第七話 箒
「てかさあ……」
アパートの階段を降りていると、アミーダが呟いた。
「店まで、どのくらいかかんの?」
「そうね……。大体、二十分くらいかしら」
「えー、二十分も歩くの?だるくない?」
あ、そういえば。
アミーダの一言で、不意に気になることがあった。
「この世界って、遠距離とかどうやって移動してるんですか?」
今まで歩いてきた道は、基本的に徒歩の人しかいなかったので、不自然に思ったのだ。
元の世界にいた時は、魔法使いじゃない人は馬車とか列車を使って、遠距離を移動していた。
この世界の人は、どうやって移動しているんだろう?まさか、徒歩なわけないし。
「車とか、電車とかよ」
「クルマに、デンシャですか……」
「ちょっと説明するのは難しいわね。見れば分かると思うのだけど……」
「そうですか」
「あっ、そうだ。列車って分かる?」
「分かります」
「電車は、列車に近いかな」
「なるほど」
ということは、デンシャはかなり長距離移動をする時に、使うものなんだな。
「じゃあさー、そのクルマってのはないの?二十分も歩くとか、だるすぎ」
「ごめんなさい。ここ、一応駅が近くにあるから、車持ってないのよ」
「何だ、不便なの」
アミーダはそう言ってそっぽを向いたが、またしてもぽつり、と思わぬことを言い出した。
「あたしら、飛んで行けばいいんじゃない?」
私は、思わず呆然としてしまった。
飛ぶ?本気で言ってるの?
「え、飛べるの!?」
一方のシズネは、興味津々だ。
「もしかして魔法使いって、箒に跨って飛ぶとか?」
「まあ、箒には限らないけど、テキトーなものに魔力を詰め込んで魔法を使えば、飛べるよ」
「えっ、すごい!」
「やってみせよーか」
アミーダはそう言うと、アパートの一階の壁に縛られて置かれている幾つかの箒のうち、一本を取り上げた。
「あ、ダメよ。それ、大家さんの持ち物なんだから」
「いーじゃん、一本くらい。後で返せばバレないでしょ」
「まあ、そうね……」
おい、あんた教師だろ。
この人、魔法見たさに完全に我を失ってない?
「さーて、じゃあ行こうか」
アミーダはそう言うと、箒に跨った。
すると、それから三秒も経たないうちに彼女の体は箒と共に宙に浮いた。
浮いて浮いて、どんどん空に向かって上がっていく。
「うわー、すごい!すごいわ!」
「まあ、こんなもんよ」
アミーダは、平気な顔をしている。
まあこの程度の魔法、魔法学校の生徒にとってみれば、朝飯前だ。
ただし、普通の生徒にとってみればの話だけれど。
「ねえねえ、チャリオネちゃんもやって見せて!」
案の定、矛先がこっちへ向いた。
シズネの目は爛々と好奇に満ちている。
勘弁してください、ホントに。
「私、下手ですよ」
そう。私はこの程度の魔法すら、ろくに使うことができないのだ。
箒に乗る練習は、一年生の一学期で行われるものだが、私ときたら今だにマスターできていない。
いつも軸がブレて建物に衝突したり、ひどい時は少ししか浮かない時もあった。
そんな時は、周囲が空をブンブン飛び回っているのに、私だけ地に足がつくくらいの浮遊でウロウロしていたものだ。
「いいのよ、やって見せて」
「仕方ないですね……」
私は、嫌々ながらやることにした。
まあ、側にいるのがアミーダとシズネだけだし、今さら恥ずかしがることもない。
私は箒を一本取り上げると、早速魔力を込めた。
そうして箒に跨ると、思いのほか箒が上昇した。
「うわっ、うわああ!」
「すごい、できるじゃない!」
ブレる。ガンガンにブレる。
でも、ある程度の高さまで行けたな。
「じゃ、これで店まで行こうよ」
「あ、それは……」
シズネは、さっきまでの調子とは裏腹に、極端に口ごもった。
「この世界、魔法がないから魔法使いがいるって知られると、面倒なことになると思うのよ」
「じゃあ、箒で行くのは無しですね」
私は、ホッとした。どうやら、飛ばずに済みそうだ。
「よーするに、バレなきゃいいんでしょ?バレなきゃ」
「まあ、そうだけど……」
「空高く飛んでいけば、バレないでしょ。まさかあたし達以外に、空飛んでる奴なんかいないだろうし」
ちょっと……。変な提案、しないでよ。
「じゃ、あたし先に行ってるから。確か、ここから西に行けばいいんだったよね」
「そう。見れば分かるわ。住宅街の中に、ポツンと大きい建物が建ってるから」
「じゃ、そういうことで」
アミーダはさらに上昇して一気に加速すると、西の方角へ飛んで行ってしまった。
私はそれを見送ると、地面に着地した。
「あら、どうしたの?」
「私たちは、徒歩で行きましょう」
「何で?チャリオネちゃんだって、飛べるんでしょ?」
「まあ飛べるには、飛べますけど」
「じゃあ、私も乗せてくれない?」
「ええ!?」
嘘でしょ。この人、本気で言ってるの?
「もしかして、重量制限とかあるの?」
「いえ、それはありませんけど」
「じゃあ、いいわね」
シズネは、私の後ろに立って箒に跨った。
「ちょっと待ってください!私、下手って言いましたよね?」
「うん。でも、乗ってみたいの」
「自殺行為だと思いますけど」
「でも箒で空を飛ぶなんて、なかなかできる体験じゃないものね。この世界の女の子にとっては、憧れみたいなものよ。私も小さい頃から、やってみたかったなあ……」
ダメだ。完全に、我を失ってる。
何を言っても聞きそうにないわね、やれやれ。
「じゃあ、私も極力気をつけますが、もし死んでも責任はとりませんからね」
「分かったわ」
シズネは、私の腰にギュッと手を回した。
シズネの目は、相変わらず爛々と輝いている。
それに比べて、私は今にも泣きそうな顔だった。




