閑話 青眼寺二代目住職 前編
本編の最後にちょっと出てきた青羽の弟子(お世話係の小僧)視点です
何が起きているのかわからなかった。
つい数日前まで平和に暮らしていたのに。
ぼくの住む館のまわりは、恐ろしい妖魔に取り囲まれていた。
数日そんな状態が続き、かあさまにずっと抱きついていた。
恐ろしさのあまり泣くことすらできず、ただかあさまの腕の中で震えていた。
そして、その日。
ものすごく恐ろしい叫び声が響き渡った!
空も地面も割れたんじゃないかというくらいガタガタガタ! と揺れ、立っていられなかった。
「ギャァァァ!」とも「グオォォォ!」ともつかない、それでも妖魔の叫び声だと思われるものが何重にも響き渡る。
その声が喜んでいることがなぜかわかり、それはぼくらを食べられるから喜んでいるのだとなぜかわかった。
ゴゴゴ!!
天井が崩れ、妖魔がぼくらを見つけた。
大きな大きな骸骨がそこにいた。
からっぽの眼窩がぼくらをとらえ、ニタリと笑った。
あ。ぼく、死ぬんだ。
三歳でも、わかった。
かあさまとねえさま達と震えたまま抱き合った。
恐ろしくて恐ろしくてたまらないのに、からっぽの眼窩から目が離せない。
そのとき。
骸骨が、真っ二つに切れた。
刀を持った僧侶が、そこにいた。
大きくなってから色々聞いた。
ぼくの家と敵対していた家があやしいヤツに依頼して『呪物』と呼ばれるモノをウチに仕掛けた。
それは妖魔を呼び寄せるモノで、それに惹かれてあちこちから妖魔が集まってきた。
ウチのお抱えの陰明師が張った結界で数日持たせ、その間に救援依頼を出した。
数が多いからとあちこちの有名な術者が呼ばれ、大規模討伐が行われた。
おかげでぼくらは誰一人死ぬことなく、助かった。
そのあと『妖魔を招く家』とか『不幸に魅入られた家』とか、あることないこと囃し立てられ、もともとこわがりだったとうさまは心をこわして亡くなり、残された家人もひとりふたりと姿を消し、ぼくの家はなくなった。
母と姉達はそれぞれ尼寺に入ったり嫁に行ったりした。
七歳のぼくはとある寺にお世話になることになった。
あの騒動のときに守ってくれた陰明師の紹介だった。
「若は霊力が強いですから、ここの寺がいいと思いますよ」
そう言って預けられた寺は退魔師の多い寺で、入るときに霊力の有無を調べられた。
陰明師の言うとおり、ぼくはそれなりの霊力があった。
いくつかある坊のひとつに預けられ、仏事とともに、霊力訓練もするようになった。
坊の責任者の青峰様のもと、ぼくは『青正』となり、日々修行に励んでいた。
そんなある日、ひとりの人が青峰様をたずねてこられた。
「あ―――!」
あの日、大きな骸骨を真っ二つにした僧侶だった。
青羽様とおっしゃるその方は、実戦部隊のなかでも一番危ない部隊の一番強い方だと教えてもらった。
「青羽もこの坊の人間だったんだよ」
青峰様の言葉にコーフンする!
じゃあぼくもがんばったら青羽様みたいになれるかな!?
「それはどうかなぁ。あいつは特別だから」
なんとただの高霊力保持者なだけでなく、属性特化の能力者だという。
それも、金属性最強の証明である『霊玉』を持った『霊玉守護者』なのだと。
すごい! すごいすごいすごい!!
ぼくにとって青羽様は英雄になった。
八歳になる頃には青羽様の他の話も色々と知るようになった。
安倍家の主座様と友達なこと。
子供の頃、特別な亀に修行をつけてもらって強くなったこと。
大好きなお姫様がいたこと。
その人のために強くなったこと。
「そのお姫様は、今どこに?」
「さあなぁ。あれから一度もお会いしていないから」
お姫様の話を聞かせてくれたのはやはり同じ坊の出身の青佳さん。
ぼくたち年少組の訓練の先生だ。
「青羽が今二十三歳だから、姫様はもう二十六になるはずだ。
きっとどこかに嫁に行って、もう子供のひとりやふたりいるんじゃないかな」
「いやいや。もしかしたら青羽が迎えに来るのをずっと待ってるかもしれないぞ」
青峰様が面白がってそんなふうに言う。
お二人共、楽しそうですね。
「とにかく青羽は『姫様』『姫様』だから」
「姫様のためだからってあんな修行をやるんだから、すごいよなぁ」
「『いつか迎えに行く』って一時言ってたけど、あれ、どうなったんだろうな」
よくわからないけれど、青羽様には大好きな女性がいたようだ。
『誰かのために強くなる』なんて、すごいなぁ。
それで実際あれだけ強くなるんだから、すごいなぁ。
青羽様は寺の有名人だったから、いろんなところからいろんな話が聞けた。
でも実際の青羽様にぼくが会うことは年に数回あるかないか。
実戦部隊はあちこちに退魔にでかけていて、ほとんど寺にいないからだ。
忙しすぎてお姫様を迎えに行けないんじゃないかな?
でも青羽様があちこち行ってくださるから、ぼくみたいに助かる人がいるんだもんね。
きっとお姫様もそれがわかってるから待ってくださっているんだ。きっとそうだ。
何も知らないぼくは、そんなふうに考えていた。
九歳の冬。
来月年が明けたら十歳になるというある日。
青羽様の仕事についていけることになった。
「そろそろぼくたちに実戦を見せないといけない」と先生達が話していたところに、とても強い妖魔の出現の報告と退魔依頼がきた。
「青羽しか無理だ」となり「青羽が出陣るなら年少組を連れて行っても大丈夫だろう」となった。
青羽様に憧れているのはぼくだけじゃない。
ぼくたち年少組はみんな憧れている。
その憧れの青羽様が目の前に現れて、ぼくたちはコーフンして緊張した。
「青羽だ。よろしくな」
にっこりと笑ってやさしくそう挨拶してくれる。カッコいい!!
青佳さんと実戦部隊の責任者の青秀さんと、他にも数人の実戦部隊の人と一緒に現場に向かった。
現場に行くまでも修行。
ぼくたちは初めての遠出。
何が必要か、何をすればいいか、話では聞いていたけれど実際やってみたら全然勝手がちがう。
山の夜の暗さを知っていたつもりだった。
でも実際は、寺も何もない深い山の夜の暗さは筆舌に尽くしがたいものがあった。
こわくてこわくて、年少組みんなで固まって寝た。
それなのに大人達は交代で夜営をし、周囲の見回りもしていた。
妖魔避けの香、獣避けの香、虫除けの香。
それぞれ使い方教えてもらい、実際やってみる。
薬草を現地採取するときの注意点。
食べられるもの。食べられないもの。
色々なことを教えてもらう。
ひたすら山を歩く。
こんなに歩きにくいとは思わなかった。
足が痛い。寒い。泣きそう。
「縮地が使えるようになったらもっと早く移動できるぞ」
青羽様がそう言って笑う。
「ホラ、がんばれ」
きっとこの人ひとりならもっと早く移動できる。
それなのにぼくたちに合わせて、せかすことなく、ぼくたちを教えながらゆっくりと進んでくれている。
ありがたいやら情けないやらでぽろりと涙が出た。
青羽様は何も言わず手ぬぐいで顔をぬぐってくれた。
ほかにも何人もが青羽様に顔を拭いてもらっていた。
頼りになって、やさしくて。
ぼくたちはますます青羽様が大好きになった。
あと半日くらいで現場に着く。
緊張しながら歩いていたそのとき。
どこからか白い鳥が飛んできた。
その鳥はまっすぐに青羽様に向かった。
手を伸ばしてその鳥を指に止めた青羽様。
その途端。
「――すぐ! すぐに行く!」
突然の大声に誰もが飛び上がった!
しかも青羽様は青秀様にとんでもないことを言った。
「青秀! 俺、抜ける! じゃな!」
「待てーッ!!」
文字通り飛び出そうとした青羽様を瞬時にふん縛った青秀様。
「離せ!」
「落ち着け阿呆! 理由を話せ!」
「竹さんが見つかった!」
その叫びに、青秀様と青佳さんは驚いたあと、絶望的としか言いようのない顔をした。
「俺、行かないと!」
青羽様を縛っていた縄がバラッと崩れた!
どうやったのか細切れになっていた。
「任務中!」
ガバリと青羽様に青佳さんが乗っかった!
「知るか! お前らでやれ!」
「お前じゃなきゃムリなんだよ!」
「じゃあ今すぐ斬ってくる!」
「阿呆! なんのためにちびども連れてきたと思ってるんだ! 頭冷やせ!」
「――任務を放り投げる男を、姫様はどう思うかな」
青秀様の言葉に青羽様はピタリと動きを止めた。
「年少の者を放り出す男を、姫様はどう思うかな」
「……………わかった」
ぐぬう。と、血でも吐きそうな顔で青羽様は大人しくなった。
ぼくたちはポカンとするしかできない。
「ああ……。青羽がバカになった……」
「あれはもうダメだな……」
誰かがポツリと言った。
それからの青羽様は別人だった。
あれだけ温かく見守ってくれていたのに「早くしろ!」とぼくたちを急き立てる。鬼の形相でにらみつける。
ぼくたちは泣きそうになりながら必死に足を動かした。
現地には予定より早く着いた。
そこでぼくたちにホンモノの妖魔と対峙させ、威圧を受けさせ、恐怖心を植え付ける予定だった。
それでも戦う先輩達の姿を見せて『修行を重ねれば戦えるようになる』と教える予定だった。
先輩達にとっても今回は修行で、自分達だけでどこまでできるかの挑戦だった。
どれも青羽様が後ろに控えていてくれて、危なくなったら助けてくれる前提の話だった。
それなのに。
一撃で終わった。
ズズゥゥン! と轟音を立てて倒れる妖魔。
「よし! 帰るぞ!」
「「「阿呆ーーー!!」」」
もうポカンとする以外できなかった。
帰りも急き立てられながら必死に駆けた。
正直何をしに行ったのかわからない。
青羽様はいろんな人に怒られていたけれど、誰の話も聞いていなかった。
「いいから行かせろ!」
飛び出そうとする青羽様を、いろんな人が叱ったりなだめたりした。
「無責任に放り出す男を姫様はどう思うかな」
結局青秀様にそう言われて、青羽様は年明けまでいろんな用事をさせられていた。
「行ったらしばらく帰ってこないんだろ? ならきっちり済ませてから行け」
「『行くな』とは言わないから。これだけは済ませろ」
そんなふうにいろんな用事を言いつけられ「ぐぬぬぬ」とうなりながら処理していた。
あとでこっそりと青峰様が教えてくれた。
「姫様がからんだらあいつは途端に馬鹿になる」
以前からうわさを聞いていた『お姫様』の居場所を安倍家の主座様が連絡してきた。
「お姫様の元に行きたい」と青羽様は言っている。
「青羽にとって姫様は特別なんだよ」
「青羽は姫様が一番だから」
「行ったらもう帰ってこないかもしれない」
少しさみしそうに、それでもうれしそうに青峰様は笑って言った。
そうして、年が明けてしばらくして、青羽様は寺を出ていった。
嬉々として挨拶したあと、あっという間に姿を消した。
誰もがポカンとするしかできなかった。
明日で完結です




