第四話 この人だ
世話役の二人が姫様の様子を見に来たのはそれからしばらくのことだった。
黒陽に声をかけると、すぐに起きて世話役に挨拶をした。
「お前は姫に霊力流し続けとけ」と言われ、話し合いからは外された。
何やら今までの経緯やら今後どうするかなど話していたようだ。
夕方になって姫様は目覚めた。
俺が握る手に、きゅっと力が入った。
俺がずっと手を握っているとわかったのだろう。
熱で赤い顔で、くすぐったそうに、うれしそうに笑った。
か、かわいい。
ふ、と目が開く。
そして、ゆっくりと首を動かし、俺を見た。
今度は困ったような、仕方ないと思っているような顔で笑った。
「――また、無理なさって…」
また?
疑問が声になる前に、姫様は再び目を閉じて、俺の手を自分の頬に当てた。
すり、と、甘えたように頬をすりつける。
「ありがとう、ございます」
―――――――――!!
な、な、なな、なんてことをするんだこの姫様はー!!
これ、何だ?!
何が起こってるんだ?!
どうしたらいいんだ!?
頬っぺやわらかい。
かわいい。
ちがう。今はおいとけ俺!
甘えてるのか? 甘えん坊さんなのか!?
かわいいしかない。
ちがう!! しっかりしろ俺!!
動揺しまくって動けなくなっている俺に気づかず、姫様は「は」と苦しそうな息をひとつ吐いた。
「――大丈夫ですか? 水を持ってきましょう」
声をかけた途端。
姫様は目を開き、丸くし、固まった。
そしてゆっくりと首を動かして俺を見つめ、ぱちぱちとまばたきをした。
そのまま俺をまじまじと見つめる。
何だ? 何だ?
「――トモ、さん?」
「なんで、名前…」
「智明、さん?」
「いえ。智也です」
俺の名乗りに、姫様はしばらく固まっていた。
が、ゆっくりと俺の手を自分の頬から離し、手も離した。
「――――ええと、」
動揺がありありと浮かんでいる。
何だろう?
何かまずいことでも言っただろうか?
「黒陽は、いますか?」
「います。そこで寝ています」
横の桶を指差す。
姫様は桶を確認して、再び俺に目を向けた。
「ちょっと、二人で、話をしても、いいですか?」
「まだ熱がありますよ?
熱が下がってからになさったら…」
「えと。え、えと。
ちょっと、理解が、その、」
姫様がおたおたとしていると、黒陽が桶からひょっこりと首を出した。
「姫。目覚めましたか」
「黒陽」
黒陽の姿に、姫様は明らかにホッとする。
「――ええと、あの、黒陽。その」
黒陽は桶から出て姫様に近寄ると、耳元でボソボソと何か話していた。
姫様は驚いたりうなずいたりしながら話を聞いている。
時折二人して俺を見るのは何なんだろうか。
居心地の悪い思いを耐えていると、姫様は布団から起き上がろうとした。
「まだ無理しないほうが」
「だ、大丈夫、です」
姫様は熱で赤くなった顔できちんと正座をすると、綺麗なお辞儀をした。
「大変失礼致しました。
このたびはお助けいただき、ありがとうございます」
「とんでもありません」
そしてお互いに名乗り合う。
途切れた会話にどうすればいいのかと思っていると、姫様がもじもじとしはじめた。
何か言おうとしては口を閉じて、を繰り返し、やっと言葉が出てきた。
「――その、甘えたのは、忘れていただけると助かるのですが…」
視線を落とし、恥ずかしそうに言うのもかわいい。
でもそれを言うともっと恥ずかしかってしまうだろう。
俺は姫様かわいさからによによとゆるみそうになる口元をなんとか凛々しく見えるように一旦引き結び、それからにっこりと笑ってみせた。
「病人が心細さから甘えるのは当然のことです。
何らお気になさることはありません。むしろ」
そう。むしろ。
「甘えてください」
姫様は驚いたようにその目を大きく開くと、くしゃりと笑った。
泣きそうな、うれしそうな笑顔だった。
「――ありがとう、ございます」
安心してくれたのだろうか。
姫様から、ふ、と力が抜けた。
ぐらりと身体が傾いだ。
「危な…」
反射的に近寄り、抱きとめた。
途端。
ぶわり。
身体の奥底からナニカが湧き上がる。
この人だ。
この人だ!
俺の半身。俺の唯一。
何故かわからない。
そんな言葉知らなかった。
なのに『そう』だとわかる。
この人が、俺の『半身』だと。
この人が、俺の『唯一』だと。
また会えたのだと。
衝動にまかせて、ぎゅ、と抱きしめる。
俺に持たれたままだった彼女もそれの気付いたのだろう。
膝立ちで支えている俺の胸に顔をうずめ、ぎゅうっと抱きついてきた。
ああ、かわいい。
俺の唯一。
抱きついてくれることがうれしくて、抱き寄せる腕に力が入る。
もう離さない。
俺の腕から逃さない。
ずっと、こうやっていたい。
彼女は俺の胸の中で震えている。
泣いているのかもしれない。
甘えてくれていると感じて、愛おしい。
「――貴方だけです」
姫様が俺の胸で顔を隠したまま、震える声で告げてくれる。
「私が甘えるのは、貴方だけです」
その言葉に、胸がいっぱいになる。
愛おしさではちきれそうだ。
「貴方だけが、私の――」
それきり彼女は口を閉じてしまった。
ただぎゅうぎゅうと俺に抱きついてくる。
俺の胸に顔を押し当てている様子もかわいくて、思わずよしよしと頭をなでる。
頭をなでると彼女から少し力が抜けた。
安心して身を任せてくれる様子が愛おしい。
彼女はさらに甘えるように、俺の胸にぐりぐりと顔をすりつけた。
何だソレかわいいな!!
ああ、もうだめだ。
愛おしさが爆発している。
頭を抱きかかえるようにぎゅっと抱きしめる。
かわいい。かわいい。かわいい。かわいい!
「黒陽様。晴明です」
突然の声にビクーッ! となった。
姫様も同じようにはねた。
誰だ!? どこだ?! と辺りを見回すと、白い小鳥が一羽、枕元に置いた石の側にいた。
「連絡が遅くなって申し訳ありません。
ご無事で何よりです。
そちらの位置の特定ができました。
数日中にはお迎えにあがります」
冷静なその声は、少年のものだった。
俺と同じくらいの年齢かもしれない。
思わずゆるんだ俺の腕から姫様が逃げ出した。
そのまま布団に飛び込むと、頭から布団をかぶり丸くなった。
え。何だソレ。
貴女、俺より年上ですよね?
そんな子供っぽい様子にも、あきれよりも愛おしさしかうかばない。
布団の団子はぷるぷると震えている。
かわいいなぁおい!
「―――姫様?」
声をかけると、大きな団子がビクリとはねた。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!! 私、失礼なことを…」
「大丈夫です。大丈夫ですよ。姫様」
人間自分より動揺している人を見ると逆に自分は落ち着くのだな。初めて知った。
「先程も申しましたが、病人が心細さから甘えるのは当然のことです。
何も迷惑なことも、失礼なこともありません。大丈夫です」
よしよし。と、布団をなでる。
それでも布団はぷるぷると震えている。
「姫様は、まだ病人です。
俺では頼りないかもしれませんが、俺でよかったら、存分に甘えてください」
俺の言葉にも、団子のぷるぷるは止まらない。
調子に乗りすぎたかと反省していると、細い声が聞こえた。
「―――ご迷惑になります」
「うれしいだけですが?」
つい本音がぽろりとこぼれた。
俺の言葉に、団子の動きが止まった。
何か葛藤しているのだろうか。
動かなくなった団子を、よしよしとなで続ける。
「差し当たり、熱冷ましの薬を持ってきます。
少し離れますが、お一人で大丈夫ですか?」
「私がいるから大丈夫だ。さっさと行け」
黒陽がいるのを忘れてた。
先程抱き合っていたのを見られていたと察し、一気に顔に熱が集まる。
真っ赤になっているのが自分でもわかる。
「で、では。すぐに戻って参ります。
お待ちくださいませ」
「わかったわかった。さっさと行け」
しっしっ、と、黒陽に追い払われて部屋を出た。