第三十二話 しあわせな日々
食事をとり、薬を飲み、身体を動かし、眠る。
お互いに『夫婦』と呼び合ったあの日から、一段と霊力が馴染むようになった気がする。
彼女が愛おしくてたまらない。
始終くっついていたい。
もう離さない。ずっとそばにいたい。
そんな気持ちがあふれて止まらない。
暇さえあれば彼女を抱きしめた。
まだ立つことはままならないが、座ったまま、訓練と称して彼女を抱き上げた。
左腕一本でも抱き上げられた。
「もう大丈夫ですね」
安心したようにそんなことを言うから、あわてて「まだまだだよ」と言う。
「まだろくに歩けないし。この状態じゃ戦えないし」
「……それもそうですね……」
抱き上げて同じ高さになった彼女の目をのぞき込んで、甘えたことを言ってみた。
「竹さんが褒めてくれるから頑張れるんだ。
だから、ずっとそばにいて?」
キョトンとしていた彼女だったけど、すぐに照れくさそうに微笑んだ。
「そうですね」
そして俺の頭をよしよしと撫でてくれる。
ナニそれ。うれしい。
「私は貴方の妻だから。
貴方を甘やかさないといけませんものね」
初めて聞いた理屈に「そうなの?」と問いかければ「そうなんですって」と彼女が答える。
「黒陽が言ってたの。『夫婦は助け合うものだ』って」
黒陽か。いいこと言うな!
「私、貴方が『智明さん』のときにいっぱい甘やかしてもらったから。
『智也さん』のときも『青羽さん』のときも甘やかしてもらったから。
今度は私が貴方を甘やかす番です」
ナデナデと俺の頭をなでながらそんなことを言う。
ああ、気持ちいい。なんかトロンってなるよ。
「いっぱい褒めて、いっぱいぎゅーしますね」
にっこりと笑って俺の目を見て宣言した彼女は、早速実行に移してくれた。
腕を伸ばして、俺の頭を抱きかかえなでながら、ぎゅっと頬を寄せてくれた。
「青羽さんはがんばっててえらいですよ。
早く良くなってくださいね」
か わ い す ぎ か ー !!
死ぬわ! 愛しいが過ぎて死ぬわ!!
なんだそのかわいい行動! 俺を殺しにかかってるだろう!?
かわいすぎるかわいい人に頭を抱えられているおかげで赤くなった顔は見られていない。
でもうれしすぎてぷるぷるしてしまう。
「? もう降りましょうか?」
「いや! 大丈夫!!」
「でも、腕が――」
「大丈夫! 全然問題ないから!!」
そう言ったのに、彼女は抱えていた俺の頭を離してしまった。
「……………青羽さん、お顔が――」
バッと反対方向に顔をそむけたけれど、赤くなった顔をバッチリ見られたらしい。
「……竹さんが……かわいすぎるから……」
ボソリと言い訳したが、彼女からの反応がない。
そろりと顔をのぞくと、彼女も真っ赤な顔をしていた。
目を真ん丸にして赤くなって固まる様子がかわいらしくて、こちらもさらに赤くなった。
お互いに赤い顔で見つめあい。
「「――ぷっ」」
同時に吹き出してしまった。
「青羽さん、真っ赤」
「竹さんだって」
「青羽さんが甘やかすからですよ」
「ホントのこと言っただけだけど?」
二人でクスクスと笑い合う。
ぎゅっと抱きしめたら、彼女は俺の首に腕を回して抱きついてくれた。
「大好きだよ」
「私も」
どちらともなく腕をゆるめ、見つめ合う。
どちらともなく顔を近づけ、唇を重ねる。
うれしくてしあわせで、にやけるのが抑えられない!
そっと触れるだけの口付けに、彼女もしあわせそうに微笑んでくれる。
「俺も、貴女を甘やかしたい」
抱きしめてそうささやいた。
「甘やかしてくれてるじゃないですか」とすぐに彼女が反論してくる。
「どこが!? 全然足りないよ!」
ガバリと彼女の身体を離し、しっかりと目を見つめて訴える。
「もっともっと甘やかしたい。
もっともっと一緒にいたい。
今までそばにいられなかった分、いっぱい一緒にいたい」
真剣な俺の訴えに、彼女はキョトンとしていたけれど、やがて「もう」とうれしそうに笑ってくれた。
ああもう! だから、かわいすぎるんだよ!
またぎゅっと抱きしめる。
「大好きだよ」
「私も」
しあわせでしあわせで、俺は大事なことを忘れていた。
食事をとり、薬を飲み、身体を動かし、眠る。
俺がここに運び込まれてから一年以上が過ぎた。
外ではまだ二ヶ月にならないという。
しあわせで頭がとろけていた俺は、その意味を深く考えなかった。
ようやく自分の足で立てるようになった。
まだ支えがいるしすぐに倒れそうになるが、とりあえずの目標は達成できそうでホッとした。
ちいさな龍が遠慮なく足を揉んでくれる。
「ぐきぎぎぎ」と我慢する俺の横で愛しい妻が手を握って応援してくれる。
彼女にカッコ悪いところを見せたくなくて、必死に痛みに耐える。
霊力はほぼ戻った。
これからは筋力をつけること、日常生活を送る上で必要なことを習得することを頑張るように指示される。
竹さんの発案で霊力で玉を作り、投げあいっこをした。
これが繊細な霊力操作が必要で、かなり苦労した。
玉にするためには霊力を安定させなければならない。
霊力をまとめるのにも霊力操作が必要だし、それを相手に渡すなんてことも霊力操作ができていないとできない。
彼女は簡単そうにお手玉をしてみせてくれる。
カッコつけようと頑張って、なんとかできるようになった。
箸も筆も使えるようになった。
彼女が褒めてくれる。うれしくて鼻の下が伸びてしまう。
「『あーん』してもらえなくなるのはさみしいな」とぽそりと言ったら、真っ赤な顔で「ふたりきりのときにはしますね」と約束してくれた。
ちいさな龍が不在のときに「あーん」と食べさせてくれる。
お礼に俺も「あーん」と食べさせる。
楽しいなこれ。
餌付けしてるみたいでしあわせだ!
俺が食べさせたものをもきゅもきゅと咀嚼する彼女がかわいすぎる。
せっせと箸を運んでいたら「青羽さんも食べてください!」と怒られた。
怒ってもかわいいとか。
抱きしめてもいいかな?
「お御飯が先です! ちゃんとしっかり食べて!」
食事のあとなら抱きしめてもいいんだね? わかったよ。
「もう! 私が甘やかしたいのに! 私を甘やかしちゃダメじゃないですか!」
ぷんぷん怒るのもかわいい。
何してもかわいい。
ああ。俺、しあわせだ!
食事をとり、薬を飲み、身体を動かし、眠る。
日々を重ねるうち、俺の身体はどうにか日常生活を送れそうなところまできた。
これからどうするか、彼女と話し合わないといけない。
できれば一緒に暮らしたい。
ウチの寺の宗派は妻帯可だから、このまま寺所属の退魔師を続けることは可能だ。
ただ、今俺は本山の坊に住んでいるから、どこか別の寺に移り住むほうがいいだろうな。
それかこのまま安倍家の世話になるか。
左腕一本になったが、風の術も使えるし、退魔師として雇ってもらえるだろう。
身体がもう少し動くようになったら一回寺に戻って、そのへん話し合って、それから竹さんと暮らす場所を探すことになるだろうな。
そんなことを考えていた。
しあわせすぎて、俺は重要なことを忘れていた。
俺がここに運び込まれてから一年半になろうかというある日、竹さんが言った。
「お願いがあるの」
彼女から『お願い』なんて、初めてじゃなかろうか。
一も二もなく「なに?」と応じる。
彼女は少し言いにくそうにしながらも、それでも俺の目を真っ直ぐに見て、言った。
「『霊玉』を浄化するために、ずっと持っていてほしいの」
『禍』から分かたれた五つの霊玉。
『禍』は封印されたが、霊玉は俺の元に戻ってきていた。
霊力操作の練習のときにそれに気がつき、竹さんにも龍にも報告していた。
「貴方の生命が尽きたら、また次の場所に勝手に行くから。
それまで、ずっと持っていて、護ってほしいの」
あの十歳の夏に『お願い』されたことを、また願うようだ。
俺が黙っているのをどう思ったのか、彼女は申し訳なさそうに、痛そうに顔を伏せた。
「私が判断をあやまったから、私があのとき『禍』を滅しなかったから、貴方達に大変なものを負わせてしまった。
貴方の仲間を、死なせてしまった」
しゅんとうなだれ、ポツリと言葉を落とす。
「それは、私の『罪』」
「ちがうよ」
あわてて彼女の言葉を否定する。
「それは、貴女が負うべきものじゃない。
だって浄化はうまくいってた。そうだろう?」
十歳のあのとき、彼女は霊玉を見て言った。
「浄化が進んでいる」と。
それなのにあんなことになったのは、たまたま俺達があの場所にいたから。
たまたま封印が解けたから。
それなのに彼女はゆるりと首を振る。
「封印が解けた場合どうなるか、考えなかった私が悪いんです」
「ちがうよ」
そう言っても彼女は聞かない。
こういうとき、彼女は絶対譲らない。頑固者め。
「私が悪いのに貴方に頼むのは間違ってると思うけど」
うつむいた彼女は申し訳なさそうにさらにうなだれた。
「でも、貴方しか頼める人がいないの」
なんだそれ。俺、めちゃめちゃ頼りにされてるじゃないか!
誇らしさに胸がぎゅっと締め付けられる。
によによと勝手にゆるむ口元を必死で締める。
顔を上げた彼女は、真剣な表情で真っ直ぐに俺を見つめた。
「お願い。
『霊玉』を浄化するために、ずっと持っていて」
なんで『今』そんなことを言い出したのかわからない。
なんでそんなに真剣に、必死にそんなことを願うのかわからない。
でも。
「……それで貴女の気が済むなら、いいよ」
そう。
俺を頼りにしてくれたなら、応えなければ。
それで彼女が少しでも楽になるならば、叶えなければ。
「ホント?」
「ホント」
心配そうに俺の膝に触れてくるから、安心させるように彼女の背に手を回す。
「約束してくれる?」
「するよ」
重ねて問うてくるから俺も重ねてうなずいた。
それでやっと彼女は安心したらしい。
ホッとひとつ息をついた。
「――ありがとう」
安心したように微笑んで、俺の首にぎゅっと腕をまわして抱きついてきた。
かわいいがすぎる!
すぐに俺も彼女を抱きしめた。
「青羽さん、長生きしてね。
長生きして、ずっと持って、護ってね」
俺の首に頭をすりすりとすりよせながらそんなことを言う。
「わかったよ」と笑って言ったら、彼女は俺から身体を離した。
そのままじっと俺の目を見つめる。
「約束よ? 絶対よ?」
「わかったよ」
ちょっと怒ったように言うのもかわいい。
俺が真剣に聞いていないと思ったのか、ぷうとふくれる。かわいい。
「自分から生命を捨てるようなこと、しないでね?
生命尽きるときまで、ずっと持っててね?」
さらにしつこく注文する言葉に不穏なものを感じて「ナニそれ」と問いかけた。
でも彼女は真面目な顔で「お願い」としか言わない。
「……わかったよ」
しぶしぶそう言うと、やっと彼女も安心したらしい。
「ありがとう」
にっこりと微笑んでそう言って、また俺の首に腕をまわしてきた。
「大好き」
すりすりと甘える彼女がかわいくて、腕の中に彼女がいることが当たり前になっていて、このときの俺は感じた違和感を見落としてしまった。
その日の夜もいつものように布団に入った。
俺の左腕で彼女をすっぽりと包み、くっついて横になった。
「おやすみ」
いつものように挨拶したら、不意に彼女が起き上がった。
どうしたのかと思っていたら、もそもそと動いて俺の顔をのぞき込んできた。
そのまま顔を寄せ、ちゅ、と口付けしてくれる。
「――おやすみなさい」
穏やかな微笑み。
でも、いつもとちがう。
「――どうしたの? 何かあった?」
イヤな予感に声が震える。
彼女はうれしそうに首を振った。
「『好きだなぁ』って、思って」
「――ナニそれ」
クスリと笑う彼女がかわいくて愛おしくて、なんだかホッとして強張った身体から力がぬけた。
なんとかがんばって身体を反転させ、ちいさな彼女を布団に横たえ俺が上になる。
「ひゃ」と驚く彼女の唇をついばみ、頬とこめかみにも口付けを落とす。
「おかえし」
「――もう」
しあわせそうに赤い顔で笑いながら怒る彼女がかわいくて、もう一度唇をついばんだ。
ぎゅうっと抱きあい、そのまま横になる。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
ちゅ、と口付けを交わし、ようやく瞼を閉じた。
彼女がどこにもいかないように、抱きしめて眠りに落ちた。




