第三十三話 満開の桜の園で
彼女がどこにもいかないように、抱きしめて眠りに落ちた。
そのはずだった。
目が覚めて、すぐに気がついた。
彼女がいない。
俺の腕の中にいつもあるあのぬくもりがない。
すぐに飛び起きた。
まだ以前のようには動けない。立ち上がろうとしてぐらついたが、なんとか踏ん張って立ち上がる。
「竹さん?」
部屋を見回す。いない。厠か?
廊下に出る。厠に行く。いない。
「竹さん」
他の部屋ものぞく。いない。どこにもいない。
「竹さん!」
坪庭の廊下に出て庭も探す。いない。いない。いない!
ド! 風を起こしてあちこちを探る。それでも彼女は見つからない。
なんで? どこに行った!?
部屋に戻り緊急連絡用の札に霊力を込める。
「晴明! 来てくれ! 竹さんがいない!」
すぐに白い鳥に变化した札はどこかに飛んでいく。
晴明が来る間もいてもたってもいられず、意味もなくあちこち探し回る。
いない。いない。いない!
なんで!? どこに行った!?
カタリと音がして、襖が開いた。
竹さんか!? と顔を向けたが、そこにいたのは晴明だった。
「晴明」
晴明の表情に、何かあったと察する。
いつもの人をくったような、意地の悪い狐のような顔じゃない。
どこか沈鬱な、深刻な表情をしていた。
何も言わない晴明に、イヤな予感がさらにせり上がってくる。
「晴明。竹さんがいない」
端的に告げる俺に「ああ」とだけ答える晴明。
その態度に、何か知っているとわかった。
「――竹さんはどこだ?」
「――昨日、立った」
昨日? 昨日はずっと俺と一緒にいたじゃないか。
一緒に霊力訓練をして、身体を動かす訓練に付き合ってくれて、一緒に飯を食べて、一緒に寝たぞ。
どういうことかわからないまま次の質問をしていた。
「どこへ」
「――伏見」
伏見。
伏見に何がある?
伏見。――伏見!?
そうだ。俺も伏見に行こうとしていた。
竹さんがそこにいると聞いたから。
竹さんが伏見にいたのは――。
俺が気がついたことに晴明が気付いたのだろう。
俺の目を見て、はっきりと言った。
「『災禍』を封じるために」
「―――!」
そうだ。そうだった。
なんで忘れていた!?
彼女はだから十歳の俺と別れたんじゃないか!
「責務がある」と「『災禍』を封じなければならない」と。
そのために俺はチカラをつけたんじゃないか。
彼女を助けるために。彼女と共に在るために。
行かなきゃ。
俺も行かなきゃ。
彼女が行くのなら、俺も行かなきゃ。
俺が彼女を助けなきゃ。
「俺も行く」
駆け出そうとした俺の肩を晴明が押さえる。
振りほどこうとしたのにビクともしない! くそう!
「離せ!」
ギッとにらみつけたのに、晴明は呆れたようにため息をひとつ落とした。
「無茶言うな。ロクに動けもしないくせに。
熱だってやっと下がったんだろう? またすぐ熱が上がるぞ」
「関係ない。離せ!」
晴明の腕をつかんで俺の肩から外そうとしてもビクともしない。
悔し紛れに蹴りを入れようとしたら、反対に軸足を払われて倒された!
あっと思う間もなくうつ伏せにされ、左腕を後ろ手に極められ押さえつけられた!
「――ぐ……ッ」
「ほらみろ。ロクに動けないじゃないか」
呆れたような声が降ってくる。くそう!
「離せ!!」
「離してどうする?」
「決まってる。俺も伏見に行く!」
「行ってどうする?」
「竹さんを助ける! あの人のそばにいる!」
「このザマで? 助ける?」
「ハッ」晴明が馬鹿にしたように嘲笑った。
「ロクに歩けもしない男が行って、何の役に立つと言うんだ?」
グッと詰まった。が、黙っているわけにはいかない!
「たとえ役に立たなくても。俺がそばにいたいんだ! あの人は俺の妻なんだ! だから!」
「だから何だと言うんだ」
冷たい声に言葉を封じられた。
「認めろ。自覚しろ。
お前は役立たずだ。
お前が行っても何も変わらない。
却って姫達の迷惑になる」
反論できない俺に、晴明はひとつ息を落とすと拘束を解いた。
それでも俺は動けない。
ただ情けなく床に倒れていることしかできない。
悔しくて悔しくて震えることしかできない。
「――それに、もう行っても手遅れだ」
ポツリと落ちた晴明の声。
手遅れ?
手遅れ?
「――どういう、こと、だよ……」
なんとか身体を起こし、晴明を見上げる。
座り込んだままの俺を見下ろす晴明は、氷のような目をしていた。
晴明のクセ。
辛いときほど感情を隠そうとする。冷静になろうとする。
感情を排し、冷たい氷のような目になる。
「姫宮は、亡くなった」
姫宮 と いうのは
竹さんの こと か ?
竹さん が
亡くなった?
死んだ?
死んだ?
「――いつ」
「昨日」
「なんで」
「『災禍』を封じた。
そのために霊力が尽きて、亡くなった」
機械的に質問が口から出る。
けれど、意味がわからない。
竹さんが、死んだ?
俺をおいて?
昨日? 昨日は一緒にいたじゃないか。
そんな俺の疑問がわかったのか、晴明はまたひとつため息を落として説明してくれた。
「お前が眠っている間に術をかけたそうだよ。
丸一日眠り続ける術を」
ということは。
彼女はわかっていたのか?
俺と別れることを。俺を置いていくことを。
「お前が眠っている間に抜け出して、伏見に向かった。
秀吉が醍醐寺で開いた花見に『災禍』も来るとふんで、包囲網を徐々にせばめてとらえ、やっと封じたんだ」
まるで見てきたかのように言う晴明に、もしやと気付いた。
「――お前もいたのか……?」
「まあな」
あっさりと答える晴明。
「私もその花見に招待されていたからな」
そして詳細を説明してくれる。
なかなか尻尾を出さない『災禍』に、晴明が策を練った。
「派手好きの秀吉ならば、宴を勧めたら実行するのではないか」
北野や吉野でも花見をして成功させ、秀吉人気を上げている。
その前例があるからこそ、花見の宴を勧めたら実行するに違いない。
居城にほど近い場所で盛大な花見を行えば、秀吉に近い者は全員出席する。
小姓として侍っていると思われる『災禍』も必ず出席するに違いない。
そういう策だった。
伏見にほど近い醍醐寺は十分な敷地面積がある。
その寺の復興を兼ねて桜を植樹し、盛大な花見の宴をする。
まさに秀吉の好みそうな、大掛かりで、派手で、人気に繋がりそうな計画。
それを秀吉の近くに出入りしていた手の者を使い、それとなく秀吉の耳に入れた。
予想どおり秀吉はすぐに乗り気になった。
あっという間に計画を立てあっという間に桜を集め移植した。
堂宇もふさわしく修理した。
晴明の思惑のひとつに、豊臣の力を削ぐのもあった。
その思惑どおり大金をばらまき醍醐寺を整えた。
そして大規模な花見の宴が開催された。
晴明の手の者が周囲に結界を張った。
「秀吉様をはじめとする皆様を守るため」と事前に申請し認められていた。
その結界の中で姫達と守り役達が『災禍』の気配を探った。
間違いなく結界内にいることを確認し、包囲網をせばめていった。
ある程度絞れたところで竹さんの笛の音で結界陣を創り、徐々にせばめて追い詰めた。
『災禍』が転移陣を展開して逃げようとする寸前に封印することができたという。
ただ、封印した『災禍』を手に取ろうと近寄ったところで発動した転移陣で逃げられた。
だから完全に安心はできないが、とりあえず封印できたことは間違いない。
安心して、霊力を使い果たした竹さんは、そのまま絶命した。
「――『お前を頼む』と言われたよ」
呆然と座り込む俺に、晴明が何か言っている。
「『しあわせだった』と、『ありがとう』と伝えてくれ、と」
――なにを言っているんだ?
まるで、死んだ人の遺言のように。
誰の話をしているんだ?
だって、竹さんは。俺の妻は。
――俺の、妻は、
どこだ?
のろりと立ち上がり、ド! と風を展開する。
この館中は探した。まだ館の外は探していない。
探そうと風を飛ばそうとしたのに、館を包む結界に阻まれた!
結界を壊そうと力を込めようとしたら晴明に殴られた。
「阿呆。壊すな」
ドッと倒れた拍子に展開していた風が散った。
「邪魔するな!」
「するよ」
晴明は呆れたようにひとつため息を落とした。
「とりあえず着替えろ。連れて行ってやるから」
どこに、と聞かなくてもわかった。
すぐさま着替えた俺の腕をとり、晴明は転移した。
そこは、桜の園だった。
見渡す限り桜の樹が満開の花をつけ、桜色に染まっていた。
ぐるりと辺りを見回しても竹さんはいない。竹さんの気配もない。
「竹さん!」
ド! と風を展開させ、周囲を探る。
いない。いない。どこにもいない。
「竹さん!!」
呼んでも、叫んでも、返事がない。
俺の展開した風に舞い上げられた桜が吹雪のように周囲に散っていた。
「竹さん!!」
右に、左にと声をかける。なのにどこからも返事がない。
なんで。
なんで。
なんで。
なんで置いていった。
なんでひとりでいった。
夫婦だと言ったじゃないか。
一緒だと言ったじゃないか!
俺を甘やかすと言ったじゃないか!!
「竹さん!」
「竹さん!!」
闇雲に竹さんの名を呼び、風で探していたその時。
「――青羽」
懐かしい声に、動きを止めた。
庭石の上に、黒い亀がいた。
「――黒陽――」
久しぶりに会う亀は十五年前と変わらない姿と声でそこにいた。
あの頃のように「フン」とふんぞり返り、俺のことをにらみつけていた。
のろりと黒陽のそばに歩み寄る。
「――久しぶりだな」
「……ああ……」
近くに寄って、初めて気付いた。
あの巨大な霊力がない。
黒陽も、なんだか疲れ果てているようにみえる。
「黒陽……。どうしたんだ……?」
何と聞けばいいのかわからなくて、そんなふうに問いかけた。
黒陽は皮肉げに口元をゆがめ、視線を下げた。
「――封印に、力を使ってな。
なに。私は『呪い』があるから死なない。問題ない」
――『呪い』があるから、死なない。
――じゃあ、竹さんは――?
「――竹さんは――?」
黒陽は目を閉じた。
かなしそうにうなだれた。
――竹さんは?
呆然とするしかできない俺に、黒陽はグッと首を上げて話しかけてきた。
「お前には世話になった。ありがとう」
なに を 言って いる ?
なんの ことを 話して いる?
「――姫は、しあわせそうだった。
最後の最後まで、お前に感謝していた。
『お前の妻として死ねる』と、喜んでいた。
ありがとう」
黒陽の声は聞こえるのに、その意味がわからない。
竹さんは? 俺の妻は?
どこに行ったんだ?
「――竹さんは――?」
震える声でなんとか言葉を絞り出す。
「――火属性の、魂送りの得意な守り役が弔った。
遺体は灰も残っていない」
遺体。
死んだ?
誰が?
竹さんが?
死んだ?
「――東の姫も西の姫も霊力を使い果たして亡くなった。
我ら守り役も『呪い』がなければ死んでいた。
だが、『災禍』は封じた。
最後の最後で逃げられたが、封じたことは間違いない。
姫を、褒めてやってくれ」
褒める? 誰を? 竹さんを?
「――褒めれば、竹さんは、かえってくるのか――?」
それならいくらでも褒めてやる。
喉が枯れようが血を吐こうがいくらでも褒めてやる。
それなのに、誰も何も答えてくれない。
「――どうすれば、竹さんはかえってくる――?」
「しばらくは無理だ」
黒陽が断言する。
「霊力を使い果たした。魂が傷ついた。
おそらく次に転生するのに、百年はかかる」
「百年――」
百年は転生しない。
百年したら、転生してくる。
「――百年待てば、竹さんに会えるのか?」
百年したらまた彼女に会えるのならば。
「それなら、待つ。百年、待つ」
また会えるならば、待つ。待てる。また会えるならば!
それなのに晴明が「阿呆」と言う。
「人間の寿命を考えろ。百年経つ前にお前が死ぬに決まっているだろうが」
呆れたような声に「それなら」と晴明に迫る。
「結界で俺を封じてくれ。俺の時間を封じてくれ。
そうすれば竹さんが生まれ変わってまた会えるだろ!?」
「……こんなときでも頭だけは働くのか……」
嫌そうな顔で「厄介な」と吐き捨てられたが構わない。
竹さんに会うことのほうが重要だ!
「頼む晴明! 竹さんに会えるまで、俺を封じてくれ!」
晴明の胸ぐらをつかんで揺さぶっても晴明は何も言わない。
嫌そうに顔をしかめるだけで黙っている。
「晴明!!」
「青羽」
尚も晴明に迫ろうとしたら、黒陽に呼び止められた。
「……お前、姫に何か託されたのではないのか?」
黒陽の指摘に、そういえばと思い出した。
「『霊玉』を浄化するために、ずっと持っていて」
そう言って、俺を頼ってくれた。
「俺にしか頼めない」と甘えてくれた。
「……『霊玉を浄化するためにずっと持っていてくれ』と、頼まれた……」
正直に話すと、黒陽は「やはりか」とため息をついた。
「お前を封印したら、霊玉も封じられるぞ?」
「―――」
「それでは『浄化』は、成らないぞ?」
「―――!!」
「姫の『頼み』を反故することになるぞ?」
「――そんな――」
ガクリ。全身の力が抜けて、膝から崩れた。
「じゃあ、俺は、」
俺は、もう
「もう竹さんに、会えない、の、か?」
桜色の吹雪が舞っている。
どこまでも青い空をひらひらとのんきに、しあわせそうに。
満開の桜が揺れる。やわらかな微笑みのように。
竹さんの微笑みのように。
「青羽さん、長生きしてね。
長生きして、ずっと持って、護ってね」
俺の首に頭をすりすりとすりよせながらそんなことを言った。
愛しい妻。俺の。唯一の。
「自分から生命を捨てるようなこと、しないでね?
生命尽きるときまで、ずっと持っててね?」
「―――!」
唐突に理解した!
あれは、このためか。
俺を生かすためか!
俺にあとを追わせないためか!
くそう。やられた! やられた!!
あの人との約束は、破れない。
あの人の望みならば、叶えなければならない。
どんなに俺が苦しくても。
どんなに俺がつらくても。
ボロボロと涙が落ちた。
「竹さん」
呼んでもこたえは返ってこない。
「竹さん」
もう会えない。
あんなにそばにいたのに。
「竹さん!」
どれだけ叫んでも、どれだけ手を伸ばしても。
彼女はこたえてくれない。
いなくなってしまった。
俺を置いて。俺を遺して。
「竹さぁぁぁん!!」
桜色に染まった世界で泣き叫ぶ俺の声は彼女に届かない。
穏やかな春風が頬を、頭をなでていく。
まるで彼女がやさしくなでてくれるよう。
もう彼女に会えない。
こんな世界、いらない。
俺も彼女の元に逝きたい。
でも、彼女に頼まれたから。
約束したから。
彼女の望みは叶えなければならないから。
彼女は俺の妻だから。
彼女は俺の『半身』だから。
会いたい。会いたい。そばにいたい。
好き。大好き。愛している。
俺の唯一。俺の『半身』。
失いたくない。ずっと一緒にいたい。
彼女のぬくもりが、彼女の微笑みがまだ身体に残っている。
なのになんで彼女はいない?
彼女がいないのになんで俺は生きている?
つらい。苦しい。彼女に会いたい。
でも、彼女の望みは叶えなければ。
彼女が俺を頼ってくれたのだから。
彼女が俺に甘えてくれたのだから。
どんなに俺が苦しくても。
どんなに俺がつらくても。
「わあぁぁぁぁぁ!!」
泣き叫ぶ俺の周りを、ひらひらと花びらが舞い踊る。
やさしい微笑みのように。
しあわせそうに。
明日で本編完結です。




