めて目を細めた。
それはつまり、僕とローゼアさんがした"帰る前にこたえる"も、きっと彼女たちの中では総意撃った認識になっている、と言う事なんだと思う。
固唾を飲んで見守っていると、モモさんは言い辛そうに目を伏せる。
「だから、モモ。分かるんです。お姉さまが居なくなるほど、不安なんだなって」
「不安? えっと、どうして? 契約をしたのに、不安ってこと?」
「魔族にとって……モモとお姉さまにとっても、約束ってとっても大事な物なんです。その、場合によっては、命よりも大事で」
「命よりも……」
思ってよりもすっごい重い事を約束しちゃったんだなって、冷や汗が出そうだった。
実際、種族や人によって大事にすることは違う。自分の命を優先するような場面でも、誇りや人情を大事にする人だっている。
僕だって、唯一生き残った"レシエ"って言う妹の事を何よりも大事にしている。
妹……レシエは僕のせいで大事な体に傷を負って、家族も同時に失ってしまった子だ。
そんな妹を守れるというのなら、僕の体くらい安い物だって思う。
そして、僕はそんな約束を遅らせに遅らせて直前になっても返事は返せてない。
むしろ、ちょっと前まで受け流すようにしていたのは身に覚えがある。
それは、どれだけ不安に思われるだろうか。
「だから、お姉さま、不安だと思うんです。本当にフラン様は答えてくれるのかなって。それを聞いて、受け止められるのかなって。お姉さまは、きっと……」
「……返事が遅い、僕のせい、だね」
「いえ! そう言うわけじゃなくて。モモも、お姉さまも、フラン様をそんな我がままな契約に巻き込みたくはないって思ってます」
「でも……」
僕の返事が遅れているのは確かだ。
モモさんも不安だと思うのに、モモさんはそれを理解してて、魔族の服を後ろ手に持つと、えへへと困ったように笑う。
「えへへ、フラン様。お忘れですか? お姉さまは、強がりさんで、モモは怖いって言うのがよく分からないんです」
「え? う、うん。覚えてはいるけど……」
「だから、今教えちゃいますね。モモは……たぶん、お姉さまも、フランさまのお返事、まだ聞きたくありません」
「は、え? でも、契約の話は……」
「はい。魔族として約束、とっても大事だと思いますし、聞かなきゃって思います。でも、少なくとも、モモは聞きたくないなって思っちゃいます」
あはは、とモモさんはまた困ったように笑った。
「お姉さまは、怖がりで、つよがりさん、ですから。だから、モモはお姉さまの気持ち、わかっちゃいます」
そう言われて、ハッとした。
モモさんは、恐怖心が薄い。
それでも、僕の返事を聞くのが不安だって思うし、聞きたくないなんてわざわざ僕に言ってくれている。
それはきっと、ローゼアさんも一緒なはずで……。
僕が気が付いた瞬間、モモさんはふっと表情を崩して、琥珀色の瞳を細めて尻尾を揺らした。
「フラン様。モモは、お姉さまも、フラン様も大好きです。だから、フラン様とお姉さまの答えに従います」
「う、うん?」
呆気に取られてモモさんの独白を聞いてしまっていると、モモさんが駆け寄ってきて、僕をぎゅっと抱きしめる。
そして、嫌いなはずの獣っぽい腕の毛皮に触れてから、すぐに顔を上げた。
「もし、フラン様と離れることになっても、もし、お姉さまと離れることになっても……。お二人の答えに従うと"約束"します。だから……お姉さまに、お返事を言ってあげてくださいね、フラン様」
ふっと、彼女の手が腕から離れる。
思わず手で追ってしまいそうになって、あはは、と苦笑した。
「今の言葉、ローゼアさんみたいでズルいね、モモさん」
「ふっふっふっ、お姉さまを不安にさせたお返しです! それに、フラン様は受け身の方のようでしたので!」
「わあ、誤解が……でもないか。うん、言って来るね」
「はい! 怖がりさんのお姉さまに、きちんとお答えしてきてあげてください!」
「あはは、見つけられる努力はするよ」
胸を張るモモさんに手を振って僕は部屋を駆け出す。
そのまま廊下を駆け抜けようとして、慌てて戻って僕が借りていた部屋に駆け込む。
荷物の中から"目的のモノ"を見つけ出して、うんと頷く。
「そうそう。"コレ"と剣は忘れないようにしないとね」
懐に居れたソレを一瞥して、僕はローゼアさんを探すために部屋を後にした。




