第七話 『智明』
「――スマンな」
俺が黙ってしまったからか、黒陽がボソリと言った。
何のことかわからなくて黒陽を見ると、黒陽は苦笑を浮かべていた。
「お前が『智明』の記憶がない以上、智明のことを引っ張り出すのは良くないと理解しているのだが。
お前があまりにも『智明』のまんまだから、ついつい口に出てしまう」
『まんま』て、何だよ。
俺がそう思ったのがわかったのだろう。
黒陽が笑って続けた。
「我らのような長命のモノは、見たらわかるんだ。『あいつだ』ってな。
お前だって、親しい人間ならば、髪型や衣服が変わってもわかるだろう?」
そういう感覚か。
わかる。と示すのにうなずくと、黒陽もうなずいた。
「だが、記憶がない上に、生まれ育った環境や出会う人も変わるわけだから、前世と違う人間になることがほとんどなんだ。
それなのに、お前ときたら、全然変わらない。
それが我らはうれしくてな。
ついつい、余計な口をきいてしまう」
黒陽の言う『我ら』が、『主』達のことも含めているとわかった。
黒陽も『主』達も、初対面の俺に親しげにしてくれる。
それだけ俺が『智明』に似ているのだろう。
ん? 転生している本人の場合は、似ているでいいのか? 本人というのか?
話をしているうちに、『まんま』『変わらない』と言われる『智明』が、気になってきた。
これまではおそらく前世の自分だと理解していても、なるべく考えないようにしていたのに。
あまりにも黒陽がうれしそうに、親しげに言うものだから、ちょっとだけ気になった。
「――『智明』って、どんな男だった?」
『前世の俺』とは聞けなかった。
俺は『俺』で、『智明』ではない。
ただ、『智明』がいて、俺が存在するのだろうことは、なんとなく感じている。
俺の質問に黒陽はどこかを見たまま答えた。
「いい男だったよ」
そして、ニヤリと笑った。
「あれほどの男はなかなかいない」
大絶賛じゃないか。
すごいな『智明』。
「我らが出会った時、ヤツは二十八だった。
京の都を作る仕事をしていて、退魔も請負っていると言っていた」
退魔師。
自分の将来の道のひとつ。
そうか。『智明』も、退魔師だったのか。
「当時、都の水脈はめちゃくちゃでな。
助けてもらった恩返しに、私が手助けして、二人で都の水脈を整えたんだ。
千年保つ都になるように、てな」
「何だソレ」
この亀トンデモナイ仕事してた!
そして『智明』! よくそんなのできたな!?
ホントに人間か?!
いや、俺の前世なら人間だろうけど!?
「そのときに『主』達と知り合ったんだ。
で、姫のために智明が聖水作ったら『主』達が気に入って、時々作りにいくはめになった」
で、今俺が作らされている、と。
でも、そうか。
やっぱり『姫様のため』か。
生まれ変わっても俺は変わらないらしい。
「我らが共に暮らしたのは、四か月ほどだった。
だが、それまでの四千年に匹敵する四か月だったよ」
懐かしそうに微笑む黒陽の言葉に、衝撃を受けた。
四千年て何だ?
たった四か月しか『智明』と過ごしていないのか?
俺の顔がこわばったのに気付いたのだろう。
「やっぱりお前は聡いな」そう言って黒陽は苦笑した。
「聞き流せばいいものを」
クッと笑う黒陽に何と言おうか迷い、そのまま聞くことにした。
「黒陽は四千年生きてるのか?」
「あれから八百年近く経ってるからな。
今は、そうだな。四千五百年といったところか」
「そんな年齢に見えないな」
亀は長命だというが、霊獣ともなるともっと長命なのだろう。
感心しながらこぼした俺の言葉に、黒陽はどこか楽しそうに、どこか悲しそうに、笑った。
「『智明』とは、四か月しかいなかったのか?」
そんな短い期間で、黒陽と友達になり、姫様にあんなに慕われるなんて。
すごいと思う反面、なんでそんな短い期間で別れたのだろうと思う。
俺だったら、死ぬまで姫様と一緒に暮らしたい。
何年でも、何十年でも。
黒陽はなんでもないことのようにさらりと答えた。
「姫の生命が尽きたからな」
―――それは。
―――そんな。
俺はきっとひどい顔をしているのだろう。
固まった俺に、黒陽はまた苦笑した。
「智明が我らを助けてくれたときには、もう姫は長くないとわかっていたんだ。
それなのに、あの聡い男は、気付いてしまったんだ。
姫が己の『半身』だと」
『半身』。
俺も感じた。
姫様を抱きしめた時、強烈に理解した。
この人だ、と。
この人が、俺の『半身』だと。
「『半身』て、何なんだ?」
感覚では理解できるのだが、何か謂れがあるのだろうかとたずねると、黒陽は少し考えて、話しはじめた。
「我らが元いた世界には、伝説があったんだ」
「『元いた世界』?」
俺の問いには答えず、黒陽は話を進める。
「その伝説とは『夫婦は元々ひとつの塊だった』というものだ。
ひとつの塊に陽と陰――男と女、二つの魂が宿り、半分に分かれた。
だから、失った半分を求めるのだ、と。
そして再び出会えた二人は、お互いを『半身』と呼ぶんだ」
「私と妻もそうだったんだ」と、少し得意げに話す黒陽。
妻? いるのか?
やっぱり亀か?
話を聞けば聞くほど疑問が出てくる。
もう、何から聞けばいいのかわからなくなってきた。
ぐるぐるしていると、黒陽がたずねてきた。
「お前も感じたんじゃないのか?」
何を、と聞かなくてもわかる。
姫様を、俺の『半身』だと。
「―――」
黙ってうなずく俺に「だろうな」と黒陽はあっさりしたものだった。
何だろう。すごく照れくさい。
顔が赤くなっているのが自分でもわかる。
恥ずかしくて黒陽を見ていられなくて、うつむいて意味もなく足元の小石を足でつついてみた。
そんな俺に、黒陽は笑った。
「お前はいい男になるよ」
そんなことを言うものだから、驚いてつい黒陽の顔を見る。
黒陽はさっきも見せた、どこか楽しそうな、どこか悲しそうな笑顔を浮かべていた。
「お前は姫の『半身』だからな」
『「智明」の生まれ変わりだから』と言われなかったことが意外だった。
そして、黒陽が『俺』をちゃんと見てくれていると理解できて、何だか身体中の力がぬけた。
言葉の意味をかみしめているうちに、胸に湧いてきたものがある。
喜び。
前世とか関係なく、『俺』を見てくれている。
『俺』を認めてくれている。
それだけでもうれしいのに、姫様の『半身』とも認めてくれた。
うれしくて、誇らしくて、なんだか身体がぽかぽかする。
そんな俺に構わず、黒陽は言葉を続けた。
「ただ、これだけは承知しておいてほしい」
思いがけない厳しい声に、俺の表情も引き締まる。
何を言い出すのかと黒陽を見つめる。
黒陽が出した言葉は、考えてもいないものだった。
「姫は、お前と共に生きることはできない」